Friday, June 12, 2009

My 100 Standards(5/100):ペーパーナイフ

久しぶりのモノに対するストーリーを綴ってみよう。
今回は十数年前に、NJの知り合いの方にいただいたペーパーナイフである。

皆さんはペーパーナイフを使ったことはあるだろうか。
私が初めてペーパーナイフの存在を知ったのは、とある映画のワンシーンだったように記憶している。その映画の主人公が、実に美しくLetterをペーパーナイフを使って開封しているところを目にし、いつかは私もこの主人公のように美しく手紙を開けてみたいと思っていた。

それから何年も経って、アメリカへ渡り大学院で勉強をするようになるまでペーパーナイフのことは記憶の果てに忘れてしまっていた。私のアメリカでの論文担当教授が、オフィスでペーパーナイフを使用するのを見るまでは。その教授はスーツの着こなし、シガーの吸い方などが実に格好いい人だったのだが、ペーパーナイフの使い方もあの映画の主人公のように美しかった。彼がペーパーナイフで封筒を開ける洒脱な所作が今でもまだ目に焼き付いている。

時を同じくして私は、その憧れのペーパーナイフを手にすることとなる。
そのペーパーナイフは十数年を経た今も尚、私は使い続けている。


このペーパーナイフは、私がアメリカ時代お世話になった方がイスラエルへ旅行した際のお土産として貰ったモノ。柄の部分には、“God Bless Our Home”と刻まれていて、ナイフ部分のデザインは水色と赤色でカラーリングされている。
初めてこれを使用した時は、なかなか上手く、ましてやあの映画の主人公や教授のようには、封筒を開封できなかった。しかし、長年使っていると、段々私の身体の一部のようにペーパーナイフが馴染んできて、どんな封筒や手紙でもサッと開封できるようになった。スムーズにペーパーナイフで紙を切った瞬間、それが上手く切れた感触と、紙を裂いた質感が何とも言えず好きである。

Monday, June 01, 2009

Thinking on June 1st

● Design should be about creativity. It is critical to recycle or reinvent the old but I still believe we need to produce something new. This may sound like an exaggeration, but this is how we create our future. Design means not creating the present but creating the future.

● Great work has something that changes the surrounding atmosphere.

● I have to jump over the last hardle to get the miraculous feeling.

I will charge through this June while being careful with these three phrases.

Saturday, May 30, 2009

杉本博司「歴史の歴史」展:デュシャン的世界観

「アートとは技術のことである。眼には見ることのできない精神を物質化するための。
私のアートとは、私の精神の一部が眼に見えるような形で表象化されたものである。いわば私の意識のサンプルと言っても良い。(中略)
私の集めた遺物たちは、歴史が何を忘れ、何を書き止めたか、そんな歴史を教えてくれる。」

これは先日私が足を運んだ、杉本博司「歴史の歴史」展@大阪国立国際美術館で配布されたパンフレットからの抜粋である。


一歩展覧会場に足を踏み入れると、そこはもう世界的写真家であり、現代美術家であり、美術収集家である杉本博司ワールド満載の空間が広がっていた。

展覧会エントランスにて

歴史の全てがそこにあるかのような空間に足を踏み入れると、化石(杉本は化石を古代世界を写した「写真」と表現)に始まり、当麻寺古材と自作写真のコラボレーション「反重力構造」(天平と現代のコラボレーション)、放電場の大インスタレーション、そして仏教&神道美術のコレクションの数々。美しい表装。戦犯写真や月の石、宇宙食の食べ残し、収集された骨董、アポロ計画ゆかりの写真、戦争中のタイム・マガジンの表紙(ヒトラーがこれだけカバーになってた驚き)、解剖図(杉田玄白の解体新書など)。
さらに、杉本博司の作品の中で私が最も好きな「Seascapes」が弓なりの壁に等間隔で展示され、漆黒の闇の中に多様な海の写真が朧気に浮かび上がる様は圧巻であった。

圧倒的な歴史の事象が収められたカタログ

今回の展示会は、私に世界的写真家&美術家である杉本博司の所蔵する化石、古美術、近代遺産と、杉本作品との融合の美しさと、奥行きの深さに眩暈さえ憶えた。

今回のblogのサブタイトルに「デュシャン的世界観」と付加したかと言えば、展示品の中にマン・レイ撮影のマルセル・デュシャン写真を額装し、ガラスに3発おもちゃのピストルで弾丸を撃ち込んだと覚しき作品を目にしたからである。デュシャンといえば、美術館に便器を提示し、これは美術館に置かれた作品だと言い切った。それは、便器というモノを、日常に於いて持っている関心を括弧に入れて見よというシグナルである。
このように既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのモノをオブジェとして提示した手法が「Ready-Made(レディメイド)」。
今回の展示会で杉本博司が示唆したのは、歴史のレディメイドだったのかもしれない。アートの展示会というと、アーティストの作品のみが展示されるのが常であるが、今回杉本が試みたのは自分が所蔵する化石や雑誌などを自身の作品と共に、これもアートだと展示した。デュシャンがあらゆるものが芸術であると示したように、関心を括弧に入れて無関心としたように。
デュシャンのレディメイドも、杉本の「歴史の歴史」も、対象への「括弧入れ」をもって成立するが、実はその「括弧入れ」=無関心こそがカントの真・善・美といった領域が審美の根幹を成していることを、柄谷行人は「美学の効用」の中で議論している。

Thursday, May 21, 2009

感染地域としての神戸:非日常的光景への眼差し

神戸まつりも中止になり、三宮センター街や元町商店街はマスクを装着した人、ヒト、ひと。。。
そしてコンビニやドラッグストアには、ソールド・アウトが続くマスクを求める人々の列、列、列。。。
今日は、私と同い年の「三宮地下街(さんちか)」(1965年開業)も全面臨時休業となった。
そして、神戸市役所前には、連日増加し続ける新型インフルエンザ感染者の数や、市役所が発表する情報を垂れ流すテレビ各局の車や関係者が溢れる。

非日常的眼差し:神戸市役所前

この光景って何だろう、一種戒厳令下の様相を呈している。そしてこの光景はいつか見た日の光景、そう、あの14年前の阪神大震災の時の光景ではないだろうか。
私は阪神大震災の時には海外にいたため、その状況を原体験していない。しかし同様の体験として、NYでの大雪&異常低温の際の外出禁止などの状況と、現在の神戸を重ね合わせてしまう。

今の所、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつある状況を打破する決定打=ワクチンも無い中、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。そしてもっと難しい問題は、外出自粛などの公的アナウンスを解除する時の可能なロジックがあるのかということである。

世界的経済危機が若干緩和されてきた中での今回のパンデミック、この現象は経済活動、消費活動をじわじわと浸食し始めている。感染のリスこはこのまま引き続きあるが、神戸市民がじっと家に籠もっていると、モノやサービスが売れないので、外に出て、消費活動を始めましょう、などというアナウンスは論理的に許されない。公衆衛生と経済・消費活動というパラドックス的事象を、今の日本の行政が上手くコントロールできるのか疑問である。

いずれにしても、今回の新型インフルエンザ現象は当分続くだろうし、今年の秋・冬にはそのウィルスが変異することでより一層リスキーなパンデミックが起こる可能性も否定できない。
世界中の人間がいつ起こるとも分からない真のパンデミックに怯え、それに対抗する政府の監視のために自由と人権が制限された社会になってしまうのだろうか?

感染地域:神戸で私が思考したことは決して大袈裟なことではないだろう。今そこにある危機という状況に今後備えるためにも、日本の行政は今一度再考しなければならない。こんな時こそ、君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリの言葉を思い起こして欲しい。
「必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じと言ってよい」。

Monday, May 18, 2009

My 100 Standards(4/100):赤鼻微睡み犬のブックスタンド

4つ目のモノの物語は、奈良美智デザインのブックスタンドである。
奈良美智は世界的に評価されるポップArtistである。
彼の作品を初めて観たのは15年ほど前のニューヨーク。その時目にした彼の代表作でもある睨む少女のモチーフや眠ったような犬のスカルプチャーなどの数々のデザイン性の高い作品群。その新しいArt潮流の出現に息を呑んでしまったのを、今でも鮮明に思い出す。

その色彩を帯びた記憶にもう一度出会ったのが、ニューヨークから9年後のオーストラリア・シドニーのとある美術館だった。今回ご紹介する赤鼻の微睡んだ犬のブックスタンド、その美術館のショップで見つけて、即購入してしまった。

微睡む犬

奈良美智のサインが

それから6年以上、そのブックスタンドには、新たに購入した書、読みかけの書、読み返したい書が静かに鎮座している。
これからも微睡む犬のブックスタンドには、私の好奇心&知的欲求を満たす書が並んでいくのだろうか。
その光景を思うだけでも、ちょっとワクワクしてしまう。

現在ブックスタンドに挟まれる書達

そこには、建築本、思想本、デザイン本、ビジネス本などが静かに鎮座する。

Thursday, May 14, 2009

クリエイティブの揺らぎの中で:ヒト、書、映画、そして。。。

GW期間中に私自身の中で揺らいだクリエイティブな事象について綴ってみよう。

5月2日
日本列島がGW真っ盛りの中で、ブルースを表現させたらピカイチのシンガーが永眠した。
忌野清志郎、58歳の余りに早い生涯であった。


先日の深夜、何も考えずTVをオンにすると、そこには一時癌という病を克服し、元気にシャウトする忌野清志郎の姿を映し出していた。私が中学生の頃聴いていた「雨上がりの夜空に」「スローバラード」を力強く歌い上げていた。
その彼が、今はもう鬼籍に入ってしまっているとは、信じ難いことである。
ご冥福をお祈りします。

しかし、私が興味を持った表現者達は早く逝ってしまう。
寺山修司(47歳)、松田優作(40歳)、坂口安吾(48歳)、そして忌野清志郎(58歳)。
こうして考えると、表現を極めた者達は、常人の数倍の早さで自分の身を焦がすほどに才能を燃焼し尽くしてしまうのかもしれない。
彼らに共通しているのは、自身の分身とも言える作品が未だに人々を感動させ、影響を与え続けていること。
そこには「死」ではなく、「生」が確かに存在する。

5月某日
皆さんは、吉岡徳仁という名前を聞いたことがあるだろうか。
彼は今、世界が最も注目するクリエイターの1人と言っていいかもしれない。
彼のアップデートな仕事は、東京で開催中の「『Story of...』カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」。カルティエは皆さんもご存じの通り、時代の技術の粋と独創性によって、今もなおジュエラー界のイノベーター的存在である。吉岡は独自のアプローチによる、カルティエが創造してきたジュエリーの過去・現在・未来のストーリーに着目した構成は、新たなクリエイティブの扉を開いている。

今まで纏まったテクストを世に出していなかった吉岡徳仁が、自身のデザインとの向き合い方、考え方などを著したのが「みえないかたち」である。


吉岡の初めてとも言える纏まった形のテクストで彼が一貫して述べているのは、デザインというモノは「かたち」ではないということ。彼にとって、デザインとしての「かたち」は重要な要素ではなく、「かたち」は無くても良いと言い切る。吉岡にとってデザインとは、他者にコミュニケートする「かたち」の裏側にある空気感や雰囲気を表現する手段なのかもしれない。だから、彼の作品は椅子にせよ、空間インスタレーションにせよ、形ではなく人の心に「響く」モノを表現し続け、そのことが世界に評価されているのだろう。
今回彼の思考の断片を1つのテクストで読んだことで、吉岡徳仁というクリエイターにより深い共感を覚えた。

5月某日
久しぶりに映画を観た。
ちょっとべたな感じはするけど、今年のアカデミー賞ナンバーワン映画「スラムドック$ミリオネア」を堪能した。


この作品は、私の好きな映画の1つでもある「トレインスポッティング」の監督・ダニー・ボイルと聞けば、観る前からちょっとワクワクしてしまった。
やはり彼の映画は私の期待を裏切らなかった。インド版「クイズ・ミリオネア」で主人公が勝ち進んでいく中、主人公のライフストーリーと解答が交錯していく。ダニー・ボイルならではの疾走するストーリー展開で、私をラストまで一気に引き込まれていった。

この作品は公開中でもあり、これから鑑賞する方もおられるだろうから詳細には語らず、記号化してお伝えしておこう。
インド社会の過去・現在・未来/圧倒的な格差問題/偶然性/ファンタスティック/Destiny≠運命/奇跡譚/機動性の高いストーリー展開/暴力的描写と幸福的描写/苛烈な宗教対立/
というのが、この作品のコアとなってくるんじゃないかな。

いずれにしても、この作品は私の中で今年一番であったということだけは確かである。

このように、GW期間中に私が感じ取った3つのクリエイティブ的揺らぎ。
その揺らぎの感覚は、
“...making its nature manifest to the very senses as well as to the intellect.” by Galileo Galilei
このフレーズへと帰結する。

Tuesday, May 05, 2009

My 100 Standards(3/100):HERMESのネクタイ

3つ目の愛用品の物語は、エルメスのネクタイである。
私は仕事を始める前から、祖父や父から多くのネクタイを譲り受けてきた。
その中でも、私が最も多くビジネス・シーンで愛用してきたのが、エルメスのネクタイではないだろうか。
このネクタイと私は受け継がれた愛情で結ばれていると言えるかもしれない。

エルメスのネクタイは、私をいつも楽しませてくれるし、他者をも楽しい気分にさせてくれる。
つまり、このネクタイ達は私を自由にしてくれるのだ。
21世紀の現在、ファッションなどを含む文化的価値観は、「かくあるべし」から「こうする」という風に変わってきている。例えば、ネクタイ1つ取ってみても、もはや「お仕着せ」ではなく自ら「選び取る」モノとなったんじゃないだろうか。これを男女の関係に例えるなら、役割分担と義務に縛られた夫婦から、惹かれあい求め合う恋人同士のそれへの変化と似ているようにさえ思える。

エルメスのネクタイ達


この写真のネクタイ達は、私のエルメスコレクションのほんの一部だが、一番今までよく結んできたモノ達である。イルカやシマウマなどの動物柄あり、ペガサスのような想像上の生き物柄あり、汽船柄やスカーフ柄ありと、ホント多様な色彩とデザインによって、私を長年楽しませてくれている。
以前読んだ本の中で、エルメスのネクタイに付加されたデザインには、様々なコンセプトやストーリーが含まれているというテクストを目にしたことがある。それだけ練り上げられたクリエイティブだからこそ、長年飽きが来ないんだろうと、妙に納得もした。

Cool Bizなどによって、特に夏場になるとネクタイを締めないビジネス・パーソンが増加している中、私はこのCommunicationの一部となっているファッション・アイテムを今後も結び続けていくだろう。エルメスのネクタイは自己表現の一部でもあるから。

最後に、エルメスのカタログに記されていたネクタイにまつわるテクストをお届けしよう。
“Why wear a Tie? For pleasure, for wanting to scintillate, for the taste of a challenge, or for the need to attract; but often, too, for the wish to express oneself, to deliver a clear message. That, without doubt, is the best reason, since it's the most eloquent.”
(訳)「ネクタイをする理由は色々。楽しみのため、自分を引き立てるため、気持ちを引き締め、己を鼓舞するため、誰かの目を惹き付けるため、などなど。でもそればかりではありません。ネクタイは自己表現の手段、意志を明確に伝える有用な媒体です。おそらくそれが、ネクタイをする一番の理由。人を納得させる手段として、これに勝るものはありません」

Friday, May 01, 2009

Phrases which continue affecting me

First blog in May will be studded with my favorite phrases.
First of all, I will introduce one book to use when I boiled down by making proposal and by making sentence.
It's book is "401 design meditations." This book has collected wisdom, insights, and intriguing thoughts from 244 leading visionaries.


Then I will introduce some particularly favorite phrases in this book.

● "Good design is good business." (Thomas Watson, Jr.; Founder of IBM)

● "Design is a response to social change." (George Nelson; Architect and Industrial Designer)

● "The good is not a category that interests me." (Rem Koolhaas; Architect, Principal of OMA, Netherlands)

● "However beautiful the strategy, you should occasionally look at the results." (Winston Churchill; Prime minister of England during World War Ⅱ)

● "Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once he grows up." (Pablo Picaso; Spanish-born painter and co-founder of Cubism)

These phrases continue still affecting me.

Thursday, April 30, 2009

My 100 Standards (2/100):MBA Diploma

私はこの季節がやってくると、11年前のあの日を思い出す。
1998年5月苦労の末、M.B.A.という経営学修士号を受け取った。
今回のMy 100 Standardsは、アメリカの経営大学院(=ビジネススクール)卒業時の思い出の品、“Diploma”である。”Diploma”とは日本でいえば、卒業証書に当たる。

Diploma & Academic Regalia(卒業ガウンと帽子)



Diploma内部(私が修士号を受けたのは、ハワイの大学院だったので、ハワイ独特の花文字でデザインされている)


M.B.A.とういのは、経営の実践的プロフェッショナルを養成する、まさに経営者養成の陸軍士官学校のような場である。その場は、ケーススタディあり、プレゼンテーションあり、多様なディベートあり、数百冊に渡るブックリストありなどで、全く気が抜けないフィールドである。
しかし、その過酷な知的格闘の場であるからこそ、多国籍な人種との友情であったり、多様な価値観・宗教観・文化観の共有が成されるのかもしれない。言い換えれば、ビジネススクールは私にとって人生の空港だったと言えるのかもしれない。世界中の様々な場所から多国籍な人々が同じ時期に1つの空港に集まり、やがて様々な場所へと飛び立って行く。

だから、本日紹介した“M.B.A. Diploma”は人生のパスポートみたいなモノかな。
パスポートと表現するからには、修士号を受け取って終わるのではなく、そのパスポートを自身でブラッシュアップしていかなければならない。
だから最後にこの有名なフレーズで、今回のblogを終えよう。

“When you're finished changing, you're finished” by Benjamin Franklin
→「変わることをやめたとき、それは終わったということなのだ」by ベンジャミン・フランクリン

Wednesday, April 29, 2009

顔の不可能性に出会った

以前、ベルギー在住の現代Artistの友人から、人間の手を描く難しさということを聞いたことがある。

先日足を運んだ、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代展」(於兵庫県立美術館)では、手ではなく、顔を描くことの多様性、困難さに出会った感じがした。
画家でもあり、彫刻家でもあったアルベルト・ジャコメッテイは、「顔を描くのは実にむずかしい。風景や静物ならまだ何とかなる。しかし顔を描くことはほとんど不可能に思われる、それに成功した人は1人としていない」と言い切っている。

私はプロフェッショナルなアーテイストの視線というものが分からないが、考えてみると、顔を描こうと思えば、我々は例えば建物の表象を上手く枠の中に収めるというような単なる構図的配慮ではなく、その周囲の空間の変容そのものを描かなければならないということは理解できる。しかし、言葉にしてしまえば簡単に思えても、実際に他者に影響を与えるような、クリエイティブに顔を描くとなると、私にとっては不可能のように思えてしまう。


そして私は、今回の展覧会でそんな顔の不可能性に出会った。
今回のExhibitionは、「表現主義的傾向の展開」「キュビズム的傾向の展開」「シュルレアリスム的傾向の展開」「カディンスキーとクレーの展開」と4つの断章に分けられ、パブロ・ピカソパウル・クレー達が若く才気溢れる創作意欲を持っていた1900年代初頭から、脂が乗りある一定のポジションを確立していた1940年前後までの作品群が、私に圧倒的な存在感を見せつけた。

その中でも、「キュビズム的傾向の展開」の章で展示されていたピカソの「鏡の前の女」に惹き付けられた。
そこに描かれた女性の顔は、口の位置が正面と側面を繋ぐ蝶番として機能していたが、他の作品では口が正面像にあたる顔の隅に描き込まれたりしており、その対照的な作風で観る者の視線に動的風景を見せつける。
巨匠・ピカソでさえも、顔に対しては多様なアクセスを試み、顔を描くということへの飽くなき欲望が伝わってきた。


皆さんも、顔の不可能性、巨匠達の顔への欲望を、覗いてみてはいかがだろう。

Monday, April 27, 2009

意味としてのPandemic

とあるNewsでは、「とうとうやって来た」と表現した。
何がやって来たのか、それは地球規模で近い将来起こると予想されているインフルエンザの感染爆発=Pandemicである。

先週末からメキシコを中心として、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、スペインなどで、ブタを媒介としたインフルエンザが人へと感染し、また一部では人から人への限定的感染が見え始めたというのだ。

Google Mapに見るブタインフルエンザの世界的広がり

しかし、私はこのNewsを聞いて少しの疑問を感じた。
確かPandemicは、鳥インフルエンザから発生する可能性が高いという報道が大部分を占めていたはずなのに、今回の報道を聞いていると、まるでブタインフルエンザが当初から感染爆発の根源であったかのような錯覚さえ覚える。
では、なぜそのような錯覚を私は感じるのか?

H1N1 Swine Flu Virus

以前読んだスーザン・ソンタグの著書・「隠喩としての病い」の中で書かれていたことを思い出した。
ソンタグ自身が癌患者だった経験から、癌という語が悪性で解決不可能な事態を指す比喩として用いられていることが、癌患者を苦しめているという内容であった。
これを今回の事象に当て嵌めると、鳥インフルエンザという語がパンデミックという未知の病原体のもたらす死の恐怖の比喩として置き換えられてしまい、今回のブタインフルエンザなど新たな事象が生じた場合、ジャーナリズムが少なからず思考停止状態を起こしてしまっているという感じがするのだ。
鳥インフルエンザという言葉が、記号的に一人歩きし、パンデミックの本質を見誤らせてしまうという懸念が浮かび上がってくる。

文明史的視点で見ると、古代文明以来、「ハンセン病」が最も長期間記号論的に支配的な病だったと考えられる。世界宗教と呼ばれるような宗教で、例えば「ヨブ記」では明示的ではないにせよ、何らかの形で、「ハンセン病」を「罪」や「苦」の象徴として捉えている。それ以外でも、中世文学では「ペスト」が支配的な意味の源泉となっている。

私達は今回のブタインフルエンザの事象について考える必要があるのは、「意味としての病」についてである。鳥にせよブタにせよ、動物を媒介して変異するであろうインフルエンザという言葉が、身体的な病としてだけではなく、宗教的・文学的な「意味」として機能し始めていることに我々は注視すべきである。
「意味としてのPandemic」には、個人レベルでも、国家レベルでも、危うさを秘めている。

Wednesday, April 22, 2009

1つの雑誌の終焉に思うこと

今日私が手にした1つの雑誌は、30年間という歴史に幕を閉じた。
その雑誌の名前は、「広告批評」。

広告批評最終号の巻頭言では、「広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけでじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵でもあるからです。・・・・」このようなテクストで始めている。

最終号の表紙デザインは、実にミニマルにホワイト一色で、表紙のど真ん中に「30年間ありがとうございました。」と切り絵風の広告批評というタイトルだけという潔さである。まさに、立つ鳥跡を濁さずという感じだろうか。


私はこの雑誌の特集が結構好きで、書店で面白い特集が目に付くと購入し、楽しみながら触発されていた。
私自身この雑誌に思い入れがあるのは、ビジネス的にも、ブランド、クリエイティブ、デザイン、広告などのキーワードで括られる世界に属してきたことが関係しているかもしれない。

この雑誌が消滅することに意味はあるのだろうか?
今の時代、広告やクリエイティブというビジネス領域は、多様なメディアの元で表現される。TVCM、ラジオ、インターネット、紙媒体など、その表現領域は蜘蛛の巣(=Web)のようにグローバルに展開する。
広告批評社主の天野祐吉は、広告批評の30年というテクストの中で、「世間話のように、広告を語り合える雑誌を作りたいと思った。その視点は、専門家の目ではなく野次馬の目で、書き言葉より話し言葉で」と述べている。
広告などのコミュニケーション領域は、そのような柔らかい目線では捉えきれないくらい、多様に広がってしまったのではないだろうか。blog、SNS、ホームページなどのバーチャル・コミュニティの発展によって、個人が誰でも発信でき、批評できる環境が創造されてしまった。書評1つ取ってみても、本屋の店員がポップを立てる、またAmazonで読者がコメントを書くという感じになる。つまり批評という領域では、大文字の批評家や評論誌の存在意義が脆弱になりつつある。

このような大きな潮流の中で私が考えるのは、それでも広告批評のような雑誌や、マクロな意味での批評は必要なんじゃないかと思う。批評=Critiqueが脆弱な社会というモノは、共有する物語や言葉が衰弱している証拠だろうし、そんな世の中に私は面白みを感じない。それに、雑誌の「雑」という部分、要するに多彩なオピニオンが交錯し、批判し、喧嘩できる場がなくなることにこそ、私は危惧を覚える。

今回1つの雑誌の終焉に、私はこんなことを考えてしまった。

Friday, April 10, 2009

My 100 Standards (1/100):Charvetのクレリックシャツ

さて、私とモノとの100のストーリー。第1回目は、「Charvetのクレリックシャツ」との物語。

私がこのシャツの存在を知ったのは、ある書籍でフランスのドゴール大統領やアメリカのJ.F.ケネディ大統領が着ていたシャツがCharvetのシャツだと分かった時であろうか。そのシャツに宿った歴史的重みに、私は心を動かされた。
Charvetは世界で初めて注文シャツの専門店として1838年の創業以来、「Executiveのための品の良い趣味」を提案し続けるパリの老舗である。150年以上に渡って、そのハイ・クォリテイから先の両大統領をはじめ、イギリス王室やハリウッドスターといった世界の要人や著名人が「Charvet」の顧客として名を連ねている。シャルベも今ではトータルにアイテムを展開しているが、それら全てにシャツ創造のノウハウとセンスが活かされ、継続的高品質の職人気質が息づいている。


私が愛するCharvetのシャツの中でも、特にクレリックシャツが好きである。特に、ブルー・ストライプのこの写真のクレリックが、長年私のビジネス現場での活力となっている。このブルー・ストライプのクレリックは、もう3代目になる。初めて購入したのは、フランスへ旅した大学時代(今から20年以上前になる)に、パリの本店だった。ホントはオーダーしたかったのだが、時間的ゆとりもなく、プレタポルテで我慢した。しかし、初めてこの憧れのシャツに手を通した時、何とも言えない高揚感に襲われたことが昨日のように思い出される。

このシャツの魅力は、20年以上を経た今でも色褪せない。クレリックのダブルカフスなので、カフスリンクでも遊べるし、ネクタイの多様なデザインでも楽しめる。この写真では、ネイビーのHERMESの晴れ男タイ(大剣に太陽マーク、小剣にちっちゃな男性が喜んでるデザイン)と、ネイビーのカフスリンクを合わせている。しかし、重要な会議やプレゼンの時には、深紅のパワータイを付けて気持を高ぶらせたりもする。

私はこのホワイトの襟にブルーストライプのシャツを、今後も着続け、愛し続けるだろう。

Thursday, April 09, 2009

My 100 Standards (0/100)

それはある一冊の本を読み返して思い付いた。
私はこのblogを通じて、多様な事象に対する思考の断片を記してきた。
でもそれは殆どの場合、外発的なことであり、内発的なことには余り触れていない。


その書とは、フランスの詩人、文学者、シュルレアリストであるアンドレ・ブルトンの自伝的小説「ナジャ」。その実験的小説の冒頭、「私は誰か?これは結局、私が誰とつきあっているかを知りさえすればいい。自分は一体どんな人間なのか?」という問いかけで始まる。そして、「その人を知りたければ、その人が付き合っている親しい友人が誰なのかを知れば、1つやふたつは、その人の本性を垣間見れるだろう。少なくとも人としての種類は分かる」と続けていく。

そこで思ったのは、私と他者との関係性ではなく、モノとの関係性であった。
私は日常の中で、様々なモノと接しているが、その中には自身が長年愛用しているモノ、新たな出会いで好きになったモノ、など関係性も様々である。周りを見回すと、書籍、服、時計、靴、鞄、文房具、デジタル・ガジェット、アート作品、CD、など多彩なモノが溢れている。

そこで、私はそのモノ達との関係性を、100のストーリーで、今後定期的にこのblogで語っていきたい。
題して、「My 100 Standards」。
100のモノとの出会い、100のモノとの関係を語っていくこにより、「私」という人間の本性が少しでも理解していただけたら幸いである。
100のモノを語り尽くすというのはそんな簡単なことではないだろうが、モノと向き合って思考することで、その愛用品達の美しさも表現できたらと思う。

「ナジャ」の最後のテクストは、次のフレーズで締めくくられる。
「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう」と。
100のモノには、100のストーリーと、100の美しさがあるはずだから。

Tuesday, April 07, 2009

風姿花伝的桜の鑑賞

先日7~8分咲きの桜を鑑賞するため、兵庫県西宮市の夙川公園へ出かけた。
まだ満開でなく、花散らしにはまだ遠い桜を眺めていると、随分前に読んだ世阿弥の「風姿花伝」が頭に浮かんだ。
世阿弥は言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を確立したのだが、その能を鑑賞する観客達に感動を与える力を「花」として表現した。世阿弥は自身が能を表現する中で、どんな花を思い描きながら演じたのであろう。やはり、それは桜ではなかったろうか。桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出してきた日本人の原風景がそこにあるはずだから。

さてその原風景を求めて、私は神戸から夙川公園へと、カメラのシャッターを押し続けた。

神戸自宅前の公園の大島桜


生田神社の桜



そして夙川公園のソメイヨシノへ




























皆さんは今年、どんな桜に出会いましたか?

Wednesday, April 01, 2009

Memory of March to New Normal of April

My memory of March 2009 is focused on doing WBC victory.
A piece of March Memory is in the following Photo:
Empire State BLDG celebrating Japanese baseball as No.1.


And now, April starts!!
In Japan, April is the month for new departure.
So, on the occasion of this new departure, I will discuss the keyword expressed “New Normal.”
I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
In general, The cocept of “New Normal” created by Roger McNamee is built through the following five points: 1) The power of Individual, 2) The diversification of the choices, 3) The importance of the decisions , 4) Technology & Globalization, and 5) Occupation.


Here, I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
For example, young Japanese consumers have turned their attention to local brands, which offer not because of price but for the uniqueness. Designers from the high-end and manufacturers known more for value are entering into arranged marriages outside of their social standing.
Comme de Garcon's highly successful collaboration with H&M raised awareness for the retailer because Ms. Rei Kawakubo is not your "normal" attractive brand designer.
In addition, two weeks ago,the announcement of Jil Sander's new partnership with Uniqlo performed both the designer and Mr. Tadashi Yanai.

Jil Sander & Uniqlo

The new world order means that collaborations are the new order where unlikely relationships will equal survival or growth. Perhaps, in Japan where the history of the brand collaborations is the deepest, such a strategy may prove whether an occasional exclusive product and PR are worth being more than it. What is interesting about the Jil Sander and Uniqlo partnership is that both pride themselves on high quality within their respective price category. Some of the early newsmaking collaborations often lacked in quality and a contemporary expression of “value”, which will be important in today's culture of “New Normal.”

Under our global economic crisis, we must focus more on the above viewpoints of “New Normal.”

Anyway, How was your April Fool's Day?

Sunday, March 29, 2009

春の息吹に誘われて。。

今年初めて、桜を目にした。
まだ4~5分咲きのその花は、いずれ満開に咲き誇り、やがて散り消えゆく運命。古来から日本人は、桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出し、愛でてきたはずです。

随分前に読んだ小林秀雄の対話集の中で次のように述べていたと記憶している。西洋と東洋とは自然観がまるで異なる。西洋の合理主義精神、科学精神、そういうものは、自然との敵対関係から生まれてきたものかもしれない、と美についての一節で論じていた。つまり、小林が言いたかったのは、日本では桜などの花が季節の到来を報せ、その花の見せる繊細な美しさと儚さを感じる美の発見的な要素が、日本人の精神の中には息づいていると言うことではないだろうか。

私はその美の発見の瞬間に遭遇したのだ。





Tuesday, March 24, 2009

日本「野球」が世界に轟いた日

2009年3月24日は、日本と世界の野球好きにとっては、新たに記憶される日となった。
日本は、World Baseball Classic準決勝でベースボール発祥国・アメリカ、そして決勝戦で昨年の北京五輪金メダル・韓国をそれぞれ破って、真の世界チャンピオンの座に付いた。それも、2006年に続いてのV2である。


今までベースボールというモノは、アメリカ中心のスポーツであり、マッチョでパワーヒッターが揃い、体力勝負という面が多々見られた。しかし、日本の「野球」は、スコアラーが緻密に分析したデータをベースに戦略・戦術を立案し、バント、ヒットエンドラン、ランエンドヒット、盗塁などを駆使してオフェンスを組み立てていく。そしてデフェンス面では、優秀なピッチャー陣を先発・中継ぎ・抑えとして、頑強な守りを構築する。これら、スモール・ベースボールを標榜する日本「野球」が本日世界舞台で結実した。
Web Newsによると、日本在住の中国人が、「日本に来て野球に興味を持つようになった。WBCでは日本を応援した。今日の決勝戦には興奮した。日本野球の魅力をあらためて感じ、不撓不屈の日本人の精神に感動した」と述べたという記事を掲載した。ここにも、日本「野球」の世界的浸透が見て取れる。


世界の趨勢は、ビッグ・ベースボールからスモール・ベースボールへ。
その体現者であるイチローが、今日の決勝打を放ったことにも、本当に意義深いモノがあったのではないだろうか。

私の視線は既に、第3回World baseball Classicの2013年へ注がれている。

今日配られた号外(Thanks to Ms. EK)

最後に、ホンマによくやった(/\)チャチャチャチャ \(^o^)/ハッ!!侍Japan。
世界制覇、Congratulations\(^^@)/

Friday, March 20, 2009

幸せの物差し

先日ミーティングへ移動中の電車の中で、ある雑誌を読んでいた。
その雑誌とは、最近リニューアルされた「広告」。
クリエイティブ、デザインなどのCommunication領域で仕事をする人々がよく手に取る雑誌だ。


リニューアルにあたって、この雑誌が特集したのが「新しい幸せのものさし」。ここ数年、様々なメディアを通して我々の耳に届く事象は、飽和した金融資本主義の崩壊、戦争や紛争での多くの死、人知を越えた自然災害の発生、地域コミュニティや家族の崩壊、理不尽な凶悪犯罪など、深刻な内容ばかりである。こんな状況の中にも、我々の「幸せ」は存在するのか?この素朴な疑問から、この雑誌の特集は新たな時代の発想の価値観として、「幸せ」や「豊かさ」を捉え、これらの概念を新たな尺度で再考してみようというモノ。

この特集の中で特に私が興味を持って眺めたのが、「幸せに繋がる三種の神器」。
ここでは、有名・無名を問わずに2009年の今、個々人が何を自分の宝物と考え、これからの幸せのために必要な三種をチョイスし、提示している。
私は短い移動途中に、自分にとっての「幸せに繋がる三種の神器」をぼんやり考えてみた。

思い浮かんだのは、

★ 未だ見ぬ「知」との遭遇 → これこそ、私自身の今までの人生で、常に追求してきた知的エクスタシーの源泉ではないか。
★ 俯瞰的クリエイティブ・アンテナ → 鳥の視線のように、高所から全体を広く見つめ、自信のアンテナに引っ掛かる一味違う音楽、アート、ファッション、デザインなどを集約・分析し、自身の感性を高めていく(この神器については、実験的に某SNSでPhoto Blogとして実行中)
★ 多様なネットワーク形成 → 私は凄く社交的ではないが、様々な集まり、交流会、パーティーなどに顔を出し、自分とは違う領域の人々と人脈形成していくことが高い付加価値を創造すると考える。

これら三種の神器が、今の私のビジネス&プライベートにおける「幸せ」に繋がってると思う。

皆さんのオリジナル版「幸せに繋がる三種の神器」を聞かせてください!!

Monday, March 16, 2009

Creative Thinking Video

今日のblogはちょこっと手抜きで、私が最近気になったヴィデオをご紹介!!
以下のヴィデオは、私のクリエイティブ魂を揺さぶる。
モバイルで見ていただいてる方には、申し訳ないです。機会があったら、PCで見てください。

まずは、私がいつも注視する組織、IDEOのGeneral Managerであるトム・ケリーの講演ヴィデオ。
ここには、デザイン・コンサルティング・ファームの1つのエッセンスが詰まっている。

Innovation Made Personal


Tom Kelley, the highly acclaimed general manager of IDEO and author of best-selling books on creativity, targets his thoughts on corporate creativity to the inexperienced student - and how the young innovator can learn to foster the nature of creativity for life. He urges entrepreneurial thinkers to resist the forces that chip away at creative energy, and encourages an effort toward innovation to remain young at heart.

次に、1999年に米国ABCテレビ「ナイトライン」で放映された、同じIDEOのイノベーション・プロセスを一般消費者に見せた、「ディープ・ダイブ - イノベーションを生むためのある会社の秘密兵器」という番組である。当時、この番組はアメリカ社会でも凄い反響を見せ、アメリカの友人がわざわざヴィデオを送ってくれたぐらい。
この番組の見所は、古くから形を変えないショッピング・カートをたった5日間で完全にRe-Designしてしまう部分。ここには、IDEOのクリエイティブに対するエッセンスが散りばめられていて、大変興味深い。
では、ご覧いただこう。

IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 1)


IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 2)


IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 3)


最後に、Undercover(アンダーカバー)デザイナー・高橋盾が、09-10A/Wメンズ・コレクションについて語っているモノ。毎回、世界中のファッション・ピープルを驚かせるコレクションを展開する高橋盾。彼の今回のコレクションでのテーマは、“EARMUFF MANIAC” evolving comfortでニットとハイテクを軸にしたデザイン。そのテーマ観について語る高橋盾の言葉にも、クリエイティブの真髄が垣間見える。

Jun Takashi aka Undercover on his first men's show and exhibition at Pitti