Friday, November 23, 2007

”Visionary"2007前半:ネームペンから見えてきたWithout Thought思考

今年前半に、私は神戸のステーショナリーショップで、凄く手になじみ易いネームペンを購入した。ちなみにネームペンとは、ボールペンに印鑑が付加された例のものである。このペンは、ユーザビリティに富んでいるだけではなく、デザイン性も他を圧倒するものがあった。まずは現物をご覧あれ。



もっとクリアな画像をお望みの方には、

























このシヤチハタ製のネームペンを購入してから分かったことなのだが、なんと私が以前このブログの「Creative考」の中でもふれた深澤直人氏デザインのペンだったのだ。何たる偶然。これも、私のSerendipityであろうか。

以前から、私は深澤直人氏の仕事に大変興味を持って眺めている。しかし、今回氏の仕事を良く知っている人から見ると、なぜネームペンなの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。私もその1人で、なぜ日本を代表するプロダクトデザイナーがネームペンのデザインなのか?この疑問に対する答えが、氏の著書である「デザインの輪郭」で明らかにされている。



それは、彼のデザインする際の基本姿勢である"Without Thought"から来ているように思える。"Without Thought"を直訳すると「思考せずに」になるのだろうが、人は無意識にモノ(物事)と関わってるということを、このフレーズで伝えたいのであろう。氏の著書の中では、行為に溶けるデザイン(デザインは存在し、目的も達しているが、モノ自体は消える)とも表現される。傘立てが無い所に傘を立てる、傘の柄にモノを掛ける、などの人間が「無意識に」、「無自覚に」、あるいは「考えずに」という概念に光を当てる。深澤氏のデザインを体現しているこの思考こそが、今回私が手にした、誰もが日常普通に使用しているペンに印鑑を付加した「ネームペン」のデザインへ向かわせたのではないだろうか。

この"Without Thought" = 「行為に溶けるデザイン」というデザイン思考は、ジェームス・ギブソンの創造した用語、"Affordance"にも言い換えられる。日常で人々が普通に行う行為(アフォーダンス)を、深澤氏がデザインした「リモワ・スーツケース椅子」にも見て取れる。この場合の行為とは、飛行場などでスーツケースに座ったりする行為である。実にユーモア溢れる、ユニークなデザインに帰結している。





















一般的にハイスペック信仰みたいなものが、結構行き詰まりを見せている。私が見ていて感じるのは、人間側のハードディスク容量がもういっぱいいっぱいになってるように見える。例えば、Digital Gadgetや家電製品などを例に取っても、その多機能性を補完するために分厚い説明書を付加してくるが、私なんかは殆ど読まずに感覚的に触って憶えている。これからは、もっと直感的な操作性や、感覚的にその良さが分かるものが重要になってくるんじゃないだろうか。その意味でも今回取り上げた深澤氏の"Without Thought"思考によるネームペンのように、限界までデザイン性を削ぎ落とし、直感に訴えることこそが、時代を先取りしているように感じる。

Tuesday, November 06, 2007

日本初!!

11月最初の更新は、いつもとは少し趣向を変えて、軽めの話題で行きます。
とはいっても、今年私の思考の中心となっている"Creative"が今回の内容にも少しは反映されているかな。

最近WEB情報の中で興味を持った話題、"Auction"について紹介してみたい。
皆さんは、オークションと聞いて何を思い浮かべますか?例えば、ヤフー・オークションのようなInternetに特化されたオークション、それとも西欧社会で長い歴史と経験を積み重ねている"Sotheby's"や"Christie's"などの本格的オークションだろうか。
私は随分前から、Sotheby'sなどの本格的オークションハウスのカタログを眺めるのが好きだった。世界の目利きが集まり、競売にかける一級の商品をカタログ越しではあるが覗いてみると、その商品の歴史性や背景などが分かり、ワクワクしたものだ。

そんな本格的オークションハウスが日本にも登場する。全世界のモダンデザインを中心とした、日本初の本格的オークションハウスの名前は、"Connect."。



ここでは、CHARLES & RAY EAMES、GEORGE NELSON & ASSOCIATES、ARNE JACOBSENなどなど、クリエイティブを活性化させる創造物が続々出品される。
Preview Startが11月22日、Auction Startが11月26日午前10時~
ここから、新たな潮流が起こることを少し期待している。

Monday, October 29, 2007

瓢亭:五感を駆使して食する











私はこのブログで、Gourmet的記事に関しては極力避けてきた。
Gourmetというのは独りよがりの所もあるし、このブログの方向性:"Think-Write"(書いて考える)には適していないかなぁ、と考えていたからだ。

しかし先日訪れた「瓢亭」には、その店の入り口を潜った瞬間から、私の思考を活性化させ、ここの料理には五感を研ぎ澄ませて臨まねばという感覚を覚えた。こんな感じを覚えたのは、神戸の伝説のフランス料理店であった「ジャン・ムーラン」以来だろうか。





この感覚というのは、料理&空間(客室=茶室)&ホスピタリティの三重奏から来ていることが、全ての食事を味わった後に波のように私の精神に押し寄せた。このように、五感を駆使して味わう料理には、1999年に食の世界に新しい価値観として登場したアレクサンドル・カマスが提示した"Fooding(= Food + Feeling)"という概念がピッタリ来る。"Fooding"とは、目・鼻・耳などの全ての感覚を使って料理を評価しようというもの。
でもこの概念は今に始まったわけではなく、私が以前このブログでも取り上げた北大路魯山人が実践していた。魯山人自身がトータルプロデュースした「星ヶ岡茶寮」では、料理の味が良いのは当然で、大事なのは食をいかに総合的に楽しめるかであった。400年の歴史と現在の日本で最高ランクの懐石を提供している瓢亭にも魯山人が残した精神が引き継がれているかのようであった。

では、私が五感を駆使して味わった料理の数々をお目にかけよう。





瓢亭の真髄が見られる「半熟鶏卵」








今年初めての松茸:土瓶蒸し&松茸ご飯




この柿が秀逸:完熟した柿が、ゼリーのような感触と、品の良い甘さを醸成していた




瓢亭へ誘ってくれたMr. Hにこの場を借りてThanks a lot!!の気持ちを伝えておこう。

最後に、今回の瓢亭の食のトータルデザインを、北大路魯山人の言葉で纏めておこう。
「味覚と形の美は切っても切れない関係にある」

この魅惑の食の場を体験してみたい方は、次のアクセスマップを参考に。

Friday, October 19, 2007

ファッションショーにおける発想の転換から見えたこと

ちょっと面白い発想の転換に繋がる出来事が私のアンテナに触れた。

先日行われた"The Wind by Issey Miyake with James Dyson"と銘打たれたファッションショーがそれである。



三宅一生とあのサイクロン掃除機で有名なJames Dysonが先日パリで「the wind」というテーマでコラボレーションしたのである。
三宅一生とダイソンの共通項は何かと考えた時、それは常に"Innovation"を追求してきたことにあるのではないか。時代のトレンドにアンチテーゼを投げかけ、その都度様々な批判に晒されながらも力強く前進する。両者にはその強い意志と、凄みみたいなものの存在を感じる。

今回のショーにおけるエッセンスとして、「発想力」、「具現化力」、「創発力」の3つが挙げられると思う。イッセイミヤケとジェームス・ダイソンという二人の著名なInnovative Creatorが織り成した今回のショーでは、一般的には縁遠いと思われる洋服と掃除機、それぞれのコンセプトを噛み砕いて、デザインとエンジニアリングは常に対で共存するという「大文字の」テーマを社会へ発信したことに意義があったのではないか。2つの異質な存在が手を組み、今回で言えば1つのイベントに昇華させようという「発想」。そして、ダイソンがステージセットを担当し、ファッションショーのランウェイを掃除機のホースからイッセイミヤケの服をまとったモデル達が(時代と言う)風に吹かれて登場してくるという「具現化」。ただ単に奇を衒ったということではない、デザインとエンジニアリングの共生というメッセージが発信された「創発」。

私がここで挙げた3つのエッセンスは、現在世界中の様々な業界で行われているコラボレーションのキモになるでしょう。一般的に違った領域同士でのコラボレーションは、違った価値を持ったもの同士が交配することによって、化学反応を起こし、相乗効果を持った商品であったり、サービスが生まれることを期待される。しかし実際には、ただ単に「コラボしました」的な事柄が多いのではないだろうか。
折角知恵を絞ったコラボレーションであっても、シナジー効果を創造する商品やサービスを具現化し、期待以上の着地を見せなければ意味が無い。

今回の出来事は、ビジネス現場にとってもメルクマールとなるのではないだろうか。

Monday, October 08, 2007

"Visionary"2007前半:Creative考

"Visionary"シリーズ第3弾は、ここ数年私の仕事とも密接に関係している"Creative"について考えてみたい。

私は今まで、マネジメントという事柄に多く関わってきた。経営というフィールドでは戦略や戦術をいかにLogicalに説得していくかという、左脳的世界に安住していたように思う。これでは、現在の不確実なビジネス環境において限界がある。そこで今年前半私は、精力的に右脳的世界の住人であるファッション・デザイナー、建築家、プロダクト・デザイナーなどとの対話を繰り返してきた。その対話の中で繰り返し出てきたキーワードが、"Creative"であった。クリエイティブという言葉は、直訳すると「創造的な」と言うことになるのだが、その言葉の奥底には「何が良いモノかを洞察する審美眼的な」というInsight的な意味合いも含まれているように思う。マネジメントとは、ヒト、カネ、モノなどの目利き力を持った形で捉えられるべきである。この私の思考角度にブレがないと感じたのは、今年になってビジネス専門誌などがデザイン思考力などに関する特集を組んだことにも現れているように感じる。

もう1つ"Creative"と関連付けられる事象として挙げられるのが、活気ある都市創造や人材育成のキーワードとして今年になって日本でも注目されるようになってきた"Creative Class"がある。聞き慣れない方もおられるかもしれないが、米国で今から5年前の2002年、都市経済学者のDr. Richard Floridaが"The Rise of the Creative Class"という書を著し、このフレーズが一気に世界的注目を浴びることになる。
簡単に言ってしまうと、Creative Classとは、アイデア、技術、コンテンツの創造で経済成長エンジンを担う人々を指す。そのコアは、科学者、エンジニア、建築家、デザイナー、教育者、アーティスト、ミュージシャン、エンタティナーなどが含まれる。ビジネス、金融、法律、医療、といった自律的に複雑な問題解決を扱うKnowledge Workerも含む。このKnowledge Workerの概念は、2年前に亡くなった現代経営学の発明者:Dr. Peter Druckerが唱えたもので、Dr. Floridaはこの概念も取り込んでいる。今後の世界市場における競争力は、これら"Creative Class"が好んで住むエリアおよび都市から生まれてくるのかも知れない。


では、この"Creative"にいち早く着目し、"Creative"を自分達の中で昇華し、実行している組織があるのかと考えたとき、直ぐに頭に浮かんだのが"IDEO"であった。私はアメリカ留学時期より、この企業の進化をキャッチ・アップしてきた。日本の土壌にはなかなか生まれないであろう、デザイン・コンサルティング・ファーム:IDEOは、あの深澤直人氏が籍を置いていたことでも知られている。この一種特殊なファームは、独特なデザインソリューション手法:より良い顧客経験をデザインするための5つのステップ(Observation、Brainstorming、Rapid Prototyping、Refining、Implementation)を駆使して、"Creative Economy"の先端を走り続けている。このような他者をワクワクさせる企業が、もっと日本にも誕生してもらいたい。
























私は今後も、"Creative"な組織、人、モノをこのブログを通じて紹介したいし、私自身も今以上にデザイン思考力を磨き、真の"Creative Class"の仲間入りができるように精進していきたいと思う、今日この頃である。

Monday, September 17, 2007

私の頭の中?

この三連休、皆さんはいかがお過ごしだろうか?
ブログも休みモードの、緩い話題を少し。

皆さんはご存じだろうか、今年になって密かにバーチャル上で話題になっている「脳内メーカー」というお遊びサイトを。現在注目の麻生太郎も、自民党総裁選の街頭演説でこのサイトを紹介してたりと、なんか盛り上がってる感じ。

私もこの休みの暇な時間に試してみた。
まずは、ハンドルネームでは、





















こんな感じ。

そして、私の本名では、





















こういう具合になる。

だからどうだと言われると、困るのだが、まあこういうスローなブログの日があっても良いのでは。
しかし、私の本名の頭の中は凄い俗人って感じがするなぁ。。。
皆さんも試してみては。

Thursday, September 13, 2007

あいまいな国の宰相:3つのキーワード

今回は昨日の出来事を受けて、急遽"Visionary"シリーズをお休みし、「あいまいな国のリーダー」について考えてみたい。といっても、ここで政治論や日本人論を展開しようなどとはさらさら考えていないので、あしからず。

しかし、事件というものは突発的に起こるものである。今回の出来事は、グローバルな視点で見ると「事件」と表現しても良いだろう。先進国、経済大国、Cool Japan、などといわれている国家のトップの作法がこんなものなのかと、世界中が目撃してしまったのだから。

今回の事件を見る場合、私は以下の3つのキーワードがすぐに頭に思い浮かんだ。

一つ目は、安倍首相の言説である。
彼は昨年首相に就任してから、様々な場所で「美しい国、日本」という言論を展開してきた。
私などは、このフレーズを聞いて、日本の伝統への回帰を唱えた日本浪漫派、または、川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」が思い起こされた。しかし実際は、安倍首相の言説をメディアを通して聞いてみると、その曖昧模糊さから、これは大江健三郎が今から13年前のこれまたノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」の方が適当かなと思い至った。
この数ヶ月間で見えてきた年金問題、政治と金などのambiguousな事象の結末が、昨日の辞任表明であったことを考えれば、余りにも寂しい感じはするけれども。



次に、企業のマネジメント・サイドとの関係を多く持ってきた私が考える「リーダーシップ」についてである。極論すると、組織のリーダーであれ、国家のリーダーであれ、次の3つのポイントは必ず押さえておかねばならない。

1)説明責任
2)グランドデザイン構築力
3)出処進退の潔さ

安倍首相にはこの3つが欠如していたのではないだろうか?昨日の事象は、3)の欠如。任命権者たる安倍首相が選択した大臣達の不明瞭な動向、年金問題、国会運営、などに関する事柄に関して言えば、1)の欠如。そして極めつけは、国家のリーダーであれば絶対必要な2)の欠如。これに関して言えば、安倍首相は様々な危機的状況:年金問題、テロ特措法、参院選惨敗などに対して、内閣改造や農水大臣の首のすげ替えなど小手先のTacticsに走りすぎていたのではないだろうか。国家のグランドデザインを描くときは、先に述べたワンフレーズなどではなく、問題が起こる前にリーダー自身の先見性や洞察力(=Insight)によって、事実を把握し、仮説を構築し、実行していくというシナリオを何本も持っておく必要があるのではないだろうか。安倍首相にはこれがなかった。
考えてみると、私が実際に見てきた企業の経営者にもなかなかこの3つのポイントが備わっている人物がいなかったことは確かである。でも国家元首であれば、この3つの素養ぐらいは備えておいて欲しい。
安倍首相に敗者復活の場が用意されるのであれば、これらに思いを巡らせて頑張って欲しい。

最後のキーワードは、「参謀」である。
先週亡くなった、第二次世界大戦中には関東軍参謀、戦後は伊藤忠商事会長、中曽根内閣のブレーンとして活躍した瀬島龍三のような人材を安倍内閣は持ち得なかった悲劇があろう。
どんな組織でも良質な参謀は必要で、リーダーになる人物はトップに立つ準備として、この参謀を見つけることが求められる。彼に関する評伝を読んでいると、瀬島龍三は帝国陸軍参謀として養われたLogicalな思考を身に付けた人物だったようだ。彼は未来に起こるであろう問題に備え、その事柄を他者に伝える手法として、シナリオA案、B案、C案、・・・、そしてA案に対してのA'、B案に対してのB'・・・・、という感じに、明解なグランドデザイン=戦略を部下達に指示したという。
安倍首相にこのような人材が一人でもブレーンとして存在したら、現在のような状況は回避できていたかもしれない。

現在リーダーである人、これからリーダーになろうとしている人、これらの人達はこの3つのキーワードを肝に銘じて職責を全うして貰いたい。

Tuesday, September 11, 2007

"Visionary"2007前半:Gadget(SONY編)

私は結構ソニー派なのかもしれない。
アメリカ留学時は、AppleのPowerbookでバリバリ論文書いてたんだけど、当時のサポートの悪さとかで、日本へ戻ってからはPCもVAIOを愛用している。でも、最近私の周りがMacを使っている比率が高くなってきたり、今年発売される次期OSを見ていると、ちょっとMac回帰の気持ちが高まっている。

さてそんな私が今年ちょっと面白いかなと思って購入したのが、SONYの「mylo」。

My myloはこんな感じで、



これは先行で米国で発売されたんだけど、SONYとしては久々に機能的にはちょっとエンターテイメント系に振った感じかな。これで私は外部で仕事をしていても、Gmailに来たメールをチェックしたり、WEB見たり、など結構利用してます。難点をいえば、アクセスポイントが限定的なこと、それに私個人の意見としてはもう少しPDA的機能の充実を図って欲しかった。でも、Skype機能も入っているので、電話として使えるとこはいい感じ。

まあ、SONYならではのユーザーインターフェースが秀逸な所なんかは、SONY健在を大いにアピールできていると思いますね。もう少し機能性を重視するのであれば、iPhoneみたいにタッチパネルにして欲しかったです。Apple社のようにコミュニケーションツールの優位性をもっと表面化させる戦略を、SONYも今後は重視して欲しいですね。

そんなSONYが次に市場に送り出すのが、




これだったりする。詳しくは、こちら
昨日から先行予約開始、うーーん買ってしまうかも。

Thursday, September 06, 2007

"Visionary"2007前半:タイガースの勝利は、あのBGMと共に

再起動などと言っておきながら、またまた更新が遅れてしまった。。。

前回の更新でもお知らせしたましたように、今年前半に私のアンテナに引っかかってきた事象を"Visionary"シリーズとしてお届けしてみたい。
栄えあるシリーズ1回目は、やはり今年も後半に追い込みをかける「阪神タイガース」についてである。
昨年9月29日付のブログでも、タイガースについて熱く語らせてもらった。今回はある一人の投手と音楽の相関関係について、軽く語ってみたい。

昨夜の横浜戦で、我らがタイガースが4月12日以来のセリーグ第2位に躍進!!!
今晩の横浜戦にも勝って、7連勝、そしてクライマックスシリーズへのマジック点灯へ。

それにしても、ここ数年の阪神タイガースの勝負に対するこだわりは、我々ファンの心に響くものがありますね。阪神の強み=競争優位性はどこにあるのかと考えたとき、それはやはり投手陣、特に「JFK」と呼ばれる3投手の頑張りによるものではないか。その中でも、今の打撃優位と言われるベースボールの世界で、ストレートに独自の強みを持って向かっていく「藤川球児」のスタイルに私はいつも熱いものが込み上てくるのを感じるのだ。




皆さんは知っているだろうか、藤川投手がマウンドにクローザーとして登っていくとき、甲子園球場にファンの声援とポリフォニックにこだまするBGMを、"every little thing every precious thing"



LINDBERGが歌うこの楽曲を今夜も聞けますように(笑)

Monday, August 06, 2007

Reboot!!再起動!!、そして。。。

皆さん、大変、大変ご無沙汰しております。
前回更新から、な・な・なんと、半年以上もたってしまった。
仕事の多忙さ、プライベートでの様々な事象にかまけて、ブログ更新をサボりまくってしまった。
今年も半分以上が過ぎ去った中で、そろそろこのブログも再起動させねばと、久々の更新に至った。

私は昨年最後のブログの中で、自分の思考様式はアモルファス=不定型であると述べた。今年も半分が過ぎ去ってしまった現実の中、私が不定型に考え、行動したことに関して、次回以降では書き綴ってみたい。

今年の前半の自分自身が関心を持ったビジネス、アート、読書、ファッションなどを、"Visionary"シリーズとして、何回かに分けて書いてみよう。ちなみに、"Visionary"とは、最近ビジネス現場でよく耳にする言葉だが、先進的・独創的なビジョンによって経営を行い、社会に大きな影響を与え、それによって広く尊敬を集めるような経営者のことを一般的には指す。私がこのブログで書くのは、自分の洞察力や、先見性によって、私のアンテナに引っかかってきた事柄に関して、"Visionary"として表現してみたい。

それでは、"Visionary"第一弾で、お会いしましょう。

Monday, January 15, 2007

My Bookshelf

私は現在、自宅の本棚に和・洋書合わせて約2,000冊の書籍を所持している。
ネットの時代が到来し、ある時期書籍などの紙媒体は淘汰されてしまうなどということが誠しやかに議論されたことがあった。だが、現在になっても書籍は死なず、サバイバルしている。

テレビなどのマスメディアやネットなどのオンラインメディアの発達によって、最近では「本を読む」という行為が希薄になりつつある。もちろん、日々の新たな情報をキャッチ・アップしていくには、インターネットというソースは大変有効であるが、それらの情報は編集されずに、ただ撒き散らされている感は否めない。その点、書籍というものは、書き手が多様な情報と自分の思考を融和させて記述しているため、Inforamation(編集されていない情報)からIntelligence(編集された情報)へと昇華され、何年経っても色褪せない良書が多くある。

このように見てくると、まだまだ書籍という存在感は衰えを見せず、私の中でますます大きくなっていく。
そんなことを年末年始に考えながら、本棚の整理をし、より体系だった形へと収斂させた。だが、本の数が膨大であるのと、仕事などでよく利用する書籍類はすぐ手の届く範囲に置いておきたい体質なので、その試みは仕事始めの頃には見事に瓦解してしまっていた。

興味がある人はここをクリックして、私の本棚を覗いてください
↓     ↓     ↓      ↓      ↓


今年になってある方のブログを読んでいると、WEB上に自分の本棚を構築できるサービスがあることを知った。今後も増殖していくであろう書籍類のデータベース化と、既に手元にある書籍の中で私が物事を考えるときによく利用する書籍類を可視化することを目的に、一部ではあるがバーチャル本棚を作ってみた。まだまだ構築途中なので、完全とはいかないが、バーチャル本棚を作っていく過程での過去から現在、そして未来への本の旅ができそうな予感である。

Wednesday, January 03, 2007

A Happy New Year 2007!!

新年明けましておめでとうございます。
あっという間に正月も3日が過ぎました。
2007年の幕開け、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

私はこの正月休みに、昨年から積読になっていた書籍類を読み進めております。
正月の静かな環境で、極上のJAZZやClassicを聴きながら読書をしていると、日常の忙しい日々が嘘のように思えてくる。

この様に静かな幕開けの2007年が、私の新たな一歩の礎になってくれたらと考える新年の3日間でした。

皆さんにとっても、2007年が猪突猛進の一年となりますように。

Sunday, December 31, 2006

不定型な思考: From 2006 To 2007

2006年が後数時間で過ぎ去っていこうとしている。
そして数時間後には、新たな年が訪れる。

私は今年からこのブログを始めたり、mixiやgreeなどのソーシャルネットワークを用いて、ネット上から自分の思考について発信し始めた。だが、特にブログは更新頻度が余りにも遅く、このブログに貴重な時間を割いて読んで頂いている方々をがっかりさせたことも多々あったかと思います。新たな年、2007年はもっと更新頻度を上げて、私自身のThink-Writeな思考を発信させていきたいと、2006年大晦日の現時点で考えている。

2006年は私にとって、様々な人、店、アート、デザイン、絵画、書籍、音楽、映画に触れる機会を大変多く持てた年でもあった。来るべき2007年は、ビジネス分野でも新たな始動が予定されていることもあり、2006年以上の多様な事象への出会いが予期される。

ブログといった一種定型的に見えるフレームの中で、自分の思考を発信していくことには少しストレスを感じることもあった。というのも、私自身は常日頃からアモルファスな状況が好きだから。思考することも、生活することも、一貫性を持った中では知的好奇心が湧いてこない。ただ、ブログのようにテキスト化していくと、その時々に自分がアモルファスな状況下で、何を考えていたかを思い起こすには便利であると考える。

2007年も私自身のアモルファスな思考に一つの形を与えていくということを信条に、このブログを継続させていきたい。

それではこのブログを読んで頂いている皆さん、2006年は大変お世話になりました。
2007年も様々なシーンで、皆さんと交流できることを楽しみにしています。
最後になりましたが、皆さん良いお年をお迎えください。

Friday, November 17, 2006

Professional達に捧げる、プロフェッショナル論

私のこのブログを読んで貰っている人達の中には、クラシコイタリア系セレクトショップ・オーナー、Eye Wearセレクトショップ店長、士業(会計士、税理士、測量士など)の方々、ファッションデザイナー、医師、システム・エンジニア、WEBデザイナー、ヘッジファンドのマネージャー、起業家、建築家、現代美術のアーティスト、キュレーター、経営コンサルタント、外資系航空会社のキャビン・アテンダント、などなど、実に多士済々なその道のプロの方々がこの場に集っておられます。

リアルな世界でもここ最近、ビジネスシーンでも、プライベートでも、国際弁護士やヘッジファンドのマネージャーなど、その道のプロと表現される人々と食事をし、語らう機会が立て続けにあった。彼らと対話をしていると、「私自身にとっての"Professional"とは?」「Professionalとはどうあるべき?」ということを考えさせられた。



こんなことをおぼろげに考えている中で、以前読んだ書籍のタイトルが頭の中に浮かんできた。それは、「世界級キャリアのつくり方―20代、30代からの"国際派"プロフェッショナルのすすめ」(written by 黒川清、石倉洋子;東洋経済新報社)。これは、タイトルにもあるようにこれから国際的に活躍したい人々に向けたガイドラインを示した書籍である。この書籍が珍しいのは、元マッキンゼーのトップコンサルタントだった石倉洋子氏と、日本学術会議前会長で医師の黒川清氏の共同著作である所だろう。二人の違った知性がぶつかり合うことによって、これまではテクニカル論に陥っていた同類の書籍が多く見られる中で、今までにはない切り口でグローバルに通用するキャリア形成について論じている。その論点は、「現場力」、「表現力」、「時感力」、「当事者力」、「直観力」というキーワードによってカテゴリー化され、実に読みやすい構成になっているので、興味のある方は手に取って貰いたい。



では、「真のプロフェッショナルとは何か?」という議論に話を戻してみたい。皆さんは、「ヒポクラテスの誓い」という言葉を耳にされたことはあるだろうか?ヒポクラテスとは、紀元前5世紀の古代ギリシャの医師で、「医学の父」と称される人である。彼が医師の心得、つまり「ヒポクラテスの誓い」を構築し、そこからプロフェッショナルという概念が誕生した。古代ギリシャで医師の他にプロフェッショナルと表現されていたのは、弁護士、建築家などである。"Professional"という単語は、"Profess"という「宣誓」の意味から来ている。ここからも分かるように、元来プロフェッショナルな職業に就任するに当たり、神に対して誓いを立てるほどの厳しい職業なのだ。

「ヒポクラテスの誓い」では、正しい医師であるための掟が七ヶ条によって示される。
そこには、
● 患者の利益を第一とする
● 男と女、自由人と奴隷とを差別しない
● 患者の秘密は守る
などがある訳だが、これらを見ていると20世紀になって経済システムが複雑化する中で誕生した新たなプロフェッショナルである経営コンサルタントや会計士などの行動規範と大変似通っていることが分かる。
つまり、「患者の利益を第一とする」は、ビジネス・プロフェッショナルの領域で言われる"Client Interest First"(顧客利益第一)がこれに該当するし、「患者の秘密は守る」というのもビジネス・プロフェッショナルは守秘義務契約を顧客と交わすことで、絶対に秘密を外に漏らすことはできない。

ここまで見てくると、「プロフェッショナルって、なんかイメージとちゃうなー」と思われる方がおられるかもしれない。勿論、プロフェッショナルは魅力的な仕事である。例えば、MAJOR-LEAGUER・イチローの打撃や守備の華麗さは世界中のファンを魅了するし、CDの中から聞こえてくるGlen Gouldのピアノ演奏は我々を陶酔させる。ただし、この様に華麗な仕事をしている人々は、様々な厳しい掟の遵守および公益への奉仕を義務づけられた上で、高度な知識と技術を駆使して自律的に様々な要望に応えているということを忘れてはならない。

私も真のプロフェッショナルを目指している人間として、次の掟を再確認しておこう。
私は"Client Interest First"(全身全霊をかけてクライアントのために仕事をする)を実践できているか?
私は仕事に取り組む上で"Output Oriented"(結果が全て)精神を追求できているか?
私は"Quality Conscious"(本気で最高水準を目指す)のための努力を惜しんでいないか?
私は"Value Based"(価値を最大化することを最優先)するために、成果物に対しての手間を惜しんでいないか?
私は"Sense of Ownership"(自分自身の仕事に対する全権意識)を肝に銘じ、自分の仕事のために自律的に動き、自分で全ての権限を持ち、そして同時に全ての責任を負って仕事に向き合っているか?

皆さんはいかがですか?

Sunday, November 05, 2006

"Cold Blood"とカポーティ

先日久々に映画館で、心に「ズンッ」とくる映画を見た。題名は「CAPOTE」。
神戸で最も私が好きな映画館、神戸シネ・リーブルでの上映であった。



ずいぶん昔(高校生ぐらいだったか)になるが、トゥルーマン・カポーティの著作「冷血」を私は読んでいて、今回の作品はこの著作を書き上げるまでの苦悩、苦闘を実に見事に描写していた。特にカポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンがカポーティ自身の喋り方までも再現し、繊細で、傷つき易い「早熟の天才」を演じきっていた。



小さな田舎町で起こった凄惨な殺人容疑者の一人とのダイアローグは、この作品の核心部分であり、容疑者とカポーティの対話一つ一つに引き込まれてしまう。ノンフィクションのメルクマール的存在「冷血」後のカポーティは、完成された作品を1つも残すことなく、最後には薬物中毒で亡くなった。映画のラストシーンではその悲しみも見事に表現され、もう言うことなし。この秀逸な作品を鑑賞される前に、私は作家が命を削って作り上げた著作「冷血」を一読しておくことをお薦めする。

Sunday, October 22, 2006

BRANDは細部に宿る

ここ数週間は仕事も含めて大変多忙な日を過ごしていたため、ブログ更新が疎かになってしまいました。
本日からまた再開、といった感じでしょうか。

今回は、私が長年仕事として関わってきた「ブランド」について書いてみたいと思います。



先日久々にセミナーに参加した。テーマは、「ブランド戦略セミナー:2006ベストグローバルブランドランキングから見るブランド価値向上のポイント」というものであった。このランキングは、毎年ブランドコンサルティングファームとして名高いInterbrand社と米誌Business Weekが共同で発表するもので、毎年私はこのランキングを大変興味深く見守っている。

このセミナーの中で、私は世界的に躍進する企業のブランド構築への執念、その企業で働く人々のモチベーションの高さなど、グローバルブランドとして世界が認める企業の懐の広さをあらためて感じ、よりブランドという一見抽象的な事象に対してもっと深い洞察力で向き合っていかねばならないと、気持ちを強くした。

"Brand"と聞いて皆さんは何を連想するであろう。
服、ジュエリー、車、時計、それとも。。。。
"Brand"というものは、企業名であったり、商品名であったり、と様々に形態を変えて、我々消費者の前に姿を現す。その姿の表し方は、インターネットを通じて、TVなどのマスメディアを通じて、口コミであったりと、様々である。
伝え方=コミュニケーションは多岐に渡る手法が考えられる中で、この難解な"Brand"力や価値を付けるために日本企業は努力を積み重ねてきた。しかし、今回のランキングを見ても分かることだが、上位に食い込んでいる企業や商品名は、Coca-Cola、IBM、Disneyなど殆どがアメリカ系企業である。この現状を目の当たりにすると、アメリカ系企業の"Brand"価値向上に向けた長年の経験蓄積に圧倒的な強さを感じると同時に、日本企業がここ数年で声高に言い出した「ブランディング」の底の浅さが見える感じがする。

マネジメントの世界から言うと"Brand"というものは最上流の代物であり、それを作り上げていくと言うことは大変骨が折れ、地道な努力を必要とする。このように重要なことだからこそ、もっと軽妙な語り口で"Brand"を語っていかなければならず、軽妙な語り口を持っている"Brand"こそ真の"Brand"と言えないだろうか。
ユダヤ人の政治学者ハンナ・アーレントが「イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」(みすず書房)という著作の中で、アドルフ・オットー・アイヒマン(この人物なしに、ナチスのホロコーストはなかったと評されている)がイスラエル政府に裁かれる過程を中心に、この歴史上稀に見る大量虐殺の真実を、大変重要な事象だからこそ、皮肉を込めた軽妙な語り口で表現することを実践している。
この実践は、"Brand"を語ることにも、この精神を私は忘れるべきではないと考える。



"Brand"というのは、商品でも、企業でも、地名でも、大学でも、宗教でも、ある言葉が存在したときにその言葉が呼び覚ますイメージがあって、それが社会に伝播している、知られているという状態を言うのである。"Brand"は様々な所(現在では、パーソナルブランディングもある)に存在する=「"Brand"は細部に宿る」からこそ、もっと分かり易い言葉で、この難物を表現していくことに私は楽しさを覚えるのだ。

Friday, September 29, 2006

緊急更新!! 阪神タイガース、その可能性の中心



本日緊急に更新しま~~す。書かずにはいられませんでした。
我が愛すべき、阪神タイガースの過去・現在・未来。

私は何を隠そう、大の阪神タイガース・ファンである。
私がこの世に生を受けてから、私自身の目で優勝を体感したのは、たった3回:1985年、2003年、そして2005年。これを見てもお分かりのように、その他のシーズンは殆どが、悲惨な結果に終わっていた。しかし、しかしである、現在のタイガースは昨日までのゲームを見ていても明らかなように、勝利への執拗なまでの執念が持てる球団に変化している。私達阪神ファンが、長年想い描いていた状況が、眼前で展開されているのだから。

あの藤川球児投手の涙から、破竹の勢いで勝ち進んでいる。そして、いよいよ、本日から中日ドラゴンズとのラストバトルが行われ、今季の命運が決まる。私は今シーズンに限っては、マスコミ報道のような「ミラクル逆転優勝」などは期待していない。私の気持ちを高ぶらせているのは、タイガースの勝利へのコダワリ、そして何よりも、来季への素晴らしい流れができつつあることへの期待感である。

先にも述べたように、私は長年阪神タイガースを愛している。初めてタイガースの試合を甲子園球場で観戦したのは、小学校1年生(だったと記憶している)。父親に連れられて、甲子園球場の門をくぐった。球場内の階段を上り、視界が急に開け、カクテルライトに照らし出されたフィールドの美しさを今でも脳裏に焼きついている。その頃のタイガースは、宿敵・読売ジャイアンツV9時代の中で、毎年2位か3位に甘んじていた。私が観戦したこの初甲子園のゲームでも、あの長嶋茂雄や王貞治が活き活きとプレーしていた。それに対抗する形で、我が阪神には天性のホームラン・アーティスト、田淵幸一や、日本球界屈指の左腕・江夏豊がいた。私は田淵の大ファンで、今でも自宅にはサイン会で直接田淵からサインしてもらった色紙を大事に取ってある。そのサインの横に、後に私が田淵の次に憧れた選手・掛布雅之のサインがあったことを明記しておこう。

甲子園球場の応援も今のように鳴り物はなく、現在のメジャーリーグのような応援形式で、実に野球好きにはたまらない環境であった。現在のような一種エンターテインメントな応援になったのは、1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発、21年ぶりのセリーグ制覇、そして日本一へと向かう、あの時期ではなかっただろうか。私が憧れたMr.Tigers・掛布雅之、彼の小柄ながらに力強く振り出されるバットからどれだけホームランが生み出されたであろうか。そして、秀逸なのは彼の3塁の守備。もう、華麗という言葉がぴったりくるプレーであった。

その後、皆さんがご承知のように、長い暗黒時代が続いた。何人監督が交代したかも、今では把握できない。阪神が立ち上がるのは、17年後の星野仙一前監督の就任まで待たねばならない。私はマネジメントに直接タッチする仕事をしていたのでわかるのだが、こんなに長期間停滞した組織がもしこの世に存在するなら、その企業なり、組織は、市場から信頼を得られなくなるであろう。しかし、タイガースはプロ野球という特殊な環境の下、熱烈なファンに守られ、「阪神タイガース」というブランド価値を維持してきた。これは何も、阪神電鉄のトップマネジメントが努力した結果ではない。彼らは、何もせず、阪神人気に胡坐をかいていただけである。そのマネジメント能力のなさが露骨に表れたのが、昨年から今年始めまで継続した、村上ファンドとの遣り取りの中でも明らかとなった。明後日10月1日付で、阪神電鉄グループは阪急グループと合併・統合する。未来の視点から見れば、企業母体の図体が大きくなっただけで、マネジメント能力の向上がなったわけではないので、私は未だ安心感を持って見つめることができないでいる。

星野前監督を語る前に触れておかねばならないのが、やはり野村克也現楽天監督の存在であろう。彼は多くの批判も受けたが、私が認めているのは、彼の人材採用戦略と「野村の考え」に代表される戦略・戦術の重要性を阪神の選手達に植え付けた所であろう。特に、人材採用に関してのユニークポイントは、一芸(足が速いなど)に秀でた、赤星や藤本などの選手を集めたことにある。それまでの阪神は、エリート主義で、ホームランを量産できる選手、ノンプロ界のエースなど、スター選手ばかり追い求めてきた。この野村克也の視点=逆転の発想こそ、今の阪神の礎になっていることは間違いない。

現在の阪神タイガース=常勝を目指すチームへ蘇らせた男こそ、星野仙一現オーナー付きシニア・ディレクターである。彼が監督になってくれていなかったら、今のタイガースはないとまで思わせる、強烈な個性とリーダーシップの持ち主である。ただし、彼のスキルが高い部分は、「言葉」ではないかと私は考えている。彼の実績に裏打ちされた選手を高揚させる「言葉」、選手を褒めたり、叱責したりするときの飴と鞭を使い分けた「言葉」など、星野という人間の本当の凄さはそこにあるのではないだろうか。小泉純一郎前首相のような「ワンフレーズ・ポリティックス」ではなく、星野の言葉には心が篭っていた。だから、選手のみならず、ファンにまでその「言葉」は届いたのである。このような稀有なリーダーだからこそ、現状のタイガースの精神的支柱になる選手、金本(元広島カープ)、下柳(元日本ハム)を獲得できたのではないだろうか。そしてあの、2003年のセリーグ制覇、昨年の岡田監督のもとでの優勝へと導いていった。

このブログのタイトル:「阪神タイガース、その可能性の中心」とは、何も球界の盟主になることではない。我々ファンに対して、ワクワクする様なゲームをシーズン中には見せてくれること、そしてそのための準備(人材採用戦略など)を毎年怠らずに継続していって欲しいということである。
本日からの中日との3連戦は、現在の視点(逆転Vなど)ではなく、長期的な視点=未来の視点で見つめて貰いたい。そうすれば、自ずと「阪神タイガース、その可能性の中心」が見えてくるはずだから。

Sunday, September 24, 2006

アートとビジネスの相関関係:「芸術起業論」

どんな世界にも戦略が必要だ。
それが、芸術=アートの世界であろうと、例外ではない。素晴らしい作品を世に残していくためには、アーティスト自身が自己の作品を商業ベースにのせていく緻密な戦略を練っていくことが重要なんじゃないかと、私は考える。
アートやデザインの業界はどうもこの利益を追求する姿に対して嫌悪感があるようで、他者を感動させる新たな作品・潮流を生み出していくキー・ドライバーは「金銭」と「時間」が基本的要素であることを忘れている。
加えて、どうもアートを語る批評家達は、作品の上辺ばかりを見て、作品の本質部分に光を当てようとしない。これでは、アートやデザインの世界は一般的にはならないし、いつまで経っても一部分の人々が楽しむものでしかない。

この様なことを考えていたとき、書店で手にした書籍が村上隆の「芸術起業論」(幻冬舎)であった。彼の作品は今では、サザビーズのオークションで1億円以上で取引されている。その余りの海外市場での人気に、同業者や批評家からは、金儲けばかり考えているエセ芸術家、オタク文化を再解釈しただけの物真似作品、などと辛辣な批判に晒されている。しかしこの様な批判は何も今の時代に始まったわけではなく、Andy Warholが初めてポップ・アートを世に出したときもそうではなかったか。またもっと時代を遡ると、天才芸術家・北大路魯山人(漫画・美味しんぼの海原雄山のモデル)も、料理・陶芸・書などを総合的にプロデュースする能力を妬まれていた。どんなに批判の対象になろうとも、私は彼ら3人のアーティストの行動・思考様式を大変評価している。





「芸術起業論」の中で村上は、世界的に通用するアーティストになるためには、「西洋美術史でのコンテクストを作成する技術」=「世界基準の文脈を理解する技術」を身に付けるべきであることを繰り返し述べている。つまり、芸術作品は社会と接触しなければ、作品としての価値は見出されず、単なる自己満足の代物でしかない。だから、アートの世界にも、アーティスト自身がビジネスセンス、マネジメントセンスを貪欲に身に付ける必要があるということを訴えかけている。私のようにアメリカで教育を受け、市場原理主義が普通と考えている人間からは、至極当たり前のことを述べていると感じるのだが。

一人のアーティストがこの様な書籍を書き上げたことも驚きだが、それよりも未だにアートの世界が閉鎖されたコミュニティの中で、自己満足な作品しか生産していない現実に傲然となる。忘れてはならないのは、どんな商品・サービスでも、顧客がいて、その顧客とのコミュニケーションが成立してこそ、認知されるのである。それがいかに芸術作品であったとしても、何ら変わることはないと思うのは私だけであろうか。

アート世界の閉塞感を打破するために、次代のアート空間を担う一人になるであろうだい氏にこの一冊を手にとって貰いたい。

Sunday, September 17, 2006

Magazine as Thinking / Relaxing Tool

自宅のマイ・ルームが、書籍と雑誌に埋もれてしまっているので、この3連休で整理をしようと心に決めた。整理していく中で、「もう何でこんなに、いっぱい雑誌があるねん!!(自分で購入したのだが)」と少し腹を立てながら、様々な雑誌を眺めていた。

これまで多様な雑誌に目を通してきたが、現在定期購読したり、部分的に購入している雑誌は、ビジネスで利用する(思考する)ための雑誌と、リラックスするための雑誌とに大きく区分できる。今回の整理を機に、本日のブログは私が「今」"IN"と感じているMagazineの数々を紹介してみよう。

まずは、定期購読しているもの:

Harvard Business Review: アメリカ滞在時代から読み続けている雑誌。現在は日本語訳がダイヤモンド社から刊行されている。これは現在の最先端の経営理論などをいち早く紹介する、まさにマネジメント・バイブル。今後独立などを考えている人は、必読の雑誌。「経営」のトレンドが分かる。(月刊誌)

・Think!: これは「論理的思考力増強」、「シナリオプランニング法」、「マーケティング戦略に必要な思考法」など、ビジネス現場でのスキル・アップを伝授するのを主体とした雑誌。実際に活躍するコンサルタント達が執筆にあたっているため、新鮮な情報が得れます。(季刊誌)

・BRUTUS: 創刊時から読み続けている、カルチャー・トレンド雑誌。これは、思考用にも、リラックス用にも使える。時代時代にあったテーマ選定は秀逸。今まで印象に残っているのは、イームズなどの椅子特集、最近では伊藤若冲を特集したもの。

・TIME Magazine: 週刊で世界の情勢を伝えるニュース誌。難解な英語を使うので有名。ここで使われる単語やフレーズは、英語初心者には大変取っつきにくいのだが、その英文構成は一級品。アメリカでレセプションパーティーなどに出席すると、これを読んでいないと話題に付いていけないことも。



テーマや寄稿者によって部分的に購入している雑誌:

<文芸>
・群像
・文学界
・新潮
これらの文芸誌は、村上春樹の小説が掲載される、私が最も敬愛する批評家・柄谷行人の論考が掲載される、蓮實重彦の映画論が掲載される、などによって購入。

<人文・思想>
・Inter Communication
・現代思想
・at(アット)
at(アット)は昨年から刊行され出したものだが、柄谷行人の「革命と反復」が連載されている間は購入し続けるかな。

<ビジネス>
・広告批評
・宣伝会議
・Design
・日経biztech
・Web Strategy

<アート・建築・デザイン>
・美術手帖
・pen
・Casa BRUTUS
CASA BRUTUSは主に建築と文化などの融合を紹介する雑誌だが、BRUTUSとは違った切り口の構成は興味深い。好きな雑誌の一つ。penも最先端の建築、グラフィックアート、プロダクトデザインなどの紹介&提案を行う雑誌。最近ではレム・コールハース佐藤可士和などの特集が印象深かった。

この様に多種多様な雑誌を購入して、アートの写真を眺めたり、書き込まれた文章を読むことで、My Brainの活性化を図っている。Magazineは書籍に比べて、文章を読むと言うより、そこに掲載された写真やピクチャーから何かを読み取るということが多い。そこが、自分の考えを可視化することに役立っているんじゃないかと、最近思っている。

私は今後も、多種多様な雑誌を手にして、そこに掲載された情報を自らの考えにパッチワークしていく。

Tuesday, September 12, 2006

身体を自由にするEye Wear


私は小学生の頃から強い近視で、ずっと眼鏡のお世話になっている。しかし、小学生から高校生時代までは、私の感性にあったデザイン、質感などを兼ね備えた眼鏡が存在しなかったため、眼鏡をかけることに抵抗があった。その抵抗感がなくなったのは、暫くの期間をおいてアメリカ留学時にある店に出会ったから。

その店とは、その当時NYでは殆ど無名に近かったSelima Optique。現在では独自ブランドも市場に出回り、Eye Wear市場に存在感を示している。私が訪れた当時はこぢんまりしたお店に、チャイニーズのお洒落な店員が一人で対応してくれる店だった。そこで、alan mikliとうEye Wearに出会い、私の眼鏡好き人生がはじまった。alan mikliとの出会いで、ファッションの一部としてのEye Wear=身体を自由にする眼鏡を意識したと言っても過言ではないだろう。

それ以降は、スタイリッシュなEye Wearを探す旅がはじまった。米国留学を終えて日本に戻ってからは、神戸・元町にある主張するEye Wear提案を行ってくれるdecoraで、On時 and OFF時のEye Wearを作っている。この店の名前の由来は、どうもポストモダン思想のコアエンジンとなったDeconstruction(脱構築)からきているみたいだ。この用語は、フランスの思想家・ジャック・デリダの考え方の根本でもある。


decoraで私は様々なEye Wearに出会い、そして日常の中で私の身体の一部として、無意識の領域まで入り込んでいる。最初の出会いは、「999.9(フォーナインズ)」であり、最近のお気に入りは「Theo」。ここのEye Wearには、アートの香りと、エロティックな香りが漂うという、その一種アシメトリーな所が私を虜にしている。今年の夏のヘビーローテーションのサングラスも、Theoのものが活躍した(写真に撮ってみました)。当分の間は、Theoを愛用していくと思うが、今後私の前に未知なるEye Wearが出てくることも望んでいる。

最後に、いつもお世話になっているdecora店長のU氏にThanks a lotの気持ちを伝えておこう。