Friday, January 16, 2009

頭の上のお洒落

ロラン・バルトは、自著「モードの体系」の中で次のように述べている。
「衣服とは裸体をまさに隠しながら誇示しようとする」と。

では、頭もそれ自体を隠しながら誇示しようとするお洒落ってのもあるんじゃないかと思う。
そこで、私自身の頭を隠しながら誇示してくれる帽子達をここで紹介してみよう。

ブルーグレーのBorsalino

このBorsalinoは、神戸で帽子といえばここと言われる神戸・元町にある神戸堂で購入したモノ。
帽子好きなら一度は憧れる世界で最も有名といっても言い過ぎではない「ボルサリーノ」。1857年にジュセッペ・ボルサリーノ氏によってイタリア、アレッサンドリアの地にフェルト帽の芸術的職人だけを集めた工場を
設立したことから歴史が始まった。今では、約150年と言う年月を経たブランドとして確固とした地位を構築。
ラビットファーで仕上げられたこの逸品こそ頭上のお洒落として、その存在感を誇示するモノであろう。

unrivaledとRESONATEとのコラボレーションによるウールハット


Silver Ringがツバに付加された、デザイン性に富んだハット。ヒョウ柄の耳当てを付けアレンジされた部分のデザインに魅了された。

kangol×fragment design


kangol×fragment design×村上隆


創業70年を迎えた英国の老舗帽子メーカー・kangolと藤原ヒロシ率いるデザイン集団:fragment designのコラボレーションによるハンチング。ホワイト・ハンチングはkangol×fragment design×kaikaikiki(村上隆)のトリプル・コラボレーションによるモノ。これは、伝統、藤原ヒロシ的リアルクロージング思想、そして現代アートの先端を行く村上隆が創造した1つの作品である。

knagol×COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN

ジュンヤワタナベもkangolと共演。歴史性と斬新性の融合は次世代型ハンチングを創造する。

父親から継承したkangol


このように、私は歴史、伝統、革新などのキーワードを頭上にまとい、今後も歩み続けていく。

Wednesday, January 14, 2009

スタイルとしての「キャンプ」

先日留学時代の友人と久々に会い、食事を共にした。
その時、その友人が発した言葉に私は気持を動かされた。
その友人は米国でイノベーション・コンサルタントをやっているんだけど、彼との会話でビジネス・モデルを評価するとき何を重要視するかという議論になった。彼の意見として、「その企業なり組織ならではのスタイルにおいて見抜く」というのだ。
簡単なことではないが、企業や組織のビジネス・モデルというモノには、経営者の意志やビジョン、その企業に集う人々の情熱、企業のコア・コンピタンスなどなどが凝縮されている。その意味から、総合的スタイル=ブランド価値を見抜ければコンサルティング・ワークもスムーズに進むことは理解できる。

私が興味を持ったのはビジネス的見地ではなく、彼が発した「スタイルにおいて見抜く」と表現した部分にである。
この表現を聞いて頭にすぐ浮かんだのは、スーザン・ソンタグが自身の著書「反解釈」の中で述べていた概念についてである。「この世には名付けられていないものがたくさんある。そしてまた、名付けられてはいても説明されたことのないものがたくさんある。その1つの例が、その道の人々の間では『キャンプ』という名で通用している感覚である。これは紛う方なく近代的な感覚であり、ソフィスティケーションの一種ではあるが、必ずしもそれと同一ではない」というテクストで示した「キャンプ」こそその概念である。
皆さんは、「キャンプ」と聞いてアウトドアの遊びと考えてしまうかもしれないが、それは誤りである。
「キャンプ」という概念でソンタグが提起したかったのは、その道の人々の間で通用する感覚=自らを他と区別するバッジ=他者との差異性ではなかったか。
ライフ・スタイル、ビジネス・スタイル、ファッション・スタイルなど、「~スタイル」と表現される事象は、全て他者と何らかの差別化を図る言葉ではないだろうか。

こう考えると、最初に友人が言った言葉「スタイルにおいてその企業の本質を見抜く」ということにも納得がいく。今度ビジネス・ミーティングの席で、A企業とB企業はどちらが「キャンプ」ですかと、問いかけてみようか。
いずれにしても、ソンタグが40年前に唱えた「キャンプ」という概念は、多様な事象のスタイル=本質において見抜くという態度がますます重要になっている世界で、今一度見直されるべきではないだろうか。

最後に、「キャンプ」の代表の1人であろうこの人物の声を■D\(^^
William S Burroughs

Friday, January 09, 2009

My Favorite Text is “Move Around・・・・”

皆さんにも、好きな言葉、フレーズ、テクストなどがあると思う。
私にも、心に、精神に刻み込んでおきたい言葉やテクストが存在する。

今日久々に、スーザン・ソンタグの「良心の領界」を仕事の調べ物で読み返していた。
この書は、2004年に亡くなったソンタグの最後のテクストとも言える。
その中の「序・若い読者へのアドバイス・・・」に私の精神にドシッとくるフレーズが記されている。


ソンタグは、「動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。」と語る。
私は11年前に日本に戻ってくるまでの間、長期間アメリカで暮らし、学び、異文化を体感し続けた。
その私にとって、このテクストはまさにその体感したことを表現してくれてるかのようだ。

共感と模索の間を漂いながら、アメリカと世界を交通していたソンタグはこうも述べる。
“Comfort isolates.”(安寧は人を孤立化させる)
“Solitude limits solidarity, solidarity corrupts solitude.”(孤独は連帯を制限する、連帯は孤独を堕落させる)

Thursday, January 08, 2009

バッハ・ブラームス・グールド・坂本龍一

今年初めてのCD購入。
その作品とは、「Glen Gould ~Ryuichi Sakamoto Selection~」。
坂本龍一が自身のセレクトによる、天才・グールドの珠玉の演奏を集めている。


私が初めてグールドのピアノに出会ったのは、高校生の頃。その時の衝撃は言葉ではなかなか表現できない。
彼が奏でる、ワグナーのマイスタージンガーをオーケストラではなくピアノのみで聞かせる演奏家がこの世に存在することに驚かされたのだ。

今回のアルバムを創造するにあたって坂本はこう述べる。「グールドが弾くバッハは、僕にとって、まるで作曲家自身が弾いているかのように、正確だ。また同時に、僕は彼の弾くブラームスをこよなく愛している。いったいどうやって、彼は若くしてあのような深い瞑想性と沈静なるメランコリーを獲得してしまったのだろうか」と。

坂本龍一は聴くが、グールドは聴かない。そういう方は、一度グールドが奏でる音に耳を傾けてみて欲しい。その静かではあるが、力強いグールドがピアノから創造する音は、バッハやブラームスを敬遠していた人をも虜にしてしまうだろう。

Tuesday, January 06, 2009

25年と250年

今日耳に飛び込んできたニュースには若干驚かされた。
あの世界的に知られるアイルランドのメーカー、ウォーターフォード・ウェッジウッド(Waterford Wedgwood)が経営破綻したというのだ。

この企業は創業250年の歴史を誇り、イギリス王家御用達で「クイーンズウェア(女王の陶器、Queen's Ware)」という異名を持つ高級陶磁器とクリスタルガラスを創造してきた。そのブランド力は相当強固なモノがあったはずだが、戦略的イノベーションを怠ってしまったのかもしれない。最近でも、ウェッジウッド社は低価格の硬質陶器を発売するなどの戦略を取り、陶磁器メーカーとして世界のトップシェアを争っていたが、21世紀に入って中国などアジアの陶器メーカーとの価格競争で相当疲弊していたようだ。

私は祖父や父親から受け継いだ、ウェッジウッドのネクタイピン、カフスリンク、クリスマス・プレートを所有している。特に、亡き父は現役時代よくウェッジウッドのネクタイピンやカフスリンクを愛用していた。
その想い出を巡らせると、今回の破綻には少し寂しさを覚える。

あの歴史あるブランドまでもが破綻する現状を分析する専門家達は、昨年から継続している世界的金融危機の延長線上にある欧州経済の単なる悪化を論じるかもしれない。しかし、私の考えとしてはそんな単純な話しではないように感じるのだ。もちろん、世界的景気後退は影響しているだろうが、それは単なる一局面で、ウェッジウッド社の経営戦略としての発想力欠如、イノベーション欠如が経営破綻に直接響いているように思うのだ。

今回の破綻劇とは現状対極に位置するであろう有名企業が、今年自社製品を市場に流通させ始めて25周年を迎える。
その企業とは、Apple社である。


Apple社も創業から経営危機に見舞われ続けた歴史を持つ企業である。しかし上記の25年間にAppleが創造したコンピューターが網羅された年表を眺めていると、この企業の飽くなきイノベーション力による、斬新性、デザイン性などを追求し続けている。今では、iPodという戦略商品によって、音楽コンテンツ市場を席巻し、そのビジネス発想のストレッチに成功している。

私自身も、アメリカ大学院時代には、爆弾マークに困惑しながらMacintosh PowerBookによって修士論文を書き上げ、日本に戻ってからも当時デザイン力を売りにしていたiMacを使用し、現在でもiPodで音楽を楽しんでいる。ウェッジウッドとは業界が違うので比較は難しいが、ウェッジウッドとアップルの差異は(私を含む)消費者を魅了する製品&サービスと、それらを創造するイノベーションの相違にあるのではないか。

25年と250年、現在の複雑怪奇な世界市場の中で生き残るためには単なる歴史の積み重ねだけでは駄目で、歴史を色褪せさせない発想とイノベーションをベースとしたブランド構築が一層求められていると言うこと。
私も今回はウェッジウッド破綻というタイムリーな話題の中で、ブランド構築を生業としていた1人として考えさせられることが多かった。

いずれにしても、ウェッジウッドの再建に名乗りを上げる企業が早く出てきて欲しい。

Sunday, January 04, 2009

戦後思想界の巨人が語る現在

世界視線を持って時代と相対してきた思想家・吉本隆明が久しぶりにTVに登場している。
今その番組を見ながら、このblogを書いている。


この正月はDVD鑑賞や読書三昧だったので、久々にTVを見ていることになる。
私は吉本氏の著書を幾つかは読んでいるものの、彼の熱心の読者ではなかった。
しかし、戦後日本の言論界をリードしてきた、小林秀雄亡き後の戦後思想界の巨人が今何を語るのかが興味深かった。

その番組「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」は、私が当初考えていたモノとは少し色合いが違った。
画面に映し出された吉本氏の姿は、車椅子で、凄く弱っている感じを受け、郷愁を誘う。
しかし、2千人の聴衆を前に3時間熱く語りかける「芸術言語論」には力があり、文学や芸術のみならず、政治・経済、国家、宗教、家族や大衆文化まで、人間を巡る事象を論じてきた往年の吉本氏の姿がそこにはあった。

彼の思想のエッセンスにもう少し耳を傾けてみようか。

Saturday, January 03, 2009

読書初め2009

まずは、この写真を見て貰いたい。

Hard Working Man

これは、TimeのPictures of the Year 2008に掲載された、時の人・オバマ氏がスピーチを考えている姿。
このように、写真はその時々、一瞬一瞬の歴史的事象や人などを切り取る。

新年も3日が経ち、ちょっと活字が懐かしくなり、杉本博司が著した「現な像」をじっくり読んでみた。


写真家でもあり、国際的美術家でもある杉本氏が著した書物には、彼自身の時間や歴史の捉え方が鮮明に表現されている。杉本は語る「私は長い間写真に関わりながらも、未だに真の何たるかを知ることを得ない」と。

人類社会にとって、「世界の見え方」が180年ほど前に大きく転換した。それは、写真が発明されたからで、刻一刻と変化していく世界の表情=留まることを知らない捕らえ所のない世界が、ファインダー越しに収まることによって、時間が止まり、時間の断片と化す。
以前読んだスーザン・ソンタグの著書の中で、写真を収集することは世界を収集することに繋がるという趣旨のことを述べていた。デジタル技術の発展と、その技術の恩恵に授かる総アマチュア化。今回の杉本の著作には、世界がどんどん矮小化され、画像として蓄積され、アーカイブ化されていく異様な光景に対しての警鐘も含まれている感じがする。

「現な像」としての写真、その写真が示す世界の見え方が今後一層重要度を増す中、このテクストは読んでおくべき。

Friday, January 02, 2009

とあるギャラリーからの贈り物

毎年お正月になると、とあるギャラリーから送られてくる干支の色紙。


そして、いつものように色紙に描かれた干支の絵に言葉が添えられている。
「悠然と歩む『牛』の足には力が漲り、角を具えた表情に情熱を秘め、黙々と汗して働く姿に信頼感が溢れる。今も豊穣のシンボルであり続ける『丑』は、人間の暮らしを支えている」
この色紙に添えられた言葉の通り、激しい変化を予感させる新たな年に、私も大いなる豊穣を目指して歩んでいこう。

Thursday, January 01, 2009

遠くで汽笛を聞きながら迎えた2009年

いよいよ2009年の元旦を迎えました。
皆さんは、どんな元旦をお過ごしでしょうか?
ここで新年のご挨拶を本来なら行うところですが、喪中につき挨拶はご遠慮させていただきます。
ただ、このblog読者の方々の2009年のご多幸をお祈り申し上げます。
本年も今までと変わらず、宜しくお願い致します。

2009年の幕開けは、神戸の自宅から聞こえる神戸港からの汽笛を聞きながら始まりました。
この音色をいつも聞くとき、神戸で暮らすことの幸せを覚えます。

元旦の朝は、お節と昨晩から泊まりに来ている弟夫婦、そして姪っ子の花音ちゃんの顔を眺めながらお屠蘇をいただき、2009年の素晴らしい幕開けを迎えられたかな。

我が家のお節

そして、ホンマにCuteなのんちゃん

神戸の自宅から見える元旦の神戸風景


Wednesday, December 31, 2008

Generationにまつわる1年の終わり

2008年の終わりに、何を書き残そうかと思案してみた。
このblogを始めて2年3ヶ月が経ったが、今日まで2回の大晦日を超えてきているので、今までの大晦日に何を書いてきたかをまずは見てみた。

2006年は、「不定型な思考」を基点としたこのblogに対する向き合い方を語っている。
2007年は、Time Magazineの“Person of the Year”に端を発した「小さな英雄待望論」について語っている。

こうして振り返ってみると、その年の締めとして新たに訪れる年への思いを込めたテクスト構成になっているイメージである。
では、今年はどんなお題で2008年の締めとすべきか。
そう考えると、私のプライベートで起こった事象をテーマとして、2009年へのブリッジとしてみたい。

私にとっての2008年は、長期間に渡って病気治療を行っていた我が父が今年7月に他界し、10月には私の姪・花音ちゃんが誕生した。まさに、2008年は私にとって大変激動の年であったといえよう。
2008年の終わりの日に、亡父へ向けた追悼私記を読んでいると、そこには死者に対する愛惜や、敬虔な気分という意味を超克した亡父のLate Styleに対するリスペクトが表現されている。反対に、私の姪に対してのテクストでは、当然希望に溢れた文面になっている。
ここから考えられるのは、「Generationの交差」ではないだろうか。私自身でもこのGenerationの交錯、交通、交代を身を以て体験した。

この“Generation”というワードには、発生や生成と関わりの深い語根“gen”をギリシャ語より受け継いでいる。この単語には極めて多様な意味合いが含まれていて、世代、形成、出産、生殖、発生、生成などがあり、2009年にブリッジするには一番適切な言葉ではないだろうか。私自身が世代交代を体感したように、世界も日本も類似した現象を体験しつつある。“Generation”という問題群は、その語根・genを持つ関連語、Eugenics(優生学)、Gene(遺伝子)、Genealogy(家系、血統)、Genesis(起源)、などとも結びついてくる21世紀のアクチュアルな課題でもある。

この“Generation”の持つ課題を踏まえ、2009年は再び新たな発生・生成が行われることを願いつつ、この辺りで今年最後のblogを終わろう。


今年も1年、公私にわたって御世話になりました。
それでは、皆さん良いお年を!!

Tuesday, December 30, 2008

Logo:Creativeの源泉がそこにはある

いよいよ、今年も残り1日を残すのみとなりましたね。
こんな日には、私のビジネス的専門領域の1つであるブランド(企業)ロゴのお話でもしてみましょうか。

皆さんは、Logoと聞いてすぐに何を思い出すでしょう。ある人は企業ロゴ(例えば、ソニーとかアップル)が頭にすぐ浮かぶだろうか。それとも、ある人はファッションブランドのロゴ(例えば、LV=ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルマーク)を思い浮かべるだろうか。

それだけLogoというものは、企業やブランドにとって切っても切り離せないモノとなっている。
私が数年前、ブランド戦略構築現場にいた頃から、この社会や消費者にダイレクトに繋がる意匠に対して大変興味を持って、ビジネス視線で考察していた。

しかし最近、企業の商品やサービスに関して、ここのブランド・ロゴだから大丈夫であるなどの信頼性を消費者などに植え付けるはずのLogoが、少し安易に扱われ始めているのではないかと危惧している。
そんな危機感の中、面白い記事をWeb上で発見した。
それは、“45 Rules for Creating a Great Logo Design”というモノ。ここには、簡潔ではあるが、大変重要なことが表現されている。例えば、「3つ以上の色を使わない」、「可能ならロゴを正方形に収める」、「ロゴには視認性がなければならない」、「地球をシンボルに使わない」などなど、Logoをクリエイトする人々にとっては基本中の基本の事柄が列挙されている。

だが、私はこの基本が守られていない企業(ブランド)ロゴをよく見かけるようになった。
皆さんもご存じのドコモ。この企業のロゴマークが一新されたことに気付いてらっしゃいますよね。


3つ以上の色を使わない、というのは時代の変化の中で重要である。今回のリニューアルで、赤色単色にしたところは、ビジネスに対する情熱、未来への先進性を強く表現できていて良いと思います。しかし、これは日本の企業に大変多いのですが、どうもロゴが横に長すぎる。これは、45の法則の中でも述べられている、可能ならLogoを正方形に収めるということに反してます。Logoって言うのは、縦書きにする場合も多いので、その際どんなに頑張っても視認性が劣ります。これでは、せっかくのロゴ・リニューアルも台無しって感じでしょうか。

私が好きな企業(ブランド)ロゴは、以下のミニマルではあるが、主張していて、世界中の誰もがすぐに認識できるTypeでしょうか。






上記の企業って、それぞれ自身の市場でユニークなポジションを構築し、消費者に対して分かり易いメッセージを発し、何か驚きのある商品やサービスを提供し続けていると思いませんか?やはり、こういう企業はロゴ創造にもちゃんと向き合ってますよね。
これを見ると、もう少し日本の企業はオリジナルなロゴ構築=ブランド価値構築を、真剣に再考すべき時なのかもしれません。

少し辛辣に日本企業について評しましたが、日本でもロゴ構築について真摯に取り組んでいる組織もある。それは、国立新美術館。私はここのLogoの先進性、斬新さに、初めて見たとき驚きを覚えた。本当にオリジナル性に富んでいる。このロゴを作ったのは、現在デザイン界の寵児とも言われている佐藤可士和だ。彼は、Logoに使われているフォントも一から創造し、このどこにも存在しない、世界に1つだけのLogoを作り上げた。このような困難なクリエイティブ作業を行いながら、先に述べた45の法則の大部分を満たしていることにまた驚き、日本でもまだまだ素晴らしい発想を含有したLogoを構築できることに感心した。

2008年は「デザイン」や「クリエイティブ」という言葉が、雑誌、書籍、メディア、ビジネス現場で数多く見聞きした。今日のLogoの話しもそうだが、まだまだ日本のデザイン力はアメリカや欧州と比較すると優位性を持っているとは言えない。“Made in Japan”といえば、高品質やリーズナブルということがグローバル市場では常識となっている。そこに、クリエイティブ力やデザイン力に繋がるフレーズが続いて欲しい。そのためには、もっともっとクリエイティブの現場の人々が世界進出を果たすべきであろう。私も2009年のKeywordを“Architecture”を掲げた者として、来年は世界へ向けてその軸足を移していけるように一層精進したい。

Monday, December 29, 2008

2008 Art & Me (vol.2)

昨日は、記憶装置としての美術館やギャラリーで、この2008年に訪れたアート展について述べた。

今日はこの1年、私が身近で体感したアート、私にフィットしたリアル・アートについて書いてみたい。

まず紹介したいのは、私の友人であり、現在Belgiumで創作活動を継続している現代Artist・Daisaku NAGAIの作品である。彼の作品は、ある時は詩的であり、哲学的であり、文学的でもある。私にとっては、まさにリアル・アートである。今年彼が久しぶりに帰国し、その創作物に私にとってのリアル・クローズ・ブティックである「CINQUE CLASSICO」のリニューアル・パーティーで出会った。そのクリエイティブ力は以前にも増して、軽やかさと重厚さが混在していた。

その中で購入したのが、この作品。


今年5月にその友人がベルギーで個展を開催した際、その個展に関してベルギーのフランス語圏有力新聞の「Le Soir」に掲載された。この記事を構成するにあたってインタビューも行われたようだが、そのインタビュアーはかの巨匠:ロイ・リキテンスタインにもインタビューした事のある人だったようだ。そのインタビュアーは、彼の作品を見てリキテンスタインを想起したようである。



Daisaku NAGAIの作品以外で、リアル・アートとして購入したり、貰ったりしたモノを一部紹介してみよう。

まずは、よくステーショナリーとかを入れているCube Poach(OriginalFake×Porter)。これは、私が最近注目しているArtist・KAWSのデザインで、彼のアイコン“×”や、アートワーク“TEETH”によるフリップトップ、ファスナーは実にユニーク。彼のアートワークには2009年も大注目。


お次は、本日も着用していた藤原ヒロシ村上隆のコラボによるアートT-Shirts。今年東京で、藤原ヒロシがキュレーターを務めた「Hi&Lo」展の時に作成されたモノ。アートを着るってのも良いかも。


最後に、奈良美智がクリエイトしたちょっと眠そうな犬のブックシェルフ。いつも、私が新たな本を購入してくるのを自宅で待ちわびている。


まあ、こんな感じで2009年もアートというモノを身近で体感し、どこにでも偏在する存在としていきたい。

Sunday, December 28, 2008

2008 Art & Me (vol.1)

リーマン・ブラザーズが破綻した翌日に、ダミアン・ハーストの新作オークションでの落札価格が約211億円に達したことに驚かされた反面、世界金融危機に影響を受ける形でアートバブルも弾けてしまった感も否めない。

このように、アート界でも動きが激しかった1年の中で、私もアート展へ足を運んだり、実際に作品を購入したりもした。つまり、私が語るアートの中には、美術館やギャラリーなどの特有の敷居の高さで展示されるモノと、私の等身大にフィットするリアル・アートが存在すると言うこと。

2008年の非リアル・アートの世界=美術館での作品鑑賞した中で、私が印象に残っているモノを記述してみたい。

フランスの哲学者・ジル・ドゥルーズは、自身の映画論の中で「静物とは時間である」と述べ、現代映画は「運動感覚的な状況」から「光学的音声学的な状況」へと転換したと、時間イメージの重要性を強調する。
じゃあ、絵画=アートの世界はどうだろう?近年現代Artist達が、絵画を意識した映像作品を旺盛に創造し始めている。動くモノが動かないでいるという状況は、絵画ではなかなか表現し難いもので、純粋に映像でしか他者に伝えられない。
時間イメージが静と動によって表現される、つまり映像と絵画が融合し始めているのだ。


私が今年訪れた中で最も印象深い「STILL MOTION: 液晶絵画」展(於・国立国際美術館<大阪>)は、上記の事象を再認識させてくれるもになった。


千住博ジュリアン・オピーブライアン・イーノ森村泰昌など、私が興味を持つArtist達が、微妙に動く絵画を液晶画面上で表現した作品群を創造していた。美術館の限定された空間に、多様な時間軸を内包するクールな映像が作る絵画を目の当たりにし、私の感性を刺激した。

次の非リアル・アートは、今年兵庫県立美術館で開催された「冒険王・横尾忠則」展。



これだけ纏まった形で、横尾忠則の描いたモノに接するのは初めてだった。特に印象深かったのは、横尾の「赤色」で表現された作品群だった。彼の最も旺盛にクリエイティブ力を発揮していた時代の作品群に出会えたことに感謝したい。

明日は、私が2008年に購入して、着用&使用したり、自宅で飾ったりしているリアル・アートを論じてみたい。

Saturday, December 27, 2008

極私的Cinemas Critique 2008

最近読んだ本の中で、最近の映画について面白いことが書かれていた。
その本は、私が映画や文学批評に関してのテクストに大変影響を受けている蓮實重彦の「映画論講義」。
蓮實氏のCritiqueには、切れ味、美しさ、シニカルさなど、私は彼のテクストに心地良さを感じる。


さて、この本で私が面白いと感じたのは、ヴィデオやDVDなどの反復装置が出現する前までは、その作品を二度と見れないという思いから、画面に対する集中力が映画を観る動体視力を鍛えてくれたという箇所。作品に一期一会の感覚を持って観るという行為が、その当時の映画批評を大変豊かなモノとしていたが、現在本当の意味での批評が減ってきていることを憂いているのだ。

こういう現在という背景も考慮しつつ、私が自身の動体視力で2008年に観た映画について、極、極、私的な批評を試みる。劇場、DVDやスカパーのPPVで観た数多くの作品の中で、私が印象深かったモノをピックアップしてみたい。


まずは、今年の私が観た映画の中でもっと印象深く、2008年ナンバーワンの作品かもしれない。
その作品とは、「潜水服は蝶の夢を見る」。
皆さんは題名を聞くと、何かファンタジーを予感させる作品と思うかもしれない。しかし、この作品は一人の有名ファッション誌・ELLEの名編集長が直面した病を起点とした困難、そのすさまじい孤独感・絶望感、壮絶なコミュニケーション手段の中から創造し結実した、一冊の自伝タイトルから由来している。
この作品には語るべきポイントが多くあるので、敢えてキーワード化してみたい。

究極の一人称映画/ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)/左目以外全身不随/20万回の瞬き/スーザン・ソンタグ的隠喩としての病い/柄谷行人的内省と遡行/絶望と自己憐愍からの脱却による三人称視点の出現/異形の体験/隠喩としての鋼の潜水服/MonologueとImaginationの間で/モノローグと映像が呼応しあう音楽的編集リズム/瞬きCommunicationによる文章の紡ぎ方/現代アーティストの絵画表現による映像美

いずれにしても、この作品は間違いなくジュリアン・シュナーベル自身の最高傑作と言えるんじゃないかな。まだ観てない人、一見の価値ありですよ。


ディンゼル・ワシントン、Undergroundの凄み、実に渋い演技です。ラッセル・クロー、これまた渋い演技です。監督は言わずと知れた、リドリー・スコット。彼自身の作品で私が印象に残ってるのは、やはり「ブレード・ランナー」と「ブラック・レイン」。彼は人間の奥底に眠る狂気を撮らせたらピカイチだと思ってます。しかし最近のリドリー・スコットの映画、それほど興味を持てずにきました。そこに「American Gangstar」。これはリドリー・スコットの傑作の1つになるんじゃないかな。ちょっと上映時間が長い気もしたが、そんなことも忘れさせてくれる疾走感が、この映画の醍醐味。あの"God Father"や"Scarface"以来、私の気持ちに躍動感を感じさせた作品でした。

ここまでが、今年の私の中での2作品。
ここから、上記の作品ほどではないが、私の動体視力に残像が残っているモノを挙げてみたい。


この「ノーカントリー」は、アメリカの抱える、社会、戦争、犯罪などが複雑に絡み合った課題を浮き彫りにする。
作品のメッセージは重いが、アメリカ生活経験者の私からすると、凄くリアルに感じる。


この「Factory Girl」は、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」と呼ばれるスタジオに実際にいたイーディ・セジウィックの物語。アンディ・ウォーホルのミューズでもあり、 1960年代のニューヨーク・アンダーグラウンド・カルチャーの伝説のミューズと呼ばれた彼女は28歳という若さでこの世を去った。その生き急いだ彼女の人生と、アンディ・ウォーホルが当時体現していたポップ・アートの源泉をこの作品を通して読み取れたのが印象深い。特に、アンディ・ウォーホル役のガイ・ピアースが素晴らしかった。


「フローズン・タイム」は美しい作品である。本作の監督はファッション・フォトに映画的センスを盛り込み、「VOGUE」、「Numero」、「i-D」など、多数のファッション誌で活躍する写真家ショーン・エリス。この作品では、写真という「一瞬」を切り取ることが仕事である彼が、時間に対する独特の感性を映画として表現した作品。私は、このように異業種の人が撮った映画昔から好き。


ウォン・カーウァイの初の英語作品「マイ・ブルーベリー・ナイツ」。NY→Las Vegas→NYという空間を舞台とした、実にきっちり撮られたロードムービー。この作品で女優デビューを果たしたノラ・ジョーンズとジュード・ロウの間のダイアローグの洒落た雰囲気が凄く良かった。映像や語法が凄くミニマルな部分に好感が持てる。


「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」。私の大好きな女性写真家の生き様を表現した作品。写真が表現する視覚芸術に止まらず、彼女自身が歩んできたProfessionalismとは何かを探るにも適した作品だった。彼女の名前を知らなくても、彼女の撮った写真は皆さん一度は目にしてると思いますよ。


最後は、賛否両論、罵詈雑言、などなど多様な意見が飛び交った作品「クローバーフィールド」。最近スカパーのPPVでも見直したのだが、劇場で観た当初は私自身の評価は低かった。やはりこの作品のリアル感覚に関しては評価すべきだと感じ始めている。というのも、かの「ブレアウィッチ・プロジェクト」とは違う深さで、現場視線(=事象に居合わせた普通の人々が撮影した記録をそのまま映画にした)感覚を与えている所が新しい。高度情報化社会での多様なデジタル・デバイスで、事件、事故、災害を即座に撮影し、リアル・タイムで流していくコミュニケーションに対しての警告も含まれている感じもするし。

以上が今年見た作品から厳選した作品である。
その他にも、インディージョーンズ、X-File、イーグル・アイ、スパイダーウィックの謎、ハプニング、ハムナプトラ3、WALL-E、シルク、などなど多くの作品を観てきたが、ここに書こうと思わせるまでには至らなかった。

2009年も自身の動体視力を大事にしながら、多くの作品を鑑賞し、私の思考を活性化させたい。

Friday, December 26, 2008

Music Sounds Better with Me

クリスマスも過ぎ去り、いよいよ今年もあと残り僅かとなってきた。
そこで、このblogもカウントダウン2008という感じで、今年私の関心を引いてきた多彩なジャンルに関して、振り返っていきたい。

まずは第1弾、今年の私と音楽について。
今年も多様な音に触れてきたが、その中でも聴く回数が多かった5作品を紹介してみたい。

まずは、私がiPodで聴くスタンダードになりつつある、藤原ヒロシのクラッシックカバー「Classic Dub Classics」。この作品は、その静謐な音が私を囲むスペースに溶け込んでいく。


次は、私がここ数年注目しているINO hidefumiの作品「Living Message」。彼の創り出すサウンドには、私の感性を刺激する、ジョン・ケージを彷彿とさせる現代音楽のエッセンス、優美なスコアによるミニマルな構築美などが盛り込まれている。 彼の感性と、多様な音楽の要素がバランス良く同居するサウンドは、まさに普遍的な色彩を放つ。


3つ目の作品は、Port of Notes結成10周年を記念して出されたベスト盤「Blue Arpeggio」。この作品は、ヴォーカルの畠山美由紀とアコースティック・ギターの小島大介という2つの感性のせめぎ合いから創造されるサウンドで溢れている。音というモノには、楽しさだけではなく、美しさがあることを教えてくれる。


次に控えしは、ちょっと今までとは色合いの違う(非売品という意味でも)コンピレーション・アルバム。昨年ブランド立ち上げ5周年を迎えた「百花堂」が、昨年12月に5周年パーティーを開催したとき配られたJohn Oswald、Paul Murphy、RSL、など百花堂・クリエイターの視線でチョイスされた音源を集約したモノ。そのコンピレーション・アルバムには、百花堂のブランド・プロミス(実際店内で流されている曲も含まれる)が体現された、時代の感性を見事に捉えた仕上がりとなっている。私も百花堂とは、ビジネス的関係性も構築させてもらっているので、今後もこのブランドに注目。


最後は、私の永遠のヒーロー・Glenn Gouldの「images」。この作品は、Gouldが傾倒したBachをプレイしたモノと、Not Bachという2枚組から構成されている。私が気持を高めるときに必ず聴くのは、GouldのNot Bachに入っている「DIE MEISTERSINGER」。Gouldのピアノから創造されるこのワグナーのオペラの名曲は、私が今まで聴いてきたどの音をも凌駕する。それほど、Gouldのポリフォニー音楽は素晴らしい。

以上が、今年の私と音との関わり合いである。
だが、今年私が最も残念だったのは、ライブへあまり足を運べなかったことである。
音楽は、やはりアルバムを聴くだけ、音楽を語るだけでは駄目。
2009年は、音に直に触れ合える場に存在したい。