Friday, July 25, 2008

On Late Style: Farewell to My Dad

私の父親が亡くなって、2週間が経過した。昨年から父親は入退院を繰り返していたのだが、今年5月中旬病状が悪化し、7月11日その充実した生涯を閉じた。
このblogが5月から宙吊り状態になっていたのは、そういう理由からである。

特にこの2ヶ月間、夜間の病院で私は父の傍らで多く過ごした。付き添いをしながら、父と過ごして来た42年間(その間私は、アメリカ&東京で暮らしたいたこともあり、正確な数字ではない)を想い起こしながら、原書でも翻訳本でも読んだある一冊の書を読み返してみた。


書名は“On Late Style - Music and Literature against the Grain -”(邦題は、「晩年のスタイル」)。この書は、このblogのタイトル“Think-Write”を示唆した批評家であり、思想家であった、故エドワード・サイードの著作である。彼は2003年9月に亡くなっていて、この著作はその死後に出版されたものである。彼の絶筆といっても良いこの書は、彼の夫人や友人達が、サイードが教授職にあったコロンビア大学などで行った作家や音楽家やその他芸術家達の「晩年の作品」、「晩年のスタイル」などについての講義を中心に纏めたものである。

この著作の中核は、晩年性(Lateness)についての議論によって成り立っている。このことを父に迫り来る「死」という事象と対比させて病室で再読していたので、以前読んだときより一層そのエクリチュールは私の心にズシッときた。サイードのこの著作は、「死は私たちに一日たりとも猶予をくれなかった」とサミュエル・ベケットが陰惨で錯綜したイロニーを伴った書き方をその論文「プルースト」の中で展開しているという部分から始まる。そこから考えられるのは、死は到来する時を告げないということと、死は我々が多忙なときに唐突に訪れるということだ。しかし、私の父親のように死は時折、私たちを待ってくれることもある(言い換えれば、死の準備の時間を当事者とその家族に与えてくれる)。このようになってくると、「死」へ向けた時間の質がちょうど光の具合のように変化すると、サイードの書は表現している。つまり、「現在が、翳りを帯びるようになる。現在以外の時間 - 輝きを取り戻すか後退してしまう過去、新たに計り知れぬものとなった未来、時間を越えた想像不可能な時間 -に影響されて。そのような瞬間、わたしたちは晩年が特別な意味を帯びる状況に遭遇する」ような状態=我が父親の死への道程こそが、晩年性(Lateness)そのものである。

では、父親のLatenessとそのスタイルとは何であったのか。サイードの著書が、多方面の分野を、例えば音楽(オペラなど)、文学(小説、詩、エッセイ)、パフォーマンス芸術(演劇と映画)を自在に横断しつつ、そこに個人史、社会史、文化史、そして政治史の問題とのシンクロを見て取れる優れた文化論・芸術論として完結している(大江健三郎談)ように、私の父の人生もまた多様な彩りに満ちていたと確信している。
我が父親の「晩年のスタイル」を形成した様々な事象にここで光を当ててみたい。

● 父は世界を見た: 私がアメリカ大学院留学時代、親しくしていた教授と父親に関しての話をする機会があった。その際、その教授は父がビジネスでほぼ全世界に足を運んでいると私から聞くと、“Your Father has viewed the World”(あなたのお父さんは、世界を見たんだね)という表現をした。ここで言う「世界を見る」というのは、自分自身の固有の文化背景を離れて、広く様々な風物、多様な人々に接するという意味の英語表現である。私も弟も、この父親のDNAを受け継いだかのようにアメリカという多様な文化、人種、宗教などが融合した環境でのアカデミックな場所に身を置いた。

● 父は洒落者であった: 我が父は昭和初期の生まれにも関わらず、実にファッションやそのスタイルにこだわりを持った人だった。特にビジネス・シーンにおいて、スーツはその殆どをオーダーで誂え、ブルー系で揃えられ(まるでアルマーニのように)といった感じ。小物にも気を配り、ダブルカフスシャツのために多くのカフスリングを持ち、ネクタイはエルメスなど一見華やかな中にもシックなイメージが漂うものを好んで付け、加えてチーフは必ず胸元に入れていた。更に、父は若いときから帽子(中折れ帽)やサングラス類もよく身に付けていたことが、古い写真の中から見て取れる。このように洒落っ気たっぷりな父親のスタイルに私も影響を受けたのか、私自身ビジネスであれ、プライベートであれ、ファッションに気を配るようになってしまった。

● 父はプレーヤーとしてサッカーを愛した: 父親は、進学の際も、就職の際も、サッカーができる場所を選択したそうだ。父の日ごろからの口癖は、「世が世なら、俺はJリーガーだ」だった。まあ、現代サッカーが戦略・戦術を駆使した体系的なものとなっていることを考えると、父の時代とは全く違った競技になっていると言えるかもしれない。しかし、父の戦歴は華麗なもので、天皇杯や国体にもキャプテンとして参戦しているのだから、あながち父親の言は間違っていないのだろう。

● 父は音楽を愛した: 葬儀の中でも、父が病室で好んで聴いていた曲を流し、一種音楽葬の装いも見せていた。父は、JAZZ、ハワイアン、Classicなど結構多彩なジャンルの音楽を聴いていた。その中でも、ハリー・ベラフォンテを特に好んで聴いていたように思う。

●  父はダンスを愛した: 私は見たことがないのだが、父と母がHonoluluへ旅行した時、とあるホテルのバンドが入っているバーで突如二人が踊り始めたということを弟から聞いたことがある。父の学生時代は、ダンパ(ダンス・パーティー)が大流行りで、多くのステップをマスターしていたみたい。

●  父は阪神タイガースを溺愛した: 私が生まれる前から、筋金入りの虎キチだった父親は、私が小学生時代によく甲子園球場へ連れて行ってくれた。当時は、巨人全盛時代(あのV9時代だ)で長嶋・王がおり、阪神サイドは江夏・田淵がいた。私はその大きな器の甲子園球場の緑の芝が、カクテル光線に照らし出されている風景を、今でもよく思い出す。阪神タイガースというチームを私自身も40年以上応援し続けているのは、まさに父親の影響と断言できる。父は生前、阪神の優勝を5回も見ている。特に、1964年(私が生まれる1年前)には、会社帰りに甲子園へ直行し、その優勝の瞬間を見たそうだ。1985年の阪神日本一の年には、夫婦で日本シリーズを甲子園へ観戦に行っていた。このように、父のスタイルに大きな影響を与えた阪神タイガースが、今年も既にマジック点灯、そして優勝へと加速している。今年のタイガース優勝を父に見せてあげられなかったことは少し残念かな。

もっと父親について語るべき晩年のスタイルを形成した要素は多くあると思う。しかしここに記載した事象は、私が喪主を務めた父の葬儀の中で述べた挨拶にもリンクされることなので、敢えて上記の事象に言及した。
いずれにしても、私達残された家族は父が亡くなった次の日から、「新たに計り知れぬものとなった未来」へ向けて一歩を踏み出し始めた。ここで、今は亡き父に対し宣言しておこう。私もまた、あなたのように充実した生涯を終えるためのスタイルをこれから創造し続けていくことを。

このblogを読んでくれている方の中にも、父親の病状を大変心配していただいた方々が多々おられる。最後に、その人々に向けてお礼を申し上げておきたい。本当に有難うございました、心から感謝申し上げます。そして、私自身の父に対する追悼私記ともいえるこの文章を、今は亡き父親と私の家族に対して捧げたい。

2 comments:

ショコラパウダー said...

こんばんは。
私、つい先程まで、YouTubeにて三島由紀夫の動画を見ておりました。そんな訳で、計らずも「メメントモリ」的な思考(死と美意識についてなど)をしているところで、ゆーちゃんさんのブログにおじゃましまして、お父様の訃報の記事を拝見、すごいシンクロだなぁと、我ながら驚いているところです。

とは言え、お父様のことは、本当に何と申し上げたら良いのか・・・

三島にしてもそうですが、人はやはりスタイルを持つべきで、(=美意識)そうでない人生なんて、無いのも一緒。ただ生きるだけでは人生にあらず、人はスタイルを持って生きてこそ本物なのだ。と、今回の記事に触れ、改めて背筋が伸びる思いでおります。

美しい人生に、尊敬と感謝を捧げて。。。

YF Velocity said...

ショコラパウダーさん、大変素晴らしい父に対する追悼のコメントを頂き、誠に有難うございます。
この度の父の死に接し、私も様々なことを考える機会が与えられたように感じております。我が父親のことを、生きている時にはそこまで深く考えることはなかったのですが、今回の死に際し、父親自身の生き様というものを改めて再考できました。
父親の死を、我々家族全員が看取れたのですが、その時父は「夢、見果てた」という風に旅立ちました。そこに、私は今回のテキスト、"On Late Style"を見出したのです。