Friday, February 27, 2009

自伝的書が今面白い

この2月の読書の中で、特に私が面白いと感じたのは、自伝的カテゴリーの面白い本達だ。
アメリカではベストセラーの上位に、時の有名人の自伝(今なら差詰めオバマ大統領の自伝だろうか)が常に並ぶ。これは、未だアメリカが自由の国で、能力があればサクセスストーリーを描ける国であるからだろうか。だから、成功者の言葉に耳を傾ける。

ビジネスの世界で多様な業界を経験しながら、そのグローバル的ビジョネアーの視点を手に入れた人物。音楽の世界で常に最先端を歩み、以前「住所は?」と問われ、“on the air”と答えた世界的音楽家の初自伝。音楽、ファッション、アートなどの各シーンで多彩な能力を発揮し続け、時代をEditする男といわれる私と同世代のプロデューサー。そんな多様な業界で活躍する男達のストーリーに私は耳を傾けたくなったのだ。

まずは、「The Global Mind 超一流の思考原理」(ダイヤモンド社)。


この書は、前Louis Vuitton Japan CEOであった藤井清孝氏が著したモノである。
藤井氏の経歴が面白く、IT系あり、戦略コンサルあり、投資銀行ありなど、多様な業界を渡り歩き、その中でグローバル・マインドを培ってきたビジネス・リーダーである。
この書のキーワードは、「個別解」かな。

次の自伝的書は、「丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記」(小学館)。


この書は面白い。何が面白いかというと、著者が藤原ヒロシ自身ではなく、川勝正幸氏であること。藤原氏自身は監修を務めている。もう1つのユニークなポイントは、藤原氏を取り巻く何十という影響を与えたり/与えられた人々の証言、インタビューから構成されている所である。その証言者の中にEric Claptonなどがいたりして、実に興味深い。

最後に、「音楽は自由にする」(新潮社)。


この書は私が待ち望んでいた、坂本龍一氏自身で書かれた自伝である。
坂本龍一のサウンドに、Y.M.O.時代から影響を与え続けられている私にとっては待望の書といって良い。
内容も、自身の音楽発芽期、Y.M.O.時代、Y.M.O.以降の世界的音楽シーンでの漂流する思考、そして坂本氏の価値観に変化をもたらした9.11テロ以降の事象といった具合に、ロジカルに構成され教授の本領発揮といった感じ。

この3つの毛色の違う自伝的書に共通しているのは、これらが単なるサクセス・ストーリーではないということ。著者として、また監修者として、自身の歴史に付加されてきた多様なパーツをパッチワークして、未来にまだまだ続いていくのだという決意が伝わってくる所。そして、この3者の飽くなきネットワーク拡大への意志、まだ見ぬ事象への好奇心の発露など、3者共時代が要請するビジョナリーとしての資質を持ち合わせていることだろうか。

Tuesday, February 17, 2009

来て、見て、語ることの選択

私はこのブログを始めて随分時間が経つが、小説家・村上春樹について語ったことがあまりない。
私は彼がまだ文芸誌・群像に処女作「風の歌を聴け」を連載していた当初から、彼の熱き読者であった。
当時私は中学2年生。まだ、文学の何たるかも理解していない、青臭いガキであったにもかかわらず、知り合いのおじさんが持ってきた文芸誌を手に取り、ちょっと背伸びしたくて1人の作家の文章に目を留めた。
それが「風の歌を聴け」で、ちょっとスノビッシュで、都会的なテクストの私は虜になってしまった。
その衝撃的な出会いから今年で30年、私は今も尚作家・村上春樹のテクストから逃れることができないでいる。

私に影響を与え続けるその作家が、「エルサレム賞」を受賞した。この賞は、イスラエル最高の文学賞で、「社会における個人の自由」を巡る優れた執筆活動に対して与えられ、これまでに英国の哲学者でノーベル文学賞受賞者のバートランド・ラッセル、仏人著述家シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス、チェコの作家ミラン・クンデラなどが受賞者として名を連ねる。

村上春樹は昨日エルサレム賞受賞スピーチを昨日行い、その内容が世界を駆け巡った。その演説は実に素晴らしく、私の心に響く内容であった。どこかの財務大臣のように醜態を晒さず、明快で、クリティックに満ちたものであった。
当初、暴力によって反対者を抑圧する国が主催者の授賞式に村上氏が出席することへの反対意見も多くあったが、これに対しても「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」という内容で見事に看破した。

秀逸だったのは、イスラエルのガザ攻撃などに対する批判を、「壁」と「卵」というキーワードによって、小説家らしく比喩的に、そしてシニカルに述べた部分であろう。
曰く、「私が小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか」。
曰く、「壁はあまりに高く、強大に見えて私達は希望を失いがちだ。しかし、私達一人ひとりは、システムにはない、生きた精神を持っている。システムが私達を利用し、増殖するのを許してはならない。システムが私達を作ったのでなく、私達がシステムを作った主人なのだ」。

村上春樹 「エルサレム賞」受賞スピーチ


「壁」は戦争などを生み出す社会システム、「卵」をその壁にぶつかって壊れていく人間の隠喩として、村上氏が用いているのは明らかである。村上氏は、どんなに「壁」が正しくて、どんなに「卵」が間違っていても、村上春樹という小説家は「卵」の側に立つと宣言したことに、私は敬意を表したいと思うのだ。
この「壁」が、村上作品の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「世界の終わり」パートに表現される、周りをぐるりと高い壁で囲まれたエリア=ガザ地区が妙にシンクロしていることもここで述べておきたい。


いずれにしても、村上春樹的隠喩としてのスピーチは、何の変哲もない普遍的な言葉で語られてはいるが、今の世界の状況を見事に言い当てている。大転換の時代にあって、今年はオバマ米国大統領の就任スピーチと今回の村上スピーチという秀逸な2つのスピーチを体感した。我々はこれらスピーチから、何を考え、何を実行するかを、1人ひとりが考えていかねばならない。

Sunday, February 15, 2009

春を告げる梅に出会う

先日、春の訪れを感じるために須磨離宮公園の梅園へ向かった。そこには、暖かな陽光に照らされた春告草(はるつげぐさ)がほぼ満開であった。
本日のblogは、初春の美しい花たちのPhotoでお楽しみ下さい。













Friday, February 13, 2009

建築の意志を感じた日

私は今年、建築的思考を今年は大事にしていきたいと、このblogで昨年末語った
今週、その建築的思考、いや建築の意志を体感する出来事が私に2つ起こった。

1つは、現在TOTOテクニカルセンター大阪で開催されている「安藤忠雄建築展 挑戦-原点から-」へ足を運び、安藤氏がこれまでその幾何学的手法で構築してきた数々の建造物を体感できたことである。


特に、今回私の思考を刺激したのは、安藤氏の実質的デビュー作である「住吉の長屋」、「光の教会」、「六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ」などから、現在進行形のイタリア・ベニスのピンタ・デラ・ドガーナ再生計画などの海外プロジェクトにおける実際のモックアップ(=模型)や設計図をライブで眼にできたこと。

光の教会

六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

コンクリートや木材で形作られた精緻なモックアップを見ていると、建築家・安藤忠雄の建築を通じて何を表現したいかという想い=建築の意志が、ダイレクトに私に伝わってきた。

2つ目の事象は、ちょっと私の気持を消沈させるモノであった。
それは、私が最も敬愛する建築家・レム・コールハースと彼が主宰する建築集団・OMAがここ数年関わってきた国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋の付属高層ビルが、下らない違法な花火で一部が焼失したというのだ。



OMAが構築した完成予想図:この図の向かって左側の建築物が焼失

建築とは、歴史を「空間化」する技法である。それは歴史に対し、アーバンだったりドメスティックだったり、公的だったり私的だったりする可視的な形態を与える。それはまた進行しつつある創造行為でもあって、未だ見えざる力や名付けられたリアリティと結びついていると、私は考える。
その完成間近な創造的リアリティを、情けない行為によって破壊されてしまうことに、レム・コールハースは今何を考えるのか。
彼はその最新著書「コールハースは語る」(筑摩書房)の中でも、国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋プロジェクトに対して熱く語っていたことからも、相当落胆しているのではないかと思う。


建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的モニュメントや都市計画(今回の国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋を含む)に至るまで政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。言い換えれば、認識的領域、道徳的、美的、法的、政治的、経済的な諸領域が錯綜した中に建築の意志が生きているという意味。
もちろん形あるモノは永遠ではないが、今回のような些末なことで未完成なクリエイティブ=建築の意志が失われることに、私は怒りを覚えることを表明しておきたい。

Saturday, February 07, 2009

日本初のクリエイティブ・ビジョナリーとは?

文化、芸術、思想、ビジネスなど様々な分野で、その先を見通す力のある、洞察力のある人のことを、「ビジョナリー」と呼ぶ。
日本で初めてのビジョナリーは誰なのかと考えた時、それは千利休なんじゃないかと思い当たった。

そういうことを考えていた時、pen最新号で「日本初のクリエイティブ・ディレクター 千利休の功罪。」という特集が組まれていた。


その特集は見事に、千利休の本質を掘り起こし、今一度この文化ヒーローについて考える機会を与えてくれている。
penで分析されている千利休の本質をキーワード化してみると、
衣食住のトータル・デザイン/ロングライフ・デザイン概念のパイオニア/個の美意識/Individual/表層的な視覚としての「寂び」/形而下的な価値観としての「侘び」/From High-End to Low-End/西田幾多郎的「無」の思想/ミニマル/目利きの哲学/キャッチコピーの達人/茶の湯の方法論や組織などのシステム化/美の方程式確立/黒の美/美学的殉教者
などとなるであろう。

penが描く利休像だけでも、十分そのビジョナリー的要素が読み取れる。

最近購入した、第140回直木賞受賞作「利休にたずねよ」(山本兼一・著)でもその人となりが、小説という形態を通して読み取れる。


千利休が美に殉教した当日から、時系列で遡っていく形式を取ったこの小説では、語り手が古田織部であったり、豊臣秀吉であったりと、面白い仕掛けがしてある。実に軽妙で、スピード感のあるこの作品を読んでいると、著者自身も利休のCreativityに如何に魅せられているかが、私の中に自然と入り込んできた。久々の、私の中でのスマッシュ・ヒットである。

私はこの日本初のビジョナリーについて、多様なテクストが残されている現在、一番信頼しているテクストに最後には戻ってしまう。
それは、青山二郎が数少ない著作の中で、利休の思想について考察した「眼の哲学/利休伝ノート」である。


そこには、利休の思想が的確に書かれている。青山は述べる「利休の前後に思想を持った茶人はなかった」と。「利休の美」は、外界に対する形式の反応から創造される。しかし、利休の美の周縁には、二重・三重の外界や社会の反応が呪縛となり、最終的には利休の死として結実する。このジレンマによって、利休の思想が結局は矮小化してしまっているのではないだろうか。

ビジョナリーとして社会に影響を与え続けることは、孤独な作業であり、自身の多様な事象に対する説明責任を伴う洞察力を磨いていくことに繋がる。利休はそのクリエイティブの本質を、自身の美に対する殉教で完結させてしまったが、それほど美を極める、審美眼を確立させるということは困難なことなのだということを、現在に生きる我々に示してくれているかのようだ。

Thursday, February 05, 2009

音と読書と香りと。。。

今日はちょっと疲れを癒すため、フレグランス・キャンドルの香りを楽しみながら、メロゥな音楽を聴きつつ、読書をしている。


このキャンドルは、パークハイアット・パリのアメニティーデザインを担当するなどの経歴を持つフリーランスのフレグランスデザイナーであるブレイズマーティンとVISVIMがコンフォートをテーマに共同開発したモノである。
「SUBSECTION FRAGRANCE / No.5 New Born」と名付けられたこのキャンドルでは、新生児の香りをパフュームで表現。トップノートにはピーチ、ミドルノートにキャラメルとローズ、ベースノートにミルクとサンダルウッドを使用し調合されている。この香りは、明日への息吹を私に与えてくれる。


自由なクリエイションを標榜するAUDIO ARTS SUPPLEMENTの「SOUNDLOGY 1」。
このアルバムでは、ブレイクビーツ、音響効果音などを用い、その音の構成要素の偶発的な結び付き=音のセレンディピティが生み出すメロゥなサウンドの世界観が見事に表現されている。
こういう音の中で、私の思考は解放される。


この書は、一度以前に読了したものである。
松浦寿輝が著した「方法叙説」というこの書は、批評・詩・小説の分野で活躍する著者自身の創造=Creativityの本質、その言葉の生まれ出るパトスなど、美の発見の瞬間を捉えたモノである。
著者が機中から見下ろした光点と光線とが交錯して創造される、パリというイルミネーションの項に書かれたテクストは秀逸である。
このように美しいエクリチュールは、私の思考を活性化させる。

Monday, February 02, 2009

Creativeな映画

インダストリアルデザインをテーマとした映画のトレイラーが公開されている。
オリジナルiPodやiMacをジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)がデザインした時どんな化学変化が起きたのか?

Jonathan Ive inside Apple Lab

イケアのテーブルをデザインしたとき何が起こったのか?
クリエイティブの本質を思考するとき、その瞬間の出来事を映像を通して知ることができるのは、実に興味深い。



その映画とは、「具象化して形にする」(Objectified)というドキュメンタリーである。Muji、IKEA、Apple、Flip Video、BMWなど有名ブランドのデザイン思考の段階から、プロダクトが具体化していくプロセスを見せてくれる。日々目にするモノや実際に使われるモノをデザインし、それらに日常的に触れているそんな人達にとっては、目を開かれる思いがするに違いない。

この映像が、深澤直人に始まり、深澤直人に終わるという展開も見所かも。
どうも限定的な公開になりそうだが、是非機会があれば足を運んでみたい。

Sunday, February 01, 2009

球春来る!!

いよいよ、阪神タイガースの沖縄キャンプが始まった。
11年前から、スカイ・A sports+では阪神のキャンプを毎日ライブで放送してくれる。


本日・2月1日は、プロ野球ファンにとっては特別な日である。
阪神タイガースの大ファンである私も例外ではなく、朝からテレビ画面に釘付けであった。
昨年の忌まわしい記憶から解放される日であり、その記憶を払拭するための第一歩となる日である。

阪神のキャンプ中継を見ながら、私は今年のタイガースの課題点を考えていた。
大きな課題は3つ、現状では存在する。

課題1)矢野捕手の後を継ぐ、正捕手を今年中に確立できるか?
これは阪神にとって、緊急の課題である。今年で矢野は41歳。本来なら、既に若手の中から、ポスト矢野が現れていないとイケナイ状況。なのに、後継者たる若手が育成されていない。これは、常勝・阪神を永続的に維持するためには必須条件である。野球にとってのキャッチャーは戦略の要なのだから。

課題2)ショートを守る鳥谷選手の一層の奮起。彼は、今後阪神の若手リーダーとして、阪神のリーダーとして、もっと闘争心を出してチームを引っ張っていかねばならない。今までは、その内に秘めた感情で、余りリーダーシップを発揮していたとは言えない。今年からは、新生真弓阪神のクリーンナップを担うとも予想される。そんな彼の潜在能力の本格開花なくして、阪神の日本一はありえないだろう。

課題3)いかに機動力を活性化できるか?赤星選手が阪神に入団してから、タイガースの機動力を活かす戦術が以前よりは使えるようになった。しかし、これも赤星頼りで、他の選手に走る、一歩先のベースを狙うという、考え方がイマイチ浸透していないように感じる。もっと、機動力に対する意識を高め、エキスパートがもっと出現して欲しい。

このようにキャンプ中継を見ながら、阪神の今年の課題を考えていると、2年前に訪れた沖縄での阪神キャンプを観戦した時のワクワクした日が蘇ってきた。
その当時の写真を幾つか。

阪神宜野座キャンプ地の玄関前に置かれたタイガースカラーのビートル


ビートルの中にはトラッキー


矢野捕手


今年も勝利への絶対的クローザーたれ、藤川!!


今年こそ阪神の真のリーダーに成長せよ、鳥谷!!


そして、今年も阪神の精神的支柱、金本兄貴