Thursday, July 23, 2009

今日という日にLeadershipについて考えてみよう

一昨日衆議院が1年遅れで解散し、総選挙へやっと政界は動き始めた。
昨日我らが阪神タイガースは、ダメ虎時代を彷彿とさせる無様な戦いをこの時期になっても未だ続けている。

この2つの事象は全く違うように感じられるだろうが、実は根っこの部分では同じ問題を孕んでいると私は考える。
ではその問題とは何か?
ズバリッ、それは「リーダシップ」である。

日本国の最高権力者と阪神タイガースの指揮官

私は、この2人の指導者のリーダシップに関しては、いささか疑問に感じている。
もっと辛辣に言えば、この2人にはリーダーシップが欠如している。
すぐさまご退場願いたいというのが本音。

私が経営大学院時代、リーダーシップとは「価値の源泉を明確にし、チャレンジする機会を追い求め、厳しい現実に立ち向かっていくことで、社会や組織やコミュニティを方向付ける一連の活動」のことであると、折に触れ叩き込まれた。
このリーダーシップの定義だけから見ても、上記2人の共通の一貫性の無さ、ぶれる、戦略の無さなど、リーダーとしての資質を疑われるポイントが数多く見受けられる。

今まで日本ではリーダー論を論じる時、平時と有事という区分で、そのリーダーの資質を決めてきたように思う。例えば、18年間優勝経験がなかった阪神タイガースを、星野仙一という有事に強いリーダーに託し、ダメ虎をセリーグ制覇へと2年間で押し上げた。
しかし、現在のように不確実な時代の中では、リーダーを決める際に考えるべき資質について、もう少し深く論じる方が良いように思う。

まず、皆さんが思い描く卓越したリーダーの資質とは何でしょうか?
大胆な決断を下し、人々をぐいぐい引っ張っていくカリスマ的リーダーを頭に浮かべるでしょうか。
私は基本的リーダーの資質として、
● 一貫性がある
● 常に前向きである
● 何事に対しても正直である
● 自分の強みを活かせる
● 他者に影響を与えられる
これら5つが最低限必要と考える。

この基本的資質に加えて、米国の経営学の権威とも表現されるピーター・ドラッカー達がリーダーの資質として挙げていて、私が重要と考えるのは、
● ビジョンや信念を持っている
● 多様性に対応できる
● 状況に応じて柔軟にアプローチできる
● リスク・テイクできる
● 後進を育成する
● 喜びを他者と分かち合える
これら6つのポイントになる。

上記11個の卓越したリーダーとしての資質を見て明らかなのは、リーダーが持つスキルではなく、信念、発想、行動など「人間力」にフォーカスされていること。

こういう風に、「人間力」を基点としたリーダー論を考える時、どのポイントにも上記2人の指導者は当て嵌まらない感じがする。
では、何故彼らを選択してしまったのか?
それは、名選手だったから監督としてのスキルも高いんじゃないか、昭和の名宰相の孫だからスキルが高いんじゃないか、と言う安易な幻想に囚われ、リーダーをチョイスしてしまった悲劇が、こういう現状を生み出している。

我々日本人もこの混沌とした時代に、真の卓越したリーダーを求めて、そろそろ星に手を伸ばさなければならない。
こんなことを思索していると、ある1つのCMが私の頭をよぎる。
そのCMはアップル・コンピュータが創造した有名なモノ。
そこには、エジソン、マハトマ・ガンジー、アルバート・アインシュタイン、キング牧師、ピカソなど、各分野で真のリーダーとして名を馳せた人々が次々と姿を現す。

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そして、バックグラウンド・ミュージックのように強烈なメッセージが埋め込まれている。
「世界を変えることができると、本気で信じている人達こそが、本当に世界を変えているのです」

Wednesday, July 15, 2009

1Q84≠1984:ポリフォニーな世界観

私はこの物語を、なかなかレビューする気にはなれなかった。
どう表現したら良いのかは分からないが、久々に読み終えるのが何だか名残惜しくなってしまい、読了後も余韻に浸っていたかった、というのが本音だろう。

1ヶ月以上前に、村上春樹の7年ぶりの新作は発売された。そこから2回読み返し、今回のストーリーのベースになったと推察できるジョージ・オーウェルの「1984年」も読み返し、やっと本日レビューらしきものを書こうかと思い到った。1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説として「1984年」を描いた、しかし村上春樹はそれとは全く反対に2009年に、こうであったかもしれない世界、つまり近過去としての物語「1Q84」を描いた。


私は基本、村上春樹の小説に関しては、余りレビューなどを書かず、自分の世界で完結させることを今までは好んでいた。今回の小説に関しては発売前からえらく話題になり、ちょっと社会現象にまで飛躍しているので、私なりのこの小説への向きあい方も含め、ちょっと書き残しておくことにした。

現在存命の小説家の中で、私が唯一処女作から読み続けているのが村上春樹。中学2年生の時、手に取った「風の歌を聴け」の鮮烈さから、私をフィクションの虜にした。彼の描く世界は、そのセンテンスの余白に多様な声が隠されている。今回の作品で言えば、あのオウム真理教事件的事象であったり、1949年(ジョージ・オーウェルが「1984年」を著した年)生まれの村上春樹が辿った同時代的な精神史であったり、「壁と卵」のエルサレム賞での村上スピーチの比喩的構成であったり、30歳の主役の男女以外の脇役たちが実に知的な文脈で我々読者に対話を挑んだり、といった具合に多声的であることは、今までの村上作品と共通している。

オーウェルの「1984年」がファシズム的システムへの批判であったように、「1Q84」で村上春樹が投げかけたメッセージも大文字の社会システム的な眼差しへの明確な批判であったように思う。
村上春樹が今年行ったエルサレム賞でのスピーチ:「壁と卵」を思い起こすと、あの時点からこの物語の序章が始まっていたのかもしれない。「壁=人間が創造したシステム=1Q84における邪悪なもの」vs.「卵=1人ひとりの人間=30歳の男女の主人公と、彼らをサポートする脇役達」という、大きな意味での構図が浮かび上がってくる。

このブログを読んでいただいている皆さんは、「1Q84」を未読の方もいると思うので、この1,000ページ以上の大作のコアの部分には触れないように、キーワード化によってこの作品を振り返っておきたい。

<1Q84を巡るキーワード&フレーズ>
現実世界とちょっとだけずれた世界/新興宗教/オカルト/DV/切ない純愛/特定のサウンドの共鳴/神話的構造/村上作品初の父性の発見/小説のリライト/造語的世界/レイモンド・チャンドラー的「殺し方」/テロル/あなたの空に月はいくつ浮かんでいますか?/チェーホフの「サハリン島」/ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」/ビッグブラザー的邪悪なもの/地下鉄サリン事件&阪神大震災における非日常的空間/

以上が私がピック・アップしたキーワード&キーフレーズになる。しかし、これらは私が「1Q84」を読み進める中で感じたものだから、皆さんにとってのキーになるテクストが表出してくると思います。
今回の作品は、文学的エッセンスもほど良く散りばめられ、現代社会が抱える多くの病巣的プロットも含まれる中でこのストーリーは展開します。だから、村上春樹の熱心じゃない読者でも、真のフィクションを楽しみたいと思われる方には一読をお薦めします。「1Q84」は必ずや皆さんの心に突き刺さる「何か」を提示してくれるでしょう。

<音的&心的「1Q84」モノローグ>


「1Q84」では、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」がバックグラウンド・ミュージックとして物語のエッセンスのように鳴り響く。その管弦楽曲によって、物語の主人公達は1984年とはちょっとずれた1Q84年に迷い込む。私はこの物語の入り方が、堪らなく好きである。

そして、物語の終わり近くで、昨年の私とシンクロする部分があった。「明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせる」 というテクストである。昨年病床の父が、最後には意識が無くなった時、私は父に対して家族で旅した世界各地で遭遇した楽しかった出来事などについて、父の耳元で明るく話していたことを、その物語は思い出させた。私は父の鼓膜を明るく震わせることができたのだろうか。

Monday, July 13, 2009

My 100 Standards(8/100):Seiko World Watch

8つ目のモノに対するストーリーは、父親の形見の腕時計である。
昨年7月に他界した私の父は、今回ご紹介する「Seiko World Watch」をビジネスシーンでいつもはめていた。
父親はビジネスの世界で結構高い地位にまで上り詰め、グローバルに世界を飛び回り、リーダーシップのある人間だった。そして、いつもゴールドとシルバーが絶妙に融和した、その粋な時計が腕にはあった。



私は父がその腕時計をはめて、海外出張に行く父の姿を見送りながら、幼心に私も海外への夢を持った。そして、アメリカの大学院へ留学を果たし、その後父親が引退した時この時計は私の手に渡った。
それ以降、私のターニングポイントとなる瞬間:大学院の卒業式、大事なプレゼンなどには、この腕時計をはめている。幸運を呼ぶ時計という訳ではないが、いつも私にとっての大事なシーンにこの時計が共にある。

一昨日の7月11日、丁度この日は1年前父親が亡くなった日なのだが、無事一周忌を終えた。
その日も、私の腕にその時計がはめられていたことは言うまでもない。

Wednesday, July 01, 2009

Thinking about "Breakthrough" on July 1st

I like word “Breakthrough.” This word includes the positive meaning of clearing the door for innovation or getting over any problems.

Recently, the world economy that various problems surfaced at a stretch possesses it for a coming situation for stabilization again and continues groping for it. Under these situations, we must right break through those difficulties.


As the prescription for a beginning of the solution of various problems in global market, Harvard Business Review(HBR) provides “Breakthrough ideas for 2009.”

Twenty power concepts for 2009 are the following:
01. Consumer Safety for Consumer Credit
02. Now's the Time to Invest in Africa
03. Just Because I'm Nice, Don't Assume I'm Dumb
04. Forget Citibank - Borrow from Bob
05. Harnessing Social Pressure
06. The Rise of Forensic Economics
07. A Looming America Diaspora
08. Institutional Memory Goes Digital
09. The Business of Biomimicry
10. The IKEA Effect: When Labor Leads to Love
11. Beware Global Cooling
12. The Dynamics of Personal Influence
13. Western Union World
14. State Capitalism Makes a Comeback
15. Launching a Better Brain
16. Stumbling to a Longer Life
17. What You Need to Know About the Semantic Web
18. How Social Networks Network Best
19. Should You Outsouce Your Brain?
20. A Central Nervous System for the Earth

These ideas are constructed various domains like Architecture, Psychology, Criminal Psychology, Biology, Futurology, and so on. In short, HBR proposes that many problems which the current world has mean what you should exceed by the entirety of the intellect.

Therefore, I want to regard words called the “Breakthrough” as important.