Friday, November 17, 2006

Professional達に捧げる、プロフェッショナル論

私のこのブログを読んで貰っている人達の中には、クラシコイタリア系セレクトショップ・オーナー、Eye Wearセレクトショップ店長、士業(会計士、税理士、測量士など)の方々、ファッションデザイナー、医師、システム・エンジニア、WEBデザイナー、ヘッジファンドのマネージャー、起業家、建築家、現代美術のアーティスト、キュレーター、経営コンサルタント、外資系航空会社のキャビン・アテンダント、などなど、実に多士済々なその道のプロの方々がこの場に集っておられます。

リアルな世界でもここ最近、ビジネスシーンでも、プライベートでも、国際弁護士やヘッジファンドのマネージャーなど、その道のプロと表現される人々と食事をし、語らう機会が立て続けにあった。彼らと対話をしていると、「私自身にとっての"Professional"とは?」「Professionalとはどうあるべき?」ということを考えさせられた。



こんなことをおぼろげに考えている中で、以前読んだ書籍のタイトルが頭の中に浮かんできた。それは、「世界級キャリアのつくり方―20代、30代からの"国際派"プロフェッショナルのすすめ」(written by 黒川清、石倉洋子;東洋経済新報社)。これは、タイトルにもあるようにこれから国際的に活躍したい人々に向けたガイドラインを示した書籍である。この書籍が珍しいのは、元マッキンゼーのトップコンサルタントだった石倉洋子氏と、日本学術会議前会長で医師の黒川清氏の共同著作である所だろう。二人の違った知性がぶつかり合うことによって、これまではテクニカル論に陥っていた同類の書籍が多く見られる中で、今までにはない切り口でグローバルに通用するキャリア形成について論じている。その論点は、「現場力」、「表現力」、「時感力」、「当事者力」、「直観力」というキーワードによってカテゴリー化され、実に読みやすい構成になっているので、興味のある方は手に取って貰いたい。



では、「真のプロフェッショナルとは何か?」という議論に話を戻してみたい。皆さんは、「ヒポクラテスの誓い」という言葉を耳にされたことはあるだろうか?ヒポクラテスとは、紀元前5世紀の古代ギリシャの医師で、「医学の父」と称される人である。彼が医師の心得、つまり「ヒポクラテスの誓い」を構築し、そこからプロフェッショナルという概念が誕生した。古代ギリシャで医師の他にプロフェッショナルと表現されていたのは、弁護士、建築家などである。"Professional"という単語は、"Profess"という「宣誓」の意味から来ている。ここからも分かるように、元来プロフェッショナルな職業に就任するに当たり、神に対して誓いを立てるほどの厳しい職業なのだ。

「ヒポクラテスの誓い」では、正しい医師であるための掟が七ヶ条によって示される。
そこには、
● 患者の利益を第一とする
● 男と女、自由人と奴隷とを差別しない
● 患者の秘密は守る
などがある訳だが、これらを見ていると20世紀になって経済システムが複雑化する中で誕生した新たなプロフェッショナルである経営コンサルタントや会計士などの行動規範と大変似通っていることが分かる。
つまり、「患者の利益を第一とする」は、ビジネス・プロフェッショナルの領域で言われる"Client Interest First"(顧客利益第一)がこれに該当するし、「患者の秘密は守る」というのもビジネス・プロフェッショナルは守秘義務契約を顧客と交わすことで、絶対に秘密を外に漏らすことはできない。

ここまで見てくると、「プロフェッショナルって、なんかイメージとちゃうなー」と思われる方がおられるかもしれない。勿論、プロフェッショナルは魅力的な仕事である。例えば、MAJOR-LEAGUER・イチローの打撃や守備の華麗さは世界中のファンを魅了するし、CDの中から聞こえてくるGlen Gouldのピアノ演奏は我々を陶酔させる。ただし、この様に華麗な仕事をしている人々は、様々な厳しい掟の遵守および公益への奉仕を義務づけられた上で、高度な知識と技術を駆使して自律的に様々な要望に応えているということを忘れてはならない。

私も真のプロフェッショナルを目指している人間として、次の掟を再確認しておこう。
私は"Client Interest First"(全身全霊をかけてクライアントのために仕事をする)を実践できているか?
私は仕事に取り組む上で"Output Oriented"(結果が全て)精神を追求できているか?
私は"Quality Conscious"(本気で最高水準を目指す)のための努力を惜しんでいないか?
私は"Value Based"(価値を最大化することを最優先)するために、成果物に対しての手間を惜しんでいないか?
私は"Sense of Ownership"(自分自身の仕事に対する全権意識)を肝に銘じ、自分の仕事のために自律的に動き、自分で全ての権限を持ち、そして同時に全ての責任を負って仕事に向き合っているか?

皆さんはいかがですか?

Sunday, November 05, 2006

"Cold Blood"とカポーティ

先日久々に映画館で、心に「ズンッ」とくる映画を見た。題名は「CAPOTE」。
神戸で最も私が好きな映画館、神戸シネ・リーブルでの上映であった。



ずいぶん昔(高校生ぐらいだったか)になるが、トゥルーマン・カポーティの著作「冷血」を私は読んでいて、今回の作品はこの著作を書き上げるまでの苦悩、苦闘を実に見事に描写していた。特にカポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンがカポーティ自身の喋り方までも再現し、繊細で、傷つき易い「早熟の天才」を演じきっていた。



小さな田舎町で起こった凄惨な殺人容疑者の一人とのダイアローグは、この作品の核心部分であり、容疑者とカポーティの対話一つ一つに引き込まれてしまう。ノンフィクションのメルクマール的存在「冷血」後のカポーティは、完成された作品を1つも残すことなく、最後には薬物中毒で亡くなった。映画のラストシーンではその悲しみも見事に表現され、もう言うことなし。この秀逸な作品を鑑賞される前に、私は作家が命を削って作り上げた著作「冷血」を一読しておくことをお薦めする。