Friday, September 29, 2006

緊急更新!! 阪神タイガース、その可能性の中心



本日緊急に更新しま~~す。書かずにはいられませんでした。
我が愛すべき、阪神タイガースの過去・現在・未来。

私は何を隠そう、大の阪神タイガース・ファンである。
私がこの世に生を受けてから、私自身の目で優勝を体感したのは、たった3回:1985年、2003年、そして2005年。これを見てもお分かりのように、その他のシーズンは殆どが、悲惨な結果に終わっていた。しかし、しかしである、現在のタイガースは昨日までのゲームを見ていても明らかなように、勝利への執拗なまでの執念が持てる球団に変化している。私達阪神ファンが、長年想い描いていた状況が、眼前で展開されているのだから。

あの藤川球児投手の涙から、破竹の勢いで勝ち進んでいる。そして、いよいよ、本日から中日ドラゴンズとのラストバトルが行われ、今季の命運が決まる。私は今シーズンに限っては、マスコミ報道のような「ミラクル逆転優勝」などは期待していない。私の気持ちを高ぶらせているのは、タイガースの勝利へのコダワリ、そして何よりも、来季への素晴らしい流れができつつあることへの期待感である。

先にも述べたように、私は長年阪神タイガースを愛している。初めてタイガースの試合を甲子園球場で観戦したのは、小学校1年生(だったと記憶している)。父親に連れられて、甲子園球場の門をくぐった。球場内の階段を上り、視界が急に開け、カクテルライトに照らし出されたフィールドの美しさを今でも脳裏に焼きついている。その頃のタイガースは、宿敵・読売ジャイアンツV9時代の中で、毎年2位か3位に甘んじていた。私が観戦したこの初甲子園のゲームでも、あの長嶋茂雄や王貞治が活き活きとプレーしていた。それに対抗する形で、我が阪神には天性のホームラン・アーティスト、田淵幸一や、日本球界屈指の左腕・江夏豊がいた。私は田淵の大ファンで、今でも自宅にはサイン会で直接田淵からサインしてもらった色紙を大事に取ってある。そのサインの横に、後に私が田淵の次に憧れた選手・掛布雅之のサインがあったことを明記しておこう。

甲子園球場の応援も今のように鳴り物はなく、現在のメジャーリーグのような応援形式で、実に野球好きにはたまらない環境であった。現在のような一種エンターテインメントな応援になったのは、1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発、21年ぶりのセリーグ制覇、そして日本一へと向かう、あの時期ではなかっただろうか。私が憧れたMr.Tigers・掛布雅之、彼の小柄ながらに力強く振り出されるバットからどれだけホームランが生み出されたであろうか。そして、秀逸なのは彼の3塁の守備。もう、華麗という言葉がぴったりくるプレーであった。

その後、皆さんがご承知のように、長い暗黒時代が続いた。何人監督が交代したかも、今では把握できない。阪神が立ち上がるのは、17年後の星野仙一前監督の就任まで待たねばならない。私はマネジメントに直接タッチする仕事をしていたのでわかるのだが、こんなに長期間停滞した組織がもしこの世に存在するなら、その企業なり、組織は、市場から信頼を得られなくなるであろう。しかし、タイガースはプロ野球という特殊な環境の下、熱烈なファンに守られ、「阪神タイガース」というブランド価値を維持してきた。これは何も、阪神電鉄のトップマネジメントが努力した結果ではない。彼らは、何もせず、阪神人気に胡坐をかいていただけである。そのマネジメント能力のなさが露骨に表れたのが、昨年から今年始めまで継続した、村上ファンドとの遣り取りの中でも明らかとなった。明後日10月1日付で、阪神電鉄グループは阪急グループと合併・統合する。未来の視点から見れば、企業母体の図体が大きくなっただけで、マネジメント能力の向上がなったわけではないので、私は未だ安心感を持って見つめることができないでいる。

星野前監督を語る前に触れておかねばならないのが、やはり野村克也現楽天監督の存在であろう。彼は多くの批判も受けたが、私が認めているのは、彼の人材採用戦略と「野村の考え」に代表される戦略・戦術の重要性を阪神の選手達に植え付けた所であろう。特に、人材採用に関してのユニークポイントは、一芸(足が速いなど)に秀でた、赤星や藤本などの選手を集めたことにある。それまでの阪神は、エリート主義で、ホームランを量産できる選手、ノンプロ界のエースなど、スター選手ばかり追い求めてきた。この野村克也の視点=逆転の発想こそ、今の阪神の礎になっていることは間違いない。

現在の阪神タイガース=常勝を目指すチームへ蘇らせた男こそ、星野仙一現オーナー付きシニア・ディレクターである。彼が監督になってくれていなかったら、今のタイガースはないとまで思わせる、強烈な個性とリーダーシップの持ち主である。ただし、彼のスキルが高い部分は、「言葉」ではないかと私は考えている。彼の実績に裏打ちされた選手を高揚させる「言葉」、選手を褒めたり、叱責したりするときの飴と鞭を使い分けた「言葉」など、星野という人間の本当の凄さはそこにあるのではないだろうか。小泉純一郎前首相のような「ワンフレーズ・ポリティックス」ではなく、星野の言葉には心が篭っていた。だから、選手のみならず、ファンにまでその「言葉」は届いたのである。このような稀有なリーダーだからこそ、現状のタイガースの精神的支柱になる選手、金本(元広島カープ)、下柳(元日本ハム)を獲得できたのではないだろうか。そしてあの、2003年のセリーグ制覇、昨年の岡田監督のもとでの優勝へと導いていった。

このブログのタイトル:「阪神タイガース、その可能性の中心」とは、何も球界の盟主になることではない。我々ファンに対して、ワクワクする様なゲームをシーズン中には見せてくれること、そしてそのための準備(人材採用戦略など)を毎年怠らずに継続していって欲しいということである。
本日からの中日との3連戦は、現在の視点(逆転Vなど)ではなく、長期的な視点=未来の視点で見つめて貰いたい。そうすれば、自ずと「阪神タイガース、その可能性の中心」が見えてくるはずだから。

Sunday, September 24, 2006

アートとビジネスの相関関係:「芸術起業論」

どんな世界にも戦略が必要だ。
それが、芸術=アートの世界であろうと、例外ではない。素晴らしい作品を世に残していくためには、アーティスト自身が自己の作品を商業ベースにのせていく緻密な戦略を練っていくことが重要なんじゃないかと、私は考える。
アートやデザインの業界はどうもこの利益を追求する姿に対して嫌悪感があるようで、他者を感動させる新たな作品・潮流を生み出していくキー・ドライバーは「金銭」と「時間」が基本的要素であることを忘れている。
加えて、どうもアートを語る批評家達は、作品の上辺ばかりを見て、作品の本質部分に光を当てようとしない。これでは、アートやデザインの世界は一般的にはならないし、いつまで経っても一部分の人々が楽しむものでしかない。

この様なことを考えていたとき、書店で手にした書籍が村上隆の「芸術起業論」(幻冬舎)であった。彼の作品は今では、サザビーズのオークションで1億円以上で取引されている。その余りの海外市場での人気に、同業者や批評家からは、金儲けばかり考えているエセ芸術家、オタク文化を再解釈しただけの物真似作品、などと辛辣な批判に晒されている。しかしこの様な批判は何も今の時代に始まったわけではなく、Andy Warholが初めてポップ・アートを世に出したときもそうではなかったか。またもっと時代を遡ると、天才芸術家・北大路魯山人(漫画・美味しんぼの海原雄山のモデル)も、料理・陶芸・書などを総合的にプロデュースする能力を妬まれていた。どんなに批判の対象になろうとも、私は彼ら3人のアーティストの行動・思考様式を大変評価している。





「芸術起業論」の中で村上は、世界的に通用するアーティストになるためには、「西洋美術史でのコンテクストを作成する技術」=「世界基準の文脈を理解する技術」を身に付けるべきであることを繰り返し述べている。つまり、芸術作品は社会と接触しなければ、作品としての価値は見出されず、単なる自己満足の代物でしかない。だから、アートの世界にも、アーティスト自身がビジネスセンス、マネジメントセンスを貪欲に身に付ける必要があるということを訴えかけている。私のようにアメリカで教育を受け、市場原理主義が普通と考えている人間からは、至極当たり前のことを述べていると感じるのだが。

一人のアーティストがこの様な書籍を書き上げたことも驚きだが、それよりも未だにアートの世界が閉鎖されたコミュニティの中で、自己満足な作品しか生産していない現実に傲然となる。忘れてはならないのは、どんな商品・サービスでも、顧客がいて、その顧客とのコミュニケーションが成立してこそ、認知されるのである。それがいかに芸術作品であったとしても、何ら変わることはないと思うのは私だけであろうか。

アート世界の閉塞感を打破するために、次代のアート空間を担う一人になるであろうだい氏にこの一冊を手にとって貰いたい。

Sunday, September 17, 2006

Magazine as Thinking / Relaxing Tool

自宅のマイ・ルームが、書籍と雑誌に埋もれてしまっているので、この3連休で整理をしようと心に決めた。整理していく中で、「もう何でこんなに、いっぱい雑誌があるねん!!(自分で購入したのだが)」と少し腹を立てながら、様々な雑誌を眺めていた。

これまで多様な雑誌に目を通してきたが、現在定期購読したり、部分的に購入している雑誌は、ビジネスで利用する(思考する)ための雑誌と、リラックスするための雑誌とに大きく区分できる。今回の整理を機に、本日のブログは私が「今」"IN"と感じているMagazineの数々を紹介してみよう。

まずは、定期購読しているもの:

Harvard Business Review: アメリカ滞在時代から読み続けている雑誌。現在は日本語訳がダイヤモンド社から刊行されている。これは現在の最先端の経営理論などをいち早く紹介する、まさにマネジメント・バイブル。今後独立などを考えている人は、必読の雑誌。「経営」のトレンドが分かる。(月刊誌)

・Think!: これは「論理的思考力増強」、「シナリオプランニング法」、「マーケティング戦略に必要な思考法」など、ビジネス現場でのスキル・アップを伝授するのを主体とした雑誌。実際に活躍するコンサルタント達が執筆にあたっているため、新鮮な情報が得れます。(季刊誌)

・BRUTUS: 創刊時から読み続けている、カルチャー・トレンド雑誌。これは、思考用にも、リラックス用にも使える。時代時代にあったテーマ選定は秀逸。今まで印象に残っているのは、イームズなどの椅子特集、最近では伊藤若冲を特集したもの。

・TIME Magazine: 週刊で世界の情勢を伝えるニュース誌。難解な英語を使うので有名。ここで使われる単語やフレーズは、英語初心者には大変取っつきにくいのだが、その英文構成は一級品。アメリカでレセプションパーティーなどに出席すると、これを読んでいないと話題に付いていけないことも。



テーマや寄稿者によって部分的に購入している雑誌:

<文芸>
・群像
・文学界
・新潮
これらの文芸誌は、村上春樹の小説が掲載される、私が最も敬愛する批評家・柄谷行人の論考が掲載される、蓮實重彦の映画論が掲載される、などによって購入。

<人文・思想>
・Inter Communication
・現代思想
・at(アット)
at(アット)は昨年から刊行され出したものだが、柄谷行人の「革命と反復」が連載されている間は購入し続けるかな。

<ビジネス>
・広告批評
・宣伝会議
・Design
・日経biztech
・Web Strategy

<アート・建築・デザイン>
・美術手帖
・pen
・Casa BRUTUS
CASA BRUTUSは主に建築と文化などの融合を紹介する雑誌だが、BRUTUSとは違った切り口の構成は興味深い。好きな雑誌の一つ。penも最先端の建築、グラフィックアート、プロダクトデザインなどの紹介&提案を行う雑誌。最近ではレム・コールハース佐藤可士和などの特集が印象深かった。

この様に多種多様な雑誌を購入して、アートの写真を眺めたり、書き込まれた文章を読むことで、My Brainの活性化を図っている。Magazineは書籍に比べて、文章を読むと言うより、そこに掲載された写真やピクチャーから何かを読み取るということが多い。そこが、自分の考えを可視化することに役立っているんじゃないかと、最近思っている。

私は今後も、多種多様な雑誌を手にして、そこに掲載された情報を自らの考えにパッチワークしていく。

Tuesday, September 12, 2006

身体を自由にするEye Wear


私は小学生の頃から強い近視で、ずっと眼鏡のお世話になっている。しかし、小学生から高校生時代までは、私の感性にあったデザイン、質感などを兼ね備えた眼鏡が存在しなかったため、眼鏡をかけることに抵抗があった。その抵抗感がなくなったのは、暫くの期間をおいてアメリカ留学時にある店に出会ったから。

その店とは、その当時NYでは殆ど無名に近かったSelima Optique。現在では独自ブランドも市場に出回り、Eye Wear市場に存在感を示している。私が訪れた当時はこぢんまりしたお店に、チャイニーズのお洒落な店員が一人で対応してくれる店だった。そこで、alan mikliとうEye Wearに出会い、私の眼鏡好き人生がはじまった。alan mikliとの出会いで、ファッションの一部としてのEye Wear=身体を自由にする眼鏡を意識したと言っても過言ではないだろう。

それ以降は、スタイリッシュなEye Wearを探す旅がはじまった。米国留学を終えて日本に戻ってからは、神戸・元町にある主張するEye Wear提案を行ってくれるdecoraで、On時 and OFF時のEye Wearを作っている。この店の名前の由来は、どうもポストモダン思想のコアエンジンとなったDeconstruction(脱構築)からきているみたいだ。この用語は、フランスの思想家・ジャック・デリダの考え方の根本でもある。


decoraで私は様々なEye Wearに出会い、そして日常の中で私の身体の一部として、無意識の領域まで入り込んでいる。最初の出会いは、「999.9(フォーナインズ)」であり、最近のお気に入りは「Theo」。ここのEye Wearには、アートの香りと、エロティックな香りが漂うという、その一種アシメトリーな所が私を虜にしている。今年の夏のヘビーローテーションのサングラスも、Theoのものが活躍した(写真に撮ってみました)。当分の間は、Theoを愛用していくと思うが、今後私の前に未知なるEye Wearが出てくることも望んでいる。

最後に、いつもお世話になっているdecora店長のU氏にThanks a lotの気持ちを伝えておこう。

Monday, September 11, 2006

9.11に思うこと

私はあの日、2001年9月11日のTV NewsのLive中継で見た光景が未だに頭から離れないでいる。
あの当時私は東京で働いており、大手クライアントのブランド戦略立案で忙しい日々を過ごしていたのだが、あの日は偶然午後10時に帰宅していた。そして、TV NEWSをつけた瞬間、2機目の航空機が世界貿易センター(WTC)に突入した。私はこれが現実なのか、それとも非現実なのかという判断が付かなかった。

WTCは私にとっても大変懐かしい場所であった。私は米国滞在時、WTCの地下にはブロードウェイのミュージカルの当日券を購入できるショップがあり、そこによく足を運んでいた。WTCの近くにはWall Streetの金融街もあり、MBAのフィールドワークにも出かけ、本当に馴染みの場所であった。その場所が、TV画面を通してではあるが私の目の前で、脆くも崩れ去っていった。

WTCは1970年~72年にかけて日系アメリカ人建築家・Minoru Yamasakiの設計によって建てられた。その建築様式は色々批判もあったが、NYを代表するランドマークであるだけでなく、時代を反映した象徴的なビルディングであった。同じくNYにある象徴的ビルディング群のクライスラータワー、エンパイヤーステートビル、ロックフェラーセンターはアールデコ様式として有名であるが、WTCはアールデコより無駄な要素を極限まで削ぎ落とし、簡潔なデザインを目指すというモダニズムの教科書的な存在であった。その様式は建築批評家などからは、辛辣に言われもしたが、私はWTCを真下から見上げると、モダニズムの究極形とも言える二本のメタリックな直方体が空に向けて真っ直ぐ伸びている姿に迫力を覚え、その姿が好きだった。

WTCというモダニズム建築に、ポストモダン思想を見て取った思想家がいる。ジャン・ボードリヤール、その人である。彼は著作「象徴交換と死」の中で、「(エンパイヤーステートなどの)他の摩天楼のそれぞれが、常に恐慌と挑戦の中で自己を乗り越えてきたシステムの各時期を表しているのに対し、WTCの二つのタワーは、二重化の眩暈の中で一つのシステムが閉ざされたことの明らかなしるしなのである。」と。彼はポストモダンのモニュメントとしてWTCを捉えていたのであろう。


話しをあの当時に戻そう。TV NEWSを見ながら、NYで働く私の友人達のことを考え、E-Mailや電話で連絡を取ったが、電話は勿論音信不通。メールが返信されてくるまでの1週間は、仕事をしていても何か落ち着かない自分がそこにいた。無事の知らせを受けたときの感覚は、今でも昨日のことのように覚えている。

9.11以降の世界状況は、皆さんもご存じの通りである。最新のTime Magazineでは、「What We Lost」と題して、特集記事を組んで、同時テロの過去・現在・未来を表現している。アメリカはこの5年間、「21世紀型の新たな戦争」、「正義の戦争」、そして現在では「イデオロギーの対決」などと様々な記号を発して、リアルな戦争を繰り返している。しかし、この果てしのない報復は、現在我々に終わりなき悪夢を見せている。Time Magazineが伝えるこの5年間に「失ったもの」は余りに大きいのではないだろうか。


いずれにしても、我々はあの当時、ある人はWTCの近くで、ある人はTV画面を通して、またある人はInternetを通して、同時に9.11を共有した。そして、世界中の人々一人ひとりが、各々の物語を持った。その意味で、5年後の今、私も物語を持った一人として、世界中の人々と共にあの日犠牲になった貴重な命に深い祈りを捧げたい。そして、今は名前を変えたWTC=「グランド・ゼロ」から、未来への一歩を踏み出さなければならない。

Sunday, September 10, 2006

Günter Grassと曖昧さ

先月の話しだが、私にとって衝撃的な事象が耳に入ってきた。
それは、ギュンター・グラスという20世紀最高の小説家であり、劇作家の一人である人間が告白した事柄であった。彼は、1999年にノーベル文学賞も受賞している。Time Magazineなどの英文誌は、"It had to come out finally."と表現した。
何が衝撃的だったかというと、ギュンター・グラス自身が第2次世界大戦末期にナチスの親衛隊(SS)に所属していたことを告白したのだ。私にとって、「何故今頃のカミング・アウトなん」という感じでした。Too Lateでしょうに。

さて、ここまで書いてきて、このブログをご覧の皆さんが「ギュンター・グラスってどんな作品を書いてきたん?」って思われているかもしれませんので、一番メジャーな作品をご紹介しておきます。
それは「ブリキの太鼓」。この作品をご覧になったことはないでしょうか?私は何回か繰り返し見てるんですが、これは彼の小説を映画化した作品で、三歳で成長を止めた子どもの目を通してナチスに染まりゆく風景を描き上げたもの。正にこの作品は、ナチスとその思想を痛烈に批判したものであるのは明らかだし、ギュンター・グラス自身もナチスの行動はもとより、先日のイラク戦争などもアメリカの暴挙と批判し続けてきていたんですよ。その彼が、ナチスという20世紀最大の暴力装置の中における象徴的存在のSS出身だったとわ。この現実を目の当たりにして、私は虚無感に陥りました。


この様な論争は以前もあった。20世紀最大の思想家、マルティン・ハイデッガーのナチスへの荷担というもので、この論争は今も継続している。この思想家の影響は、戦後の日本の知識人にも相当な影響を与えた訳だが、それ自体も検証が成されていない。戦後自己批判を繰り返し、周辺国への補償など(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の世界遺産登録を含む)に対しても心を配ってきたドイツでさえ、言論・思想界は未だに今回のような問題に苦しんでいる。


私は今回の問題を眼前にして思うのだが、現在に生きる人々の文化や言説を左右する思想家、小説家などの知識人達は、自分の立ち位置の曖昧さを廃して、もっと思考の角度を高めて欲しい。この私のブログのタイトルにもなっている、「Think-Write、Think-Velocity」の精神、「書くことによって考え、思考する速度を高める」に立ち返って。

今月4日、告白後初めて公の場に姿を現したギュンター・グラス、報道によると「多くの批判にさらされたが、まだ両足でしっかりと立っている」と述べたという。その報道の中でも明らかにされたのだが、今回の告白と同時に、その告白内容詳細を含んだ彼の回顧録「Peeling the Onion(タマネギの皮を剥きながらと訳すんかな)」を出版したと聞き、これは一種のプロモーションも兼ねていると感じたのは私だけではないだろう。憤りを憶えるより、ここまで来ると呆れかえりますね。

いずれにしても、戦後60年以上も経た今、まだこのような曖昧模糊とした議論が知的空間で繰り広げられている実態にこそ、私は危機感を覚える。

Saturday, September 02, 2006

身体を自由にする衣服、食事



哲学の領域には、身体論というものがある。この領域で私がいつも参考にしているのが、鷲田清一氏の著作である。彼は臨床哲学者として、哲学をベースに身体、他者、果てはモード論まで論じる希有のThinkerである。彼の著作にもあったと記憶しているのだが、身体を自由にするファッション=衣服を着ることがもう一枚の皮膚をまとうがごとく、自然に身体にフィットする、ということを示唆していた。

身体を自由にする衣服、眼鏡、食事など、人それぞれの想い、感じ方があるでしょうが、私には自身の身体を自由にするモノを提供してくれる店が現在存在します。これは本当に喜ばしいことで、こういう「場」は今後も大事にしていきたいと考えている。

前置きが長くなったが、その大事な「場」で起こった昨日の出来事を記したい。
まず一つめの「場」は、前回のブログでも紹介したCINQUE CLASSICOである。ここで、昨日・9月1日~3日まで「Festa Completo SU MISURA di Autunno e Inverno 2006-07」と題したスーツ・ジャケットのオーダー会が開催されている。私も今までに2度オーダーさせて頂いたのだが、仕上がった衣服は私を自由にしてくれた。
昨日はこの「場」を通して友人となったひであき氏と、私を自由にしてくれる眼鏡を提案して頂いているセレクトショップ・decoraのU氏がジャケットをオーダーされるのにお付き合いした。ご両者とも、ご自身の身体を自由にするジャケットを手にされる日が楽しみですねー。

二つめの「場」は、Nstyle Cafeです。このカフェは、ひであき氏にご紹介頂き、昨晩氏と共にご一緒させて貰いました。店内は、ポストモダンな快適空間が広がり、隠れ家的な佇まいが<癒し=身体の自由>を与えてくれます。勿論オーナーズシェフやスタッフの接客力も、その空間をプロデュースしていることは言うまでもありません。何より、和洋折衷の料理=秀逸な穴子丼、岩ガキ、カレイの昆布締め、地鶏のたたき、などなど、もうDeliciousの一言でした。最後のデザートでいただいた、Iceカプチーノに描かれていた「ブースカ」の絵が、それまでいただいた料理群を引き立たせました。

こうして、身体論を考えさせられた一夜が瞬く間に過ぎ去っていった。

Friday, September 01, 2006

書いて考える、書くことによって考える

私は仕事柄、書くという行為を日々こなしている。仕事柄というと疑問に思われるだろうが、私は現在はWEBインテグレーション関連企業で企業戦略に関してお客さんにアドバイスするプロデューサーなる仕事に従事している。過去に遡ると取締役、ブランド戦略コンサルタントなどをやっていた。これらの職種に共通するのは、プレゼンテーションのための資料作り、会議の議事録作成であったりと、書くことが多くある。仕事で書くことには余り憂鬱にならないのだが、日記などを書こうとすると大体3日坊主になってしまう。このブログを始めるにあたって、3日坊主だけは避けようと自戒しつつ、本日からぼちぼち始めてみたい。

先程も言ったが、私は図解してお客さんに説明したり、人前で話したりと、他者とのコミュニケーションを生業としている。そこでいつも私が肝に銘じている言葉、それが「Think-Write、Think-Talk」である。
「書いて考える(Think-Write)」この言葉を耳にしたのは、大江健三郎が出演していたTV番組、それとも2003年9月に亡くなったエドワード・サイードの著作であったろうか。
私はビジネスの現場でも、大学院(米国MBA)で論文を書いていたときでも、この言葉を大事に今も昔も行動している。

この言葉はもう一つの言葉と対を成す。それは、「Think-Talk(話しながら考える)」である。
この言葉も私の行動に大きく影響しているが、ブログは"書くことによって考える"が重要なはずなので、今後このブログを通して、不定期に自分が今"IN"と感じている事象:Business、Trend、Shop、Reading、Art、Music、エトセトラについて語っていきたい。

最後になりましたが、私にこのブログを書こうと思わせる誘因となり、私のビジネス現場における最良のファッション提案を行って頂けるセレクトショップ:CINQUE CLASSICOオーナーの藤原氏に謝意を申し上げます。

初ブログはこの辺りで。