Sunday, September 10, 2006

Günter Grassと曖昧さ

先月の話しだが、私にとって衝撃的な事象が耳に入ってきた。
それは、ギュンター・グラスという20世紀最高の小説家であり、劇作家の一人である人間が告白した事柄であった。彼は、1999年にノーベル文学賞も受賞している。Time Magazineなどの英文誌は、"It had to come out finally."と表現した。
何が衝撃的だったかというと、ギュンター・グラス自身が第2次世界大戦末期にナチスの親衛隊(SS)に所属していたことを告白したのだ。私にとって、「何故今頃のカミング・アウトなん」という感じでした。Too Lateでしょうに。

さて、ここまで書いてきて、このブログをご覧の皆さんが「ギュンター・グラスってどんな作品を書いてきたん?」って思われているかもしれませんので、一番メジャーな作品をご紹介しておきます。
それは「ブリキの太鼓」。この作品をご覧になったことはないでしょうか?私は何回か繰り返し見てるんですが、これは彼の小説を映画化した作品で、三歳で成長を止めた子どもの目を通してナチスに染まりゆく風景を描き上げたもの。正にこの作品は、ナチスとその思想を痛烈に批判したものであるのは明らかだし、ギュンター・グラス自身もナチスの行動はもとより、先日のイラク戦争などもアメリカの暴挙と批判し続けてきていたんですよ。その彼が、ナチスという20世紀最大の暴力装置の中における象徴的存在のSS出身だったとわ。この現実を目の当たりにして、私は虚無感に陥りました。


この様な論争は以前もあった。20世紀最大の思想家、マルティン・ハイデッガーのナチスへの荷担というもので、この論争は今も継続している。この思想家の影響は、戦後の日本の知識人にも相当な影響を与えた訳だが、それ自体も検証が成されていない。戦後自己批判を繰り返し、周辺国への補償など(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の世界遺産登録を含む)に対しても心を配ってきたドイツでさえ、言論・思想界は未だに今回のような問題に苦しんでいる。


私は今回の問題を眼前にして思うのだが、現在に生きる人々の文化や言説を左右する思想家、小説家などの知識人達は、自分の立ち位置の曖昧さを廃して、もっと思考の角度を高めて欲しい。この私のブログのタイトルにもなっている、「Think-Write、Think-Velocity」の精神、「書くことによって考え、思考する速度を高める」に立ち返って。

今月4日、告白後初めて公の場に姿を現したギュンター・グラス、報道によると「多くの批判にさらされたが、まだ両足でしっかりと立っている」と述べたという。その報道の中でも明らかにされたのだが、今回の告白と同時に、その告白内容詳細を含んだ彼の回顧録「Peeling the Onion(タマネギの皮を剥きながらと訳すんかな)」を出版したと聞き、これは一種のプロモーションも兼ねていると感じたのは私だけではないだろう。憤りを憶えるより、ここまで来ると呆れかえりますね。

いずれにしても、戦後60年以上も経た今、まだこのような曖昧模糊とした議論が知的空間で繰り広げられている実態にこそ、私は危機感を覚える。

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