Monday, September 11, 2006

9.11に思うこと

私はあの日、2001年9月11日のTV NewsのLive中継で見た光景が未だに頭から離れないでいる。
あの当時私は東京で働いており、大手クライアントのブランド戦略立案で忙しい日々を過ごしていたのだが、あの日は偶然午後10時に帰宅していた。そして、TV NEWSをつけた瞬間、2機目の航空機が世界貿易センター(WTC)に突入した。私はこれが現実なのか、それとも非現実なのかという判断が付かなかった。

WTCは私にとっても大変懐かしい場所であった。私は米国滞在時、WTCの地下にはブロードウェイのミュージカルの当日券を購入できるショップがあり、そこによく足を運んでいた。WTCの近くにはWall Streetの金融街もあり、MBAのフィールドワークにも出かけ、本当に馴染みの場所であった。その場所が、TV画面を通してではあるが私の目の前で、脆くも崩れ去っていった。

WTCは1970年~72年にかけて日系アメリカ人建築家・Minoru Yamasakiの設計によって建てられた。その建築様式は色々批判もあったが、NYを代表するランドマークであるだけでなく、時代を反映した象徴的なビルディングであった。同じくNYにある象徴的ビルディング群のクライスラータワー、エンパイヤーステートビル、ロックフェラーセンターはアールデコ様式として有名であるが、WTCはアールデコより無駄な要素を極限まで削ぎ落とし、簡潔なデザインを目指すというモダニズムの教科書的な存在であった。その様式は建築批評家などからは、辛辣に言われもしたが、私はWTCを真下から見上げると、モダニズムの究極形とも言える二本のメタリックな直方体が空に向けて真っ直ぐ伸びている姿に迫力を覚え、その姿が好きだった。

WTCというモダニズム建築に、ポストモダン思想を見て取った思想家がいる。ジャン・ボードリヤール、その人である。彼は著作「象徴交換と死」の中で、「(エンパイヤーステートなどの)他の摩天楼のそれぞれが、常に恐慌と挑戦の中で自己を乗り越えてきたシステムの各時期を表しているのに対し、WTCの二つのタワーは、二重化の眩暈の中で一つのシステムが閉ざされたことの明らかなしるしなのである。」と。彼はポストモダンのモニュメントとしてWTCを捉えていたのであろう。


話しをあの当時に戻そう。TV NEWSを見ながら、NYで働く私の友人達のことを考え、E-Mailや電話で連絡を取ったが、電話は勿論音信不通。メールが返信されてくるまでの1週間は、仕事をしていても何か落ち着かない自分がそこにいた。無事の知らせを受けたときの感覚は、今でも昨日のことのように覚えている。

9.11以降の世界状況は、皆さんもご存じの通りである。最新のTime Magazineでは、「What We Lost」と題して、特集記事を組んで、同時テロの過去・現在・未来を表現している。アメリカはこの5年間、「21世紀型の新たな戦争」、「正義の戦争」、そして現在では「イデオロギーの対決」などと様々な記号を発して、リアルな戦争を繰り返している。しかし、この果てしのない報復は、現在我々に終わりなき悪夢を見せている。Time Magazineが伝えるこの5年間に「失ったもの」は余りに大きいのではないだろうか。


いずれにしても、我々はあの当時、ある人はWTCの近くで、ある人はTV画面を通して、またある人はInternetを通して、同時に9.11を共有した。そして、世界中の人々一人ひとりが、各々の物語を持った。その意味で、5年後の今、私も物語を持った一人として、世界中の人々と共にあの日犠牲になった貴重な命に深い祈りを捧げたい。そして、今は名前を変えたWTC=「グランド・ゼロ」から、未来への一歩を踏み出さなければならない。

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