Saturday, May 30, 2009

杉本博司「歴史の歴史」展:デュシャン的世界観

「アートとは技術のことである。眼には見ることのできない精神を物質化するための。
私のアートとは、私の精神の一部が眼に見えるような形で表象化されたものである。いわば私の意識のサンプルと言っても良い。(中略)
私の集めた遺物たちは、歴史が何を忘れ、何を書き止めたか、そんな歴史を教えてくれる。」

これは先日私が足を運んだ、杉本博司「歴史の歴史」展@大阪国立国際美術館で配布されたパンフレットからの抜粋である。


一歩展覧会場に足を踏み入れると、そこはもう世界的写真家であり、現代美術家であり、美術収集家である杉本博司ワールド満載の空間が広がっていた。

展覧会エントランスにて

歴史の全てがそこにあるかのような空間に足を踏み入れると、化石(杉本は化石を古代世界を写した「写真」と表現)に始まり、当麻寺古材と自作写真のコラボレーション「反重力構造」(天平と現代のコラボレーション)、放電場の大インスタレーション、そして仏教&神道美術のコレクションの数々。美しい表装。戦犯写真や月の石、宇宙食の食べ残し、収集された骨董、アポロ計画ゆかりの写真、戦争中のタイム・マガジンの表紙(ヒトラーがこれだけカバーになってた驚き)、解剖図(杉田玄白の解体新書など)。
さらに、杉本博司の作品の中で私が最も好きな「Seascapes」が弓なりの壁に等間隔で展示され、漆黒の闇の中に多様な海の写真が朧気に浮かび上がる様は圧巻であった。

圧倒的な歴史の事象が収められたカタログ

今回の展示会は、私に世界的写真家&美術家である杉本博司の所蔵する化石、古美術、近代遺産と、杉本作品との融合の美しさと、奥行きの深さに眩暈さえ憶えた。

今回のblogのサブタイトルに「デュシャン的世界観」と付加したかと言えば、展示品の中にマン・レイ撮影のマルセル・デュシャン写真を額装し、ガラスに3発おもちゃのピストルで弾丸を撃ち込んだと覚しき作品を目にしたからである。デュシャンといえば、美術館に便器を提示し、これは美術館に置かれた作品だと言い切った。それは、便器というモノを、日常に於いて持っている関心を括弧に入れて見よというシグナルである。
このように既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのモノをオブジェとして提示した手法が「Ready-Made(レディメイド)」。
今回の展示会で杉本博司が示唆したのは、歴史のレディメイドだったのかもしれない。アートの展示会というと、アーティストの作品のみが展示されるのが常であるが、今回杉本が試みたのは自分が所蔵する化石や雑誌などを自身の作品と共に、これもアートだと展示した。デュシャンがあらゆるものが芸術であると示したように、関心を括弧に入れて無関心としたように。
デュシャンのレディメイドも、杉本の「歴史の歴史」も、対象への「括弧入れ」をもって成立するが、実はその「括弧入れ」=無関心こそがカントの真・善・美といった領域が審美の根幹を成していることを、柄谷行人は「美学の効用」の中で議論している。

Thursday, May 21, 2009

感染地域としての神戸:非日常的光景への眼差し

神戸まつりも中止になり、三宮センター街や元町商店街はマスクを装着した人、ヒト、ひと。。。
そしてコンビニやドラッグストアには、ソールド・アウトが続くマスクを求める人々の列、列、列。。。
今日は、私と同い年の「三宮地下街(さんちか)」(1965年開業)も全面臨時休業となった。
そして、神戸市役所前には、連日増加し続ける新型インフルエンザ感染者の数や、市役所が発表する情報を垂れ流すテレビ各局の車や関係者が溢れる。

非日常的眼差し:神戸市役所前

この光景って何だろう、一種戒厳令下の様相を呈している。そしてこの光景はいつか見た日の光景、そう、あの14年前の阪神大震災の時の光景ではないだろうか。
私は阪神大震災の時には海外にいたため、その状況を原体験していない。しかし同様の体験として、NYでの大雪&異常低温の際の外出禁止などの状況と、現在の神戸を重ね合わせてしまう。

今の所、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつある状況を打破する決定打=ワクチンも無い中、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。そしてもっと難しい問題は、外出自粛などの公的アナウンスを解除する時の可能なロジックがあるのかということである。

世界的経済危機が若干緩和されてきた中での今回のパンデミック、この現象は経済活動、消費活動をじわじわと浸食し始めている。感染のリスこはこのまま引き続きあるが、神戸市民がじっと家に籠もっていると、モノやサービスが売れないので、外に出て、消費活動を始めましょう、などというアナウンスは論理的に許されない。公衆衛生と経済・消費活動というパラドックス的事象を、今の日本の行政が上手くコントロールできるのか疑問である。

いずれにしても、今回の新型インフルエンザ現象は当分続くだろうし、今年の秋・冬にはそのウィルスが変異することでより一層リスキーなパンデミックが起こる可能性も否定できない。
世界中の人間がいつ起こるとも分からない真のパンデミックに怯え、それに対抗する政府の監視のために自由と人権が制限された社会になってしまうのだろうか?

感染地域:神戸で私が思考したことは決して大袈裟なことではないだろう。今そこにある危機という状況に今後備えるためにも、日本の行政は今一度再考しなければならない。こんな時こそ、君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリの言葉を思い起こして欲しい。
「必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じと言ってよい」。

Monday, May 18, 2009

My 100 Standards(4/100):赤鼻微睡み犬のブックスタンド

4つ目のモノの物語は、奈良美智デザインのブックスタンドである。
奈良美智は世界的に評価されるポップArtistである。
彼の作品を初めて観たのは15年ほど前のニューヨーク。その時目にした彼の代表作でもある睨む少女のモチーフや眠ったような犬のスカルプチャーなどの数々のデザイン性の高い作品群。その新しいArt潮流の出現に息を呑んでしまったのを、今でも鮮明に思い出す。

その色彩を帯びた記憶にもう一度出会ったのが、ニューヨークから9年後のオーストラリア・シドニーのとある美術館だった。今回ご紹介する赤鼻の微睡んだ犬のブックスタンド、その美術館のショップで見つけて、即購入してしまった。

微睡む犬

奈良美智のサインが

それから6年以上、そのブックスタンドには、新たに購入した書、読みかけの書、読み返したい書が静かに鎮座している。
これからも微睡む犬のブックスタンドには、私の好奇心&知的欲求を満たす書が並んでいくのだろうか。
その光景を思うだけでも、ちょっとワクワクしてしまう。

現在ブックスタンドに挟まれる書達

そこには、建築本、思想本、デザイン本、ビジネス本などが静かに鎮座する。

Thursday, May 14, 2009

クリエイティブの揺らぎの中で:ヒト、書、映画、そして。。。

GW期間中に私自身の中で揺らいだクリエイティブな事象について綴ってみよう。

5月2日
日本列島がGW真っ盛りの中で、ブルースを表現させたらピカイチのシンガーが永眠した。
忌野清志郎、58歳の余りに早い生涯であった。


先日の深夜、何も考えずTVをオンにすると、そこには一時癌という病を克服し、元気にシャウトする忌野清志郎の姿を映し出していた。私が中学生の頃聴いていた「雨上がりの夜空に」「スローバラード」を力強く歌い上げていた。
その彼が、今はもう鬼籍に入ってしまっているとは、信じ難いことである。
ご冥福をお祈りします。

しかし、私が興味を持った表現者達は早く逝ってしまう。
寺山修司(47歳)、松田優作(40歳)、坂口安吾(48歳)、そして忌野清志郎(58歳)。
こうして考えると、表現を極めた者達は、常人の数倍の早さで自分の身を焦がすほどに才能を燃焼し尽くしてしまうのかもしれない。
彼らに共通しているのは、自身の分身とも言える作品が未だに人々を感動させ、影響を与え続けていること。
そこには「死」ではなく、「生」が確かに存在する。

5月某日
皆さんは、吉岡徳仁という名前を聞いたことがあるだろうか。
彼は今、世界が最も注目するクリエイターの1人と言っていいかもしれない。
彼のアップデートな仕事は、東京で開催中の「『Story of...』カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」。カルティエは皆さんもご存じの通り、時代の技術の粋と独創性によって、今もなおジュエラー界のイノベーター的存在である。吉岡は独自のアプローチによる、カルティエが創造してきたジュエリーの過去・現在・未来のストーリーに着目した構成は、新たなクリエイティブの扉を開いている。

今まで纏まったテクストを世に出していなかった吉岡徳仁が、自身のデザインとの向き合い方、考え方などを著したのが「みえないかたち」である。


吉岡の初めてとも言える纏まった形のテクストで彼が一貫して述べているのは、デザインというモノは「かたち」ではないということ。彼にとって、デザインとしての「かたち」は重要な要素ではなく、「かたち」は無くても良いと言い切る。吉岡にとってデザインとは、他者にコミュニケートする「かたち」の裏側にある空気感や雰囲気を表現する手段なのかもしれない。だから、彼の作品は椅子にせよ、空間インスタレーションにせよ、形ではなく人の心に「響く」モノを表現し続け、そのことが世界に評価されているのだろう。
今回彼の思考の断片を1つのテクストで読んだことで、吉岡徳仁というクリエイターにより深い共感を覚えた。

5月某日
久しぶりに映画を観た。
ちょっとべたな感じはするけど、今年のアカデミー賞ナンバーワン映画「スラムドック$ミリオネア」を堪能した。


この作品は、私の好きな映画の1つでもある「トレインスポッティング」の監督・ダニー・ボイルと聞けば、観る前からちょっとワクワクしてしまった。
やはり彼の映画は私の期待を裏切らなかった。インド版「クイズ・ミリオネア」で主人公が勝ち進んでいく中、主人公のライフストーリーと解答が交錯していく。ダニー・ボイルならではの疾走するストーリー展開で、私をラストまで一気に引き込まれていった。

この作品は公開中でもあり、これから鑑賞する方もおられるだろうから詳細には語らず、記号化してお伝えしておこう。
インド社会の過去・現在・未来/圧倒的な格差問題/偶然性/ファンタスティック/Destiny≠運命/奇跡譚/機動性の高いストーリー展開/暴力的描写と幸福的描写/苛烈な宗教対立/
というのが、この作品のコアとなってくるんじゃないかな。

いずれにしても、この作品は私の中で今年一番であったということだけは確かである。

このように、GW期間中に私が感じ取った3つのクリエイティブ的揺らぎ。
その揺らぎの感覚は、
“...making its nature manifest to the very senses as well as to the intellect.” by Galileo Galilei
このフレーズへと帰結する。

Tuesday, May 05, 2009

My 100 Standards(3/100):HERMESのネクタイ

3つ目の愛用品の物語は、エルメスのネクタイである。
私は仕事を始める前から、祖父や父から多くのネクタイを譲り受けてきた。
その中でも、私が最も多くビジネス・シーンで愛用してきたのが、エルメスのネクタイではないだろうか。
このネクタイと私は受け継がれた愛情で結ばれていると言えるかもしれない。

エルメスのネクタイは、私をいつも楽しませてくれるし、他者をも楽しい気分にさせてくれる。
つまり、このネクタイ達は私を自由にしてくれるのだ。
21世紀の現在、ファッションなどを含む文化的価値観は、「かくあるべし」から「こうする」という風に変わってきている。例えば、ネクタイ1つ取ってみても、もはや「お仕着せ」ではなく自ら「選び取る」モノとなったんじゃないだろうか。これを男女の関係に例えるなら、役割分担と義務に縛られた夫婦から、惹かれあい求め合う恋人同士のそれへの変化と似ているようにさえ思える。

エルメスのネクタイ達


この写真のネクタイ達は、私のエルメスコレクションのほんの一部だが、一番今までよく結んできたモノ達である。イルカやシマウマなどの動物柄あり、ペガサスのような想像上の生き物柄あり、汽船柄やスカーフ柄ありと、ホント多様な色彩とデザインによって、私を長年楽しませてくれている。
以前読んだ本の中で、エルメスのネクタイに付加されたデザインには、様々なコンセプトやストーリーが含まれているというテクストを目にしたことがある。それだけ練り上げられたクリエイティブだからこそ、長年飽きが来ないんだろうと、妙に納得もした。

Cool Bizなどによって、特に夏場になるとネクタイを締めないビジネス・パーソンが増加している中、私はこのCommunicationの一部となっているファッション・アイテムを今後も結び続けていくだろう。エルメスのネクタイは自己表現の一部でもあるから。

最後に、エルメスのカタログに記されていたネクタイにまつわるテクストをお届けしよう。
“Why wear a Tie? For pleasure, for wanting to scintillate, for the taste of a challenge, or for the need to attract; but often, too, for the wish to express oneself, to deliver a clear message. That, without doubt, is the best reason, since it's the most eloquent.”
(訳)「ネクタイをする理由は色々。楽しみのため、自分を引き立てるため、気持ちを引き締め、己を鼓舞するため、誰かの目を惹き付けるため、などなど。でもそればかりではありません。ネクタイは自己表現の手段、意志を明確に伝える有用な媒体です。おそらくそれが、ネクタイをする一番の理由。人を納得させる手段として、これに勝るものはありません」

Friday, May 01, 2009

Phrases which continue affecting me

First blog in May will be studded with my favorite phrases.
First of all, I will introduce one book to use when I boiled down by making proposal and by making sentence.
It's book is "401 design meditations." This book has collected wisdom, insights, and intriguing thoughts from 244 leading visionaries.


Then I will introduce some particularly favorite phrases in this book.

● "Good design is good business." (Thomas Watson, Jr.; Founder of IBM)

● "Design is a response to social change." (George Nelson; Architect and Industrial Designer)

● "The good is not a category that interests me." (Rem Koolhaas; Architect, Principal of OMA, Netherlands)

● "However beautiful the strategy, you should occasionally look at the results." (Winston Churchill; Prime minister of England during World War Ⅱ)

● "Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once he grows up." (Pablo Picaso; Spanish-born painter and co-founder of Cubism)

These phrases continue still affecting me.