Thursday, May 21, 2009

感染地域としての神戸:非日常的光景への眼差し

神戸まつりも中止になり、三宮センター街や元町商店街はマスクを装着した人、ヒト、ひと。。。
そしてコンビニやドラッグストアには、ソールド・アウトが続くマスクを求める人々の列、列、列。。。
今日は、私と同い年の「三宮地下街(さんちか)」(1965年開業)も全面臨時休業となった。
そして、神戸市役所前には、連日増加し続ける新型インフルエンザ感染者の数や、市役所が発表する情報を垂れ流すテレビ各局の車や関係者が溢れる。

非日常的眼差し:神戸市役所前

この光景って何だろう、一種戒厳令下の様相を呈している。そしてこの光景はいつか見た日の光景、そう、あの14年前の阪神大震災の時の光景ではないだろうか。
私は阪神大震災の時には海外にいたため、その状況を原体験していない。しかし同様の体験として、NYでの大雪&異常低温の際の外出禁止などの状況と、現在の神戸を重ね合わせてしまう。

今の所、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつある状況を打破する決定打=ワクチンも無い中、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。そしてもっと難しい問題は、外出自粛などの公的アナウンスを解除する時の可能なロジックがあるのかということである。

世界的経済危機が若干緩和されてきた中での今回のパンデミック、この現象は経済活動、消費活動をじわじわと浸食し始めている。感染のリスこはこのまま引き続きあるが、神戸市民がじっと家に籠もっていると、モノやサービスが売れないので、外に出て、消費活動を始めましょう、などというアナウンスは論理的に許されない。公衆衛生と経済・消費活動というパラドックス的事象を、今の日本の行政が上手くコントロールできるのか疑問である。

いずれにしても、今回の新型インフルエンザ現象は当分続くだろうし、今年の秋・冬にはそのウィルスが変異することでより一層リスキーなパンデミックが起こる可能性も否定できない。
世界中の人間がいつ起こるとも分からない真のパンデミックに怯え、それに対抗する政府の監視のために自由と人権が制限された社会になってしまうのだろうか?

感染地域:神戸で私が思考したことは決して大袈裟なことではないだろう。今そこにある危機という状況に今後備えるためにも、日本の行政は今一度再考しなければならない。こんな時こそ、君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリの言葉を思い起こして欲しい。
「必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じと言ってよい」。

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