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Sunday, June 28, 2009

My 100 Standards(6/100):イスズベーカリーのガーリックパン

なかなか進まない、私のモノに対する100のストーリー。
今回で6つ目のストーリーになるが、初の「食」に対するストーリーである。

神戸はスイーツでも有名だが、ベーカリーでも有名な店が多く存在する。
その中でも、私が一番よく利用しているのが、「イスズベーカリー」。
イスズベーカリーは神戸で創業されて、既に60年以上が経つ、老舗中の老舗。
そこで売られるパンの数々は、まさに至高と言われるに相応しい商品が多い。

この老舗が創造するパンの中でも、私が今回100物語でチョイスしたのは、「ガーリックパン」である。


私はこれまで、海外でもガーリックパンを色々食べてきたが、イスズベーカリーのガーリックパンはパンの生地自体の美味しさもさることながら、ガーリックの風味、滑らかなバターの浸透度合いによって、トータルに深みのある味わいが確立されている。
私はこのパンで、ペペロンチーノやビーフシチュー、そしてワインを飲む休日の昼下がりが好きである。

今後も浮気せず、ガーリックパンはイスズベーカリーで買い続けるだろう。

Thursday, May 21, 2009

感染地域としての神戸:非日常的光景への眼差し

神戸まつりも中止になり、三宮センター街や元町商店街はマスクを装着した人、ヒト、ひと。。。
そしてコンビニやドラッグストアには、ソールド・アウトが続くマスクを求める人々の列、列、列。。。
今日は、私と同い年の「三宮地下街(さんちか)」(1965年開業)も全面臨時休業となった。
そして、神戸市役所前には、連日増加し続ける新型インフルエンザ感染者の数や、市役所が発表する情報を垂れ流すテレビ各局の車や関係者が溢れる。

非日常的眼差し:神戸市役所前

この光景って何だろう、一種戒厳令下の様相を呈している。そしてこの光景はいつか見た日の光景、そう、あの14年前の阪神大震災の時の光景ではないだろうか。
私は阪神大震災の時には海外にいたため、その状況を原体験していない。しかし同様の体験として、NYでの大雪&異常低温の際の外出禁止などの状況と、現在の神戸を重ね合わせてしまう。

今の所、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつある状況を打破する決定打=ワクチンも無い中、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。そしてもっと難しい問題は、外出自粛などの公的アナウンスを解除する時の可能なロジックがあるのかということである。

世界的経済危機が若干緩和されてきた中での今回のパンデミック、この現象は経済活動、消費活動をじわじわと浸食し始めている。感染のリスこはこのまま引き続きあるが、神戸市民がじっと家に籠もっていると、モノやサービスが売れないので、外に出て、消費活動を始めましょう、などというアナウンスは論理的に許されない。公衆衛生と経済・消費活動というパラドックス的事象を、今の日本の行政が上手くコントロールできるのか疑問である。

いずれにしても、今回の新型インフルエンザ現象は当分続くだろうし、今年の秋・冬にはそのウィルスが変異することでより一層リスキーなパンデミックが起こる可能性も否定できない。
世界中の人間がいつ起こるとも分からない真のパンデミックに怯え、それに対抗する政府の監視のために自由と人権が制限された社会になってしまうのだろうか?

感染地域:神戸で私が思考したことは決して大袈裟なことではないだろう。今そこにある危機という状況に今後備えるためにも、日本の行政は今一度再考しなければならない。こんな時こそ、君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリの言葉を思い起こして欲しい。
「必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じと言ってよい」。

Sunday, March 29, 2009

春の息吹に誘われて。。

今年初めて、桜を目にした。
まだ4~5分咲きのその花は、いずれ満開に咲き誇り、やがて散り消えゆく運命。古来から日本人は、桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出し、愛でてきたはずです。

随分前に読んだ小林秀雄の対話集の中で次のように述べていたと記憶している。西洋と東洋とは自然観がまるで異なる。西洋の合理主義精神、科学精神、そういうものは、自然との敵対関係から生まれてきたものかもしれない、と美についての一節で論じていた。つまり、小林が言いたかったのは、日本では桜などの花が季節の到来を報せ、その花の見せる繊細な美しさと儚さを感じる美の発見的な要素が、日本人の精神の中には息づいていると言うことではないだろうか。

私はその美の発見の瞬間に遭遇したのだ。





Thursday, January 01, 2009

遠くで汽笛を聞きながら迎えた2009年

いよいよ2009年の元旦を迎えました。
皆さんは、どんな元旦をお過ごしでしょうか?
ここで新年のご挨拶を本来なら行うところですが、喪中につき挨拶はご遠慮させていただきます。
ただ、このblog読者の方々の2009年のご多幸をお祈り申し上げます。
本年も今までと変わらず、宜しくお願い致します。

2009年の幕開けは、神戸の自宅から聞こえる神戸港からの汽笛を聞きながら始まりました。
この音色をいつも聞くとき、神戸で暮らすことの幸せを覚えます。

元旦の朝は、お節と昨晩から泊まりに来ている弟夫婦、そして姪っ子の花音ちゃんの顔を眺めながらお屠蘇をいただき、2009年の素晴らしい幕開けを迎えられたかな。

我が家のお節

そして、ホンマにCuteなのんちゃん

神戸の自宅から見える元旦の神戸風景


Wednesday, December 10, 2008

Sannomiya to Motomachi: 光と色の饗宴

神戸は未だかつてないほどの光と色で埋め尽くされている。
その光と色の饗宴は、世界の金融狂乱によるシステム崩壊をも、未知の彼方へ放り投げてくれそうな幻想さえ抱かせる。

まずはJR三ノ宮駅周辺

そして、元町へと移動し、神戸大丸の中を覗くと、赤い誘惑が我々を出迎える。

神戸大丸から再度三ノ宮方面を目指すと、そこにはルミナリエの鎮魂と希望の光の回廊が我々を飲み込んでいく。


ブティックの壁面に映し出されたルミナリエの光もまた幻想的