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Tuesday, April 07, 2009

風姿花伝的桜の鑑賞

先日7~8分咲きの桜を鑑賞するため、兵庫県西宮市の夙川公園へ出かけた。
まだ満開でなく、花散らしにはまだ遠い桜を眺めていると、随分前に読んだ世阿弥の「風姿花伝」が頭に浮かんだ。
世阿弥は言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を確立したのだが、その能を鑑賞する観客達に感動を与える力を「花」として表現した。世阿弥は自身が能を表現する中で、どんな花を思い描きながら演じたのであろう。やはり、それは桜ではなかったろうか。桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出してきた日本人の原風景がそこにあるはずだから。

さてその原風景を求めて、私は神戸から夙川公園へと、カメラのシャッターを押し続けた。

神戸自宅前の公園の大島桜


生田神社の桜



そして夙川公園のソメイヨシノへ




























皆さんは今年、どんな桜に出会いましたか?

Sunday, March 29, 2009

春の息吹に誘われて。。

今年初めて、桜を目にした。
まだ4~5分咲きのその花は、いずれ満開に咲き誇り、やがて散り消えゆく運命。古来から日本人は、桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出し、愛でてきたはずです。

随分前に読んだ小林秀雄の対話集の中で次のように述べていたと記憶している。西洋と東洋とは自然観がまるで異なる。西洋の合理主義精神、科学精神、そういうものは、自然との敵対関係から生まれてきたものかもしれない、と美についての一節で論じていた。つまり、小林が言いたかったのは、日本では桜などの花が季節の到来を報せ、その花の見せる繊細な美しさと儚さを感じる美の発見的な要素が、日本人の精神の中には息づいていると言うことではないだろうか。

私はその美の発見の瞬間に遭遇したのだ。