Thursday, April 30, 2009

My 100 Standards (2/100):MBA Diploma

私はこの季節がやってくると、11年前のあの日を思い出す。
1998年5月苦労の末、M.B.A.という経営学修士号を受け取った。
今回のMy 100 Standardsは、アメリカの経営大学院(=ビジネススクール)卒業時の思い出の品、“Diploma”である。”Diploma”とは日本でいえば、卒業証書に当たる。

Diploma & Academic Regalia(卒業ガウンと帽子)



Diploma内部(私が修士号を受けたのは、ハワイの大学院だったので、ハワイ独特の花文字でデザインされている)


M.B.A.とういのは、経営の実践的プロフェッショナルを養成する、まさに経営者養成の陸軍士官学校のような場である。その場は、ケーススタディあり、プレゼンテーションあり、多様なディベートあり、数百冊に渡るブックリストありなどで、全く気が抜けないフィールドである。
しかし、その過酷な知的格闘の場であるからこそ、多国籍な人種との友情であったり、多様な価値観・宗教観・文化観の共有が成されるのかもしれない。言い換えれば、ビジネススクールは私にとって人生の空港だったと言えるのかもしれない。世界中の様々な場所から多国籍な人々が同じ時期に1つの空港に集まり、やがて様々な場所へと飛び立って行く。

だから、本日紹介した“M.B.A. Diploma”は人生のパスポートみたいなモノかな。
パスポートと表現するからには、修士号を受け取って終わるのではなく、そのパスポートを自身でブラッシュアップしていかなければならない。
だから最後にこの有名なフレーズで、今回のblogを終えよう。

“When you're finished changing, you're finished” by Benjamin Franklin
→「変わることをやめたとき、それは終わったということなのだ」by ベンジャミン・フランクリン

Wednesday, April 29, 2009

顔の不可能性に出会った

以前、ベルギー在住の現代Artistの友人から、人間の手を描く難しさということを聞いたことがある。

先日足を運んだ、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代展」(於兵庫県立美術館)では、手ではなく、顔を描くことの多様性、困難さに出会った感じがした。
画家でもあり、彫刻家でもあったアルベルト・ジャコメッテイは、「顔を描くのは実にむずかしい。風景や静物ならまだ何とかなる。しかし顔を描くことはほとんど不可能に思われる、それに成功した人は1人としていない」と言い切っている。

私はプロフェッショナルなアーテイストの視線というものが分からないが、考えてみると、顔を描こうと思えば、我々は例えば建物の表象を上手く枠の中に収めるというような単なる構図的配慮ではなく、その周囲の空間の変容そのものを描かなければならないということは理解できる。しかし、言葉にしてしまえば簡単に思えても、実際に他者に影響を与えるような、クリエイティブに顔を描くとなると、私にとっては不可能のように思えてしまう。


そして私は、今回の展覧会でそんな顔の不可能性に出会った。
今回のExhibitionは、「表現主義的傾向の展開」「キュビズム的傾向の展開」「シュルレアリスム的傾向の展開」「カディンスキーとクレーの展開」と4つの断章に分けられ、パブロ・ピカソパウル・クレー達が若く才気溢れる創作意欲を持っていた1900年代初頭から、脂が乗りある一定のポジションを確立していた1940年前後までの作品群が、私に圧倒的な存在感を見せつけた。

その中でも、「キュビズム的傾向の展開」の章で展示されていたピカソの「鏡の前の女」に惹き付けられた。
そこに描かれた女性の顔は、口の位置が正面と側面を繋ぐ蝶番として機能していたが、他の作品では口が正面像にあたる顔の隅に描き込まれたりしており、その対照的な作風で観る者の視線に動的風景を見せつける。
巨匠・ピカソでさえも、顔に対しては多様なアクセスを試み、顔を描くということへの飽くなき欲望が伝わってきた。


皆さんも、顔の不可能性、巨匠達の顔への欲望を、覗いてみてはいかがだろう。

Monday, April 27, 2009

意味としてのPandemic

とあるNewsでは、「とうとうやって来た」と表現した。
何がやって来たのか、それは地球規模で近い将来起こると予想されているインフルエンザの感染爆発=Pandemicである。

先週末からメキシコを中心として、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、スペインなどで、ブタを媒介としたインフルエンザが人へと感染し、また一部では人から人への限定的感染が見え始めたというのだ。

Google Mapに見るブタインフルエンザの世界的広がり

しかし、私はこのNewsを聞いて少しの疑問を感じた。
確かPandemicは、鳥インフルエンザから発生する可能性が高いという報道が大部分を占めていたはずなのに、今回の報道を聞いていると、まるでブタインフルエンザが当初から感染爆発の根源であったかのような錯覚さえ覚える。
では、なぜそのような錯覚を私は感じるのか?

H1N1 Swine Flu Virus

以前読んだスーザン・ソンタグの著書・「隠喩としての病い」の中で書かれていたことを思い出した。
ソンタグ自身が癌患者だった経験から、癌という語が悪性で解決不可能な事態を指す比喩として用いられていることが、癌患者を苦しめているという内容であった。
これを今回の事象に当て嵌めると、鳥インフルエンザという語がパンデミックという未知の病原体のもたらす死の恐怖の比喩として置き換えられてしまい、今回のブタインフルエンザなど新たな事象が生じた場合、ジャーナリズムが少なからず思考停止状態を起こしてしまっているという感じがするのだ。
鳥インフルエンザという言葉が、記号的に一人歩きし、パンデミックの本質を見誤らせてしまうという懸念が浮かび上がってくる。

文明史的視点で見ると、古代文明以来、「ハンセン病」が最も長期間記号論的に支配的な病だったと考えられる。世界宗教と呼ばれるような宗教で、例えば「ヨブ記」では明示的ではないにせよ、何らかの形で、「ハンセン病」を「罪」や「苦」の象徴として捉えている。それ以外でも、中世文学では「ペスト」が支配的な意味の源泉となっている。

私達は今回のブタインフルエンザの事象について考える必要があるのは、「意味としての病」についてである。鳥にせよブタにせよ、動物を媒介して変異するであろうインフルエンザという言葉が、身体的な病としてだけではなく、宗教的・文学的な「意味」として機能し始めていることに我々は注視すべきである。
「意味としてのPandemic」には、個人レベルでも、国家レベルでも、危うさを秘めている。

Wednesday, April 22, 2009

1つの雑誌の終焉に思うこと

今日私が手にした1つの雑誌は、30年間という歴史に幕を閉じた。
その雑誌の名前は、「広告批評」。

広告批評最終号の巻頭言では、「広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけでじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵でもあるからです。・・・・」このようなテクストで始めている。

最終号の表紙デザインは、実にミニマルにホワイト一色で、表紙のど真ん中に「30年間ありがとうございました。」と切り絵風の広告批評というタイトルだけという潔さである。まさに、立つ鳥跡を濁さずという感じだろうか。


私はこの雑誌の特集が結構好きで、書店で面白い特集が目に付くと購入し、楽しみながら触発されていた。
私自身この雑誌に思い入れがあるのは、ビジネス的にも、ブランド、クリエイティブ、デザイン、広告などのキーワードで括られる世界に属してきたことが関係しているかもしれない。

この雑誌が消滅することに意味はあるのだろうか?
今の時代、広告やクリエイティブというビジネス領域は、多様なメディアの元で表現される。TVCM、ラジオ、インターネット、紙媒体など、その表現領域は蜘蛛の巣(=Web)のようにグローバルに展開する。
広告批評社主の天野祐吉は、広告批評の30年というテクストの中で、「世間話のように、広告を語り合える雑誌を作りたいと思った。その視点は、専門家の目ではなく野次馬の目で、書き言葉より話し言葉で」と述べている。
広告などのコミュニケーション領域は、そのような柔らかい目線では捉えきれないくらい、多様に広がってしまったのではないだろうか。blog、SNS、ホームページなどのバーチャル・コミュニティの発展によって、個人が誰でも発信でき、批評できる環境が創造されてしまった。書評1つ取ってみても、本屋の店員がポップを立てる、またAmazonで読者がコメントを書くという感じになる。つまり批評という領域では、大文字の批評家や評論誌の存在意義が脆弱になりつつある。

このような大きな潮流の中で私が考えるのは、それでも広告批評のような雑誌や、マクロな意味での批評は必要なんじゃないかと思う。批評=Critiqueが脆弱な社会というモノは、共有する物語や言葉が衰弱している証拠だろうし、そんな世の中に私は面白みを感じない。それに、雑誌の「雑」という部分、要するに多彩なオピニオンが交錯し、批判し、喧嘩できる場がなくなることにこそ、私は危惧を覚える。

今回1つの雑誌の終焉に、私はこんなことを考えてしまった。

Friday, April 10, 2009

My 100 Standards (1/100):Charvetのクレリックシャツ

さて、私とモノとの100のストーリー。第1回目は、「Charvetのクレリックシャツ」との物語。

私がこのシャツの存在を知ったのは、ある書籍でフランスのドゴール大統領やアメリカのJ.F.ケネディ大統領が着ていたシャツがCharvetのシャツだと分かった時であろうか。そのシャツに宿った歴史的重みに、私は心を動かされた。
Charvetは世界で初めて注文シャツの専門店として1838年の創業以来、「Executiveのための品の良い趣味」を提案し続けるパリの老舗である。150年以上に渡って、そのハイ・クォリテイから先の両大統領をはじめ、イギリス王室やハリウッドスターといった世界の要人や著名人が「Charvet」の顧客として名を連ねている。シャルベも今ではトータルにアイテムを展開しているが、それら全てにシャツ創造のノウハウとセンスが活かされ、継続的高品質の職人気質が息づいている。


私が愛するCharvetのシャツの中でも、特にクレリックシャツが好きである。特に、ブルー・ストライプのこの写真のクレリックが、長年私のビジネス現場での活力となっている。このブルー・ストライプのクレリックは、もう3代目になる。初めて購入したのは、フランスへ旅した大学時代(今から20年以上前になる)に、パリの本店だった。ホントはオーダーしたかったのだが、時間的ゆとりもなく、プレタポルテで我慢した。しかし、初めてこの憧れのシャツに手を通した時、何とも言えない高揚感に襲われたことが昨日のように思い出される。

このシャツの魅力は、20年以上を経た今でも色褪せない。クレリックのダブルカフスなので、カフスリンクでも遊べるし、ネクタイの多様なデザインでも楽しめる。この写真では、ネイビーのHERMESの晴れ男タイ(大剣に太陽マーク、小剣にちっちゃな男性が喜んでるデザイン)と、ネイビーのカフスリンクを合わせている。しかし、重要な会議やプレゼンの時には、深紅のパワータイを付けて気持を高ぶらせたりもする。

私はこのホワイトの襟にブルーストライプのシャツを、今後も着続け、愛し続けるだろう。

Thursday, April 09, 2009

My 100 Standards (0/100)

それはある一冊の本を読み返して思い付いた。
私はこのblogを通じて、多様な事象に対する思考の断片を記してきた。
でもそれは殆どの場合、外発的なことであり、内発的なことには余り触れていない。


その書とは、フランスの詩人、文学者、シュルレアリストであるアンドレ・ブルトンの自伝的小説「ナジャ」。その実験的小説の冒頭、「私は誰か?これは結局、私が誰とつきあっているかを知りさえすればいい。自分は一体どんな人間なのか?」という問いかけで始まる。そして、「その人を知りたければ、その人が付き合っている親しい友人が誰なのかを知れば、1つやふたつは、その人の本性を垣間見れるだろう。少なくとも人としての種類は分かる」と続けていく。

そこで思ったのは、私と他者との関係性ではなく、モノとの関係性であった。
私は日常の中で、様々なモノと接しているが、その中には自身が長年愛用しているモノ、新たな出会いで好きになったモノ、など関係性も様々である。周りを見回すと、書籍、服、時計、靴、鞄、文房具、デジタル・ガジェット、アート作品、CD、など多彩なモノが溢れている。

そこで、私はそのモノ達との関係性を、100のストーリーで、今後定期的にこのblogで語っていきたい。
題して、「My 100 Standards」。
100のモノとの出会い、100のモノとの関係を語っていくこにより、「私」という人間の本性が少しでも理解していただけたら幸いである。
100のモノを語り尽くすというのはそんな簡単なことではないだろうが、モノと向き合って思考することで、その愛用品達の美しさも表現できたらと思う。

「ナジャ」の最後のテクストは、次のフレーズで締めくくられる。
「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう」と。
100のモノには、100のストーリーと、100の美しさがあるはずだから。

Tuesday, April 07, 2009

風姿花伝的桜の鑑賞

先日7~8分咲きの桜を鑑賞するため、兵庫県西宮市の夙川公園へ出かけた。
まだ満開でなく、花散らしにはまだ遠い桜を眺めていると、随分前に読んだ世阿弥の「風姿花伝」が頭に浮かんだ。
世阿弥は言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を確立したのだが、その能を鑑賞する観客達に感動を与える力を「花」として表現した。世阿弥は自身が能を表現する中で、どんな花を思い描きながら演じたのであろう。やはり、それは桜ではなかったろうか。桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出してきた日本人の原風景がそこにあるはずだから。

さてその原風景を求めて、私は神戸から夙川公園へと、カメラのシャッターを押し続けた。

神戸自宅前の公園の大島桜


生田神社の桜



そして夙川公園のソメイヨシノへ




























皆さんは今年、どんな桜に出会いましたか?

Wednesday, April 01, 2009

Memory of March to New Normal of April

My memory of March 2009 is focused on doing WBC victory.
A piece of March Memory is in the following Photo:
Empire State BLDG celebrating Japanese baseball as No.1.


And now, April starts!!
In Japan, April is the month for new departure.
So, on the occasion of this new departure, I will discuss the keyword expressed “New Normal.”
I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
In general, The cocept of “New Normal” created by Roger McNamee is built through the following five points: 1) The power of Individual, 2) The diversification of the choices, 3) The importance of the decisions , 4) Technology & Globalization, and 5) Occupation.


Here, I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
For example, young Japanese consumers have turned their attention to local brands, which offer not because of price but for the uniqueness. Designers from the high-end and manufacturers known more for value are entering into arranged marriages outside of their social standing.
Comme de Garcon's highly successful collaboration with H&M raised awareness for the retailer because Ms. Rei Kawakubo is not your "normal" attractive brand designer.
In addition, two weeks ago,the announcement of Jil Sander's new partnership with Uniqlo performed both the designer and Mr. Tadashi Yanai.

Jil Sander & Uniqlo

The new world order means that collaborations are the new order where unlikely relationships will equal survival or growth. Perhaps, in Japan where the history of the brand collaborations is the deepest, such a strategy may prove whether an occasional exclusive product and PR are worth being more than it. What is interesting about the Jil Sander and Uniqlo partnership is that both pride themselves on high quality within their respective price category. Some of the early newsmaking collaborations often lacked in quality and a contemporary expression of “value”, which will be important in today's culture of “New Normal.”

Under our global economic crisis, we must focus more on the above viewpoints of “New Normal.”

Anyway, How was your April Fool's Day?