Thursday, April 09, 2009

My 100 Standards (0/100)

それはある一冊の本を読み返して思い付いた。
私はこのblogを通じて、多様な事象に対する思考の断片を記してきた。
でもそれは殆どの場合、外発的なことであり、内発的なことには余り触れていない。


その書とは、フランスの詩人、文学者、シュルレアリストであるアンドレ・ブルトンの自伝的小説「ナジャ」。その実験的小説の冒頭、「私は誰か?これは結局、私が誰とつきあっているかを知りさえすればいい。自分は一体どんな人間なのか?」という問いかけで始まる。そして、「その人を知りたければ、その人が付き合っている親しい友人が誰なのかを知れば、1つやふたつは、その人の本性を垣間見れるだろう。少なくとも人としての種類は分かる」と続けていく。

そこで思ったのは、私と他者との関係性ではなく、モノとの関係性であった。
私は日常の中で、様々なモノと接しているが、その中には自身が長年愛用しているモノ、新たな出会いで好きになったモノ、など関係性も様々である。周りを見回すと、書籍、服、時計、靴、鞄、文房具、デジタル・ガジェット、アート作品、CD、など多彩なモノが溢れている。

そこで、私はそのモノ達との関係性を、100のストーリーで、今後定期的にこのblogで語っていきたい。
題して、「My 100 Standards」。
100のモノとの出会い、100のモノとの関係を語っていくこにより、「私」という人間の本性が少しでも理解していただけたら幸いである。
100のモノを語り尽くすというのはそんな簡単なことではないだろうが、モノと向き合って思考することで、その愛用品達の美しさも表現できたらと思う。

「ナジャ」の最後のテクストは、次のフレーズで締めくくられる。
「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう」と。
100のモノには、100のストーリーと、100の美しさがあるはずだから。

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