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Monday, April 27, 2009

意味としてのPandemic

とあるNewsでは、「とうとうやって来た」と表現した。
何がやって来たのか、それは地球規模で近い将来起こると予想されているインフルエンザの感染爆発=Pandemicである。

先週末からメキシコを中心として、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、スペインなどで、ブタを媒介としたインフルエンザが人へと感染し、また一部では人から人への限定的感染が見え始めたというのだ。

Google Mapに見るブタインフルエンザの世界的広がり

しかし、私はこのNewsを聞いて少しの疑問を感じた。
確かPandemicは、鳥インフルエンザから発生する可能性が高いという報道が大部分を占めていたはずなのに、今回の報道を聞いていると、まるでブタインフルエンザが当初から感染爆発の根源であったかのような錯覚さえ覚える。
では、なぜそのような錯覚を私は感じるのか?

H1N1 Swine Flu Virus

以前読んだスーザン・ソンタグの著書・「隠喩としての病い」の中で書かれていたことを思い出した。
ソンタグ自身が癌患者だった経験から、癌という語が悪性で解決不可能な事態を指す比喩として用いられていることが、癌患者を苦しめているという内容であった。
これを今回の事象に当て嵌めると、鳥インフルエンザという語がパンデミックという未知の病原体のもたらす死の恐怖の比喩として置き換えられてしまい、今回のブタインフルエンザなど新たな事象が生じた場合、ジャーナリズムが少なからず思考停止状態を起こしてしまっているという感じがするのだ。
鳥インフルエンザという言葉が、記号的に一人歩きし、パンデミックの本質を見誤らせてしまうという懸念が浮かび上がってくる。

文明史的視点で見ると、古代文明以来、「ハンセン病」が最も長期間記号論的に支配的な病だったと考えられる。世界宗教と呼ばれるような宗教で、例えば「ヨブ記」では明示的ではないにせよ、何らかの形で、「ハンセン病」を「罪」や「苦」の象徴として捉えている。それ以外でも、中世文学では「ペスト」が支配的な意味の源泉となっている。

私達は今回のブタインフルエンザの事象について考える必要があるのは、「意味としての病」についてである。鳥にせよブタにせよ、動物を媒介して変異するであろうインフルエンザという言葉が、身体的な病としてだけではなく、宗教的・文学的な「意味」として機能し始めていることに我々は注視すべきである。
「意味としてのPandemic」には、個人レベルでも、国家レベルでも、危うさを秘めている。

Wednesday, January 14, 2009

スタイルとしての「キャンプ」

先日留学時代の友人と久々に会い、食事を共にした。
その時、その友人が発した言葉に私は気持を動かされた。
その友人は米国でイノベーション・コンサルタントをやっているんだけど、彼との会話でビジネス・モデルを評価するとき何を重要視するかという議論になった。彼の意見として、「その企業なり組織ならではのスタイルにおいて見抜く」というのだ。
簡単なことではないが、企業や組織のビジネス・モデルというモノには、経営者の意志やビジョン、その企業に集う人々の情熱、企業のコア・コンピタンスなどなどが凝縮されている。その意味から、総合的スタイル=ブランド価値を見抜ければコンサルティング・ワークもスムーズに進むことは理解できる。

私が興味を持ったのはビジネス的見地ではなく、彼が発した「スタイルにおいて見抜く」と表現した部分にである。
この表現を聞いて頭にすぐ浮かんだのは、スーザン・ソンタグが自身の著書「反解釈」の中で述べていた概念についてである。「この世には名付けられていないものがたくさんある。そしてまた、名付けられてはいても説明されたことのないものがたくさんある。その1つの例が、その道の人々の間では『キャンプ』という名で通用している感覚である。これは紛う方なく近代的な感覚であり、ソフィスティケーションの一種ではあるが、必ずしもそれと同一ではない」というテクストで示した「キャンプ」こそその概念である。
皆さんは、「キャンプ」と聞いてアウトドアの遊びと考えてしまうかもしれないが、それは誤りである。
「キャンプ」という概念でソンタグが提起したかったのは、その道の人々の間で通用する感覚=自らを他と区別するバッジ=他者との差異性ではなかったか。
ライフ・スタイル、ビジネス・スタイル、ファッション・スタイルなど、「~スタイル」と表現される事象は、全て他者と何らかの差別化を図る言葉ではないだろうか。

こう考えると、最初に友人が言った言葉「スタイルにおいてその企業の本質を見抜く」ということにも納得がいく。今度ビジネス・ミーティングの席で、A企業とB企業はどちらが「キャンプ」ですかと、問いかけてみようか。
いずれにしても、ソンタグが40年前に唱えた「キャンプ」という概念は、多様な事象のスタイル=本質において見抜くという態度がますます重要になっている世界で、今一度見直されるべきではないだろうか。

最後に、「キャンプ」の代表の1人であろうこの人物の声を■D\(^^
William S Burroughs

Friday, January 09, 2009

My Favorite Text is “Move Around・・・・”

皆さんにも、好きな言葉、フレーズ、テクストなどがあると思う。
私にも、心に、精神に刻み込んでおきたい言葉やテクストが存在する。

今日久々に、スーザン・ソンタグの「良心の領界」を仕事の調べ物で読み返していた。
この書は、2004年に亡くなったソンタグの最後のテクストとも言える。
その中の「序・若い読者へのアドバイス・・・」に私の精神にドシッとくるフレーズが記されている。


ソンタグは、「動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。」と語る。
私は11年前に日本に戻ってくるまでの間、長期間アメリカで暮らし、学び、異文化を体感し続けた。
その私にとって、このテクストはまさにその体感したことを表現してくれてるかのようだ。

共感と模索の間を漂いながら、アメリカと世界を交通していたソンタグはこうも述べる。
“Comfort isolates.”(安寧は人を孤立化させる)
“Solitude limits solidarity, solidarity corrupts solitude.”(孤独は連帯を制限する、連帯は孤独を堕落させる)

Saturday, January 03, 2009

読書初め2009

まずは、この写真を見て貰いたい。

Hard Working Man

これは、TimeのPictures of the Year 2008に掲載された、時の人・オバマ氏がスピーチを考えている姿。
このように、写真はその時々、一瞬一瞬の歴史的事象や人などを切り取る。

新年も3日が経ち、ちょっと活字が懐かしくなり、杉本博司が著した「現な像」をじっくり読んでみた。


写真家でもあり、国際的美術家でもある杉本氏が著した書物には、彼自身の時間や歴史の捉え方が鮮明に表現されている。杉本は語る「私は長い間写真に関わりながらも、未だに真の何たるかを知ることを得ない」と。

人類社会にとって、「世界の見え方」が180年ほど前に大きく転換した。それは、写真が発明されたからで、刻一刻と変化していく世界の表情=留まることを知らない捕らえ所のない世界が、ファインダー越しに収まることによって、時間が止まり、時間の断片と化す。
以前読んだスーザン・ソンタグの著書の中で、写真を収集することは世界を収集することに繋がるという趣旨のことを述べていた。デジタル技術の発展と、その技術の恩恵に授かる総アマチュア化。今回の杉本の著作には、世界がどんどん矮小化され、画像として蓄積され、アーカイブ化されていく異様な光景に対しての警鐘も含まれている感じがする。

「現な像」としての写真、その写真が示す世界の見え方が今後一層重要度を増す中、このテクストは読んでおくべき。

Saturday, December 27, 2008

極私的Cinemas Critique 2008

最近読んだ本の中で、最近の映画について面白いことが書かれていた。
その本は、私が映画や文学批評に関してのテクストに大変影響を受けている蓮實重彦の「映画論講義」。
蓮實氏のCritiqueには、切れ味、美しさ、シニカルさなど、私は彼のテクストに心地良さを感じる。


さて、この本で私が面白いと感じたのは、ヴィデオやDVDなどの反復装置が出現する前までは、その作品を二度と見れないという思いから、画面に対する集中力が映画を観る動体視力を鍛えてくれたという箇所。作品に一期一会の感覚を持って観るという行為が、その当時の映画批評を大変豊かなモノとしていたが、現在本当の意味での批評が減ってきていることを憂いているのだ。

こういう現在という背景も考慮しつつ、私が自身の動体視力で2008年に観た映画について、極、極、私的な批評を試みる。劇場、DVDやスカパーのPPVで観た数多くの作品の中で、私が印象深かったモノをピックアップしてみたい。


まずは、今年の私が観た映画の中でもっと印象深く、2008年ナンバーワンの作品かもしれない。
その作品とは、「潜水服は蝶の夢を見る」。
皆さんは題名を聞くと、何かファンタジーを予感させる作品と思うかもしれない。しかし、この作品は一人の有名ファッション誌・ELLEの名編集長が直面した病を起点とした困難、そのすさまじい孤独感・絶望感、壮絶なコミュニケーション手段の中から創造し結実した、一冊の自伝タイトルから由来している。
この作品には語るべきポイントが多くあるので、敢えてキーワード化してみたい。

究極の一人称映画/ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)/左目以外全身不随/20万回の瞬き/スーザン・ソンタグ的隠喩としての病い/柄谷行人的内省と遡行/絶望と自己憐愍からの脱却による三人称視点の出現/異形の体験/隠喩としての鋼の潜水服/MonologueとImaginationの間で/モノローグと映像が呼応しあう音楽的編集リズム/瞬きCommunicationによる文章の紡ぎ方/現代アーティストの絵画表現による映像美

いずれにしても、この作品は間違いなくジュリアン・シュナーベル自身の最高傑作と言えるんじゃないかな。まだ観てない人、一見の価値ありですよ。


ディンゼル・ワシントン、Undergroundの凄み、実に渋い演技です。ラッセル・クロー、これまた渋い演技です。監督は言わずと知れた、リドリー・スコット。彼自身の作品で私が印象に残ってるのは、やはり「ブレード・ランナー」と「ブラック・レイン」。彼は人間の奥底に眠る狂気を撮らせたらピカイチだと思ってます。しかし最近のリドリー・スコットの映画、それほど興味を持てずにきました。そこに「American Gangstar」。これはリドリー・スコットの傑作の1つになるんじゃないかな。ちょっと上映時間が長い気もしたが、そんなことも忘れさせてくれる疾走感が、この映画の醍醐味。あの"God Father"や"Scarface"以来、私の気持ちに躍動感を感じさせた作品でした。

ここまでが、今年の私の中での2作品。
ここから、上記の作品ほどではないが、私の動体視力に残像が残っているモノを挙げてみたい。


この「ノーカントリー」は、アメリカの抱える、社会、戦争、犯罪などが複雑に絡み合った課題を浮き彫りにする。
作品のメッセージは重いが、アメリカ生活経験者の私からすると、凄くリアルに感じる。


この「Factory Girl」は、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」と呼ばれるスタジオに実際にいたイーディ・セジウィックの物語。アンディ・ウォーホルのミューズでもあり、 1960年代のニューヨーク・アンダーグラウンド・カルチャーの伝説のミューズと呼ばれた彼女は28歳という若さでこの世を去った。その生き急いだ彼女の人生と、アンディ・ウォーホルが当時体現していたポップ・アートの源泉をこの作品を通して読み取れたのが印象深い。特に、アンディ・ウォーホル役のガイ・ピアースが素晴らしかった。


「フローズン・タイム」は美しい作品である。本作の監督はファッション・フォトに映画的センスを盛り込み、「VOGUE」、「Numero」、「i-D」など、多数のファッション誌で活躍する写真家ショーン・エリス。この作品では、写真という「一瞬」を切り取ることが仕事である彼が、時間に対する独特の感性を映画として表現した作品。私は、このように異業種の人が撮った映画昔から好き。


ウォン・カーウァイの初の英語作品「マイ・ブルーベリー・ナイツ」。NY→Las Vegas→NYという空間を舞台とした、実にきっちり撮られたロードムービー。この作品で女優デビューを果たしたノラ・ジョーンズとジュード・ロウの間のダイアローグの洒落た雰囲気が凄く良かった。映像や語法が凄くミニマルな部分に好感が持てる。


「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」。私の大好きな女性写真家の生き様を表現した作品。写真が表現する視覚芸術に止まらず、彼女自身が歩んできたProfessionalismとは何かを探るにも適した作品だった。彼女の名前を知らなくても、彼女の撮った写真は皆さん一度は目にしてると思いますよ。


最後は、賛否両論、罵詈雑言、などなど多様な意見が飛び交った作品「クローバーフィールド」。最近スカパーのPPVでも見直したのだが、劇場で観た当初は私自身の評価は低かった。やはりこの作品のリアル感覚に関しては評価すべきだと感じ始めている。というのも、かの「ブレアウィッチ・プロジェクト」とは違う深さで、現場視線(=事象に居合わせた普通の人々が撮影した記録をそのまま映画にした)感覚を与えている所が新しい。高度情報化社会での多様なデジタル・デバイスで、事件、事故、災害を即座に撮影し、リアル・タイムで流していくコミュニケーションに対しての警告も含まれている感じもするし。

以上が今年見た作品から厳選した作品である。
その他にも、インディージョーンズ、X-File、イーグル・アイ、スパイダーウィックの謎、ハプニング、ハムナプトラ3、WALL-E、シルク、などなど多くの作品を観てきたが、ここに書こうと思わせるまでには至らなかった。

2009年も自身の動体視力を大事にしながら、多くの作品を鑑賞し、私の思考を活性化させたい。