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Friday, February 27, 2009

自伝的書が今面白い

この2月の読書の中で、特に私が面白いと感じたのは、自伝的カテゴリーの面白い本達だ。
アメリカではベストセラーの上位に、時の有名人の自伝(今なら差詰めオバマ大統領の自伝だろうか)が常に並ぶ。これは、未だアメリカが自由の国で、能力があればサクセスストーリーを描ける国であるからだろうか。だから、成功者の言葉に耳を傾ける。

ビジネスの世界で多様な業界を経験しながら、そのグローバル的ビジョネアーの視点を手に入れた人物。音楽の世界で常に最先端を歩み、以前「住所は?」と問われ、“on the air”と答えた世界的音楽家の初自伝。音楽、ファッション、アートなどの各シーンで多彩な能力を発揮し続け、時代をEditする男といわれる私と同世代のプロデューサー。そんな多様な業界で活躍する男達のストーリーに私は耳を傾けたくなったのだ。

まずは、「The Global Mind 超一流の思考原理」(ダイヤモンド社)。


この書は、前Louis Vuitton Japan CEOであった藤井清孝氏が著したモノである。
藤井氏の経歴が面白く、IT系あり、戦略コンサルあり、投資銀行ありなど、多様な業界を渡り歩き、その中でグローバル・マインドを培ってきたビジネス・リーダーである。
この書のキーワードは、「個別解」かな。

次の自伝的書は、「丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記」(小学館)。


この書は面白い。何が面白いかというと、著者が藤原ヒロシ自身ではなく、川勝正幸氏であること。藤原氏自身は監修を務めている。もう1つのユニークなポイントは、藤原氏を取り巻く何十という影響を与えたり/与えられた人々の証言、インタビューから構成されている所である。その証言者の中にEric Claptonなどがいたりして、実に興味深い。

最後に、「音楽は自由にする」(新潮社)。


この書は私が待ち望んでいた、坂本龍一氏自身で書かれた自伝である。
坂本龍一のサウンドに、Y.M.O.時代から影響を与え続けられている私にとっては待望の書といって良い。
内容も、自身の音楽発芽期、Y.M.O.時代、Y.M.O.以降の世界的音楽シーンでの漂流する思考、そして坂本氏の価値観に変化をもたらした9.11テロ以降の事象といった具合に、ロジカルに構成され教授の本領発揮といった感じ。

この3つの毛色の違う自伝的書に共通しているのは、これらが単なるサクセス・ストーリーではないということ。著者として、また監修者として、自身の歴史に付加されてきた多様なパーツをパッチワークして、未来にまだまだ続いていくのだという決意が伝わってくる所。そして、この3者の飽くなきネットワーク拡大への意志、まだ見ぬ事象への好奇心の発露など、3者共時代が要請するビジョナリーとしての資質を持ち合わせていることだろうか。

Saturday, February 07, 2009

日本初のクリエイティブ・ビジョナリーとは?

文化、芸術、思想、ビジネスなど様々な分野で、その先を見通す力のある、洞察力のある人のことを、「ビジョナリー」と呼ぶ。
日本で初めてのビジョナリーは誰なのかと考えた時、それは千利休なんじゃないかと思い当たった。

そういうことを考えていた時、pen最新号で「日本初のクリエイティブ・ディレクター 千利休の功罪。」という特集が組まれていた。


その特集は見事に、千利休の本質を掘り起こし、今一度この文化ヒーローについて考える機会を与えてくれている。
penで分析されている千利休の本質をキーワード化してみると、
衣食住のトータル・デザイン/ロングライフ・デザイン概念のパイオニア/個の美意識/Individual/表層的な視覚としての「寂び」/形而下的な価値観としての「侘び」/From High-End to Low-End/西田幾多郎的「無」の思想/ミニマル/目利きの哲学/キャッチコピーの達人/茶の湯の方法論や組織などのシステム化/美の方程式確立/黒の美/美学的殉教者
などとなるであろう。

penが描く利休像だけでも、十分そのビジョナリー的要素が読み取れる。

最近購入した、第140回直木賞受賞作「利休にたずねよ」(山本兼一・著)でもその人となりが、小説という形態を通して読み取れる。


千利休が美に殉教した当日から、時系列で遡っていく形式を取ったこの小説では、語り手が古田織部であったり、豊臣秀吉であったりと、面白い仕掛けがしてある。実に軽妙で、スピード感のあるこの作品を読んでいると、著者自身も利休のCreativityに如何に魅せられているかが、私の中に自然と入り込んできた。久々の、私の中でのスマッシュ・ヒットである。

私はこの日本初のビジョナリーについて、多様なテクストが残されている現在、一番信頼しているテクストに最後には戻ってしまう。
それは、青山二郎が数少ない著作の中で、利休の思想について考察した「眼の哲学/利休伝ノート」である。


そこには、利休の思想が的確に書かれている。青山は述べる「利休の前後に思想を持った茶人はなかった」と。「利休の美」は、外界に対する形式の反応から創造される。しかし、利休の美の周縁には、二重・三重の外界や社会の反応が呪縛となり、最終的には利休の死として結実する。このジレンマによって、利休の思想が結局は矮小化してしまっているのではないだろうか。

ビジョナリーとして社会に影響を与え続けることは、孤独な作業であり、自身の多様な事象に対する説明責任を伴う洞察力を磨いていくことに繋がる。利休はそのクリエイティブの本質を、自身の美に対する殉教で完結させてしまったが、それほど美を極める、審美眼を確立させるということは困難なことなのだということを、現在に生きる我々に示してくれているかのようだ。

Thursday, February 05, 2009

音と読書と香りと。。。

今日はちょっと疲れを癒すため、フレグランス・キャンドルの香りを楽しみながら、メロゥな音楽を聴きつつ、読書をしている。


このキャンドルは、パークハイアット・パリのアメニティーデザインを担当するなどの経歴を持つフリーランスのフレグランスデザイナーであるブレイズマーティンとVISVIMがコンフォートをテーマに共同開発したモノである。
「SUBSECTION FRAGRANCE / No.5 New Born」と名付けられたこのキャンドルでは、新生児の香りをパフュームで表現。トップノートにはピーチ、ミドルノートにキャラメルとローズ、ベースノートにミルクとサンダルウッドを使用し調合されている。この香りは、明日への息吹を私に与えてくれる。


自由なクリエイションを標榜するAUDIO ARTS SUPPLEMENTの「SOUNDLOGY 1」。
このアルバムでは、ブレイクビーツ、音響効果音などを用い、その音の構成要素の偶発的な結び付き=音のセレンディピティが生み出すメロゥなサウンドの世界観が見事に表現されている。
こういう音の中で、私の思考は解放される。


この書は、一度以前に読了したものである。
松浦寿輝が著した「方法叙説」というこの書は、批評・詩・小説の分野で活躍する著者自身の創造=Creativityの本質、その言葉の生まれ出るパトスなど、美の発見の瞬間を捉えたモノである。
著者が機中から見下ろした光点と光線とが交錯して創造される、パリというイルミネーションの項に書かれたテクストは秀逸である。
このように美しいエクリチュールは、私の思考を活性化させる。

Saturday, January 03, 2009

読書初め2009

まずは、この写真を見て貰いたい。

Hard Working Man

これは、TimeのPictures of the Year 2008に掲載された、時の人・オバマ氏がスピーチを考えている姿。
このように、写真はその時々、一瞬一瞬の歴史的事象や人などを切り取る。

新年も3日が経ち、ちょっと活字が懐かしくなり、杉本博司が著した「現な像」をじっくり読んでみた。


写真家でもあり、国際的美術家でもある杉本氏が著した書物には、彼自身の時間や歴史の捉え方が鮮明に表現されている。杉本は語る「私は長い間写真に関わりながらも、未だに真の何たるかを知ることを得ない」と。

人類社会にとって、「世界の見え方」が180年ほど前に大きく転換した。それは、写真が発明されたからで、刻一刻と変化していく世界の表情=留まることを知らない捕らえ所のない世界が、ファインダー越しに収まることによって、時間が止まり、時間の断片と化す。
以前読んだスーザン・ソンタグの著書の中で、写真を収集することは世界を収集することに繋がるという趣旨のことを述べていた。デジタル技術の発展と、その技術の恩恵に授かる総アマチュア化。今回の杉本の著作には、世界がどんどん矮小化され、画像として蓄積され、アーカイブ化されていく異様な光景に対しての警鐘も含まれている感じがする。

「現な像」としての写真、その写真が示す世界の見え方が今後一層重要度を増す中、このテクストは読んでおくべき。

Tuesday, December 16, 2008

Must Read in 2008

ここに来て、自分には教養がある、または教養を付けたいと思っている人が今年中に「読まねばならない」本が登場した。それは、水村美苗が著した「日本語が亡びるとき」。


今年も様々な本や書き手が登場し、私自身も多彩な読書を重ねたが、「日本語が亡びるとき」はそれまでの読書とは違った感覚に囚われた。
彼女の過去の著作:「續明暗」(夏目漱石の続編を創造する試み)や「私小説 from left to right」(英語と日本語を融合させた横書きの小説)などの実験的な小説には、その時々で新鮮な感動を覚えてきた。
今回は批評と物語が融合した形で展開していく作品と表現したらいいのだろうか。この書には大切な事柄が多く含まれている。我々が学校で習う「国語」が、現在の「当用漢字仮名まじり」&「現代仮名遣い」となった歴史的経緯についての記述もその1つ。他にも翻訳文学における英語と日本語の関係性、日本語の脆弱さ、日本語と国家の関連、言語教育なども述べられていて、実に知的好奇心を擽られます。

「日本語が亡びるとき」のロジック理解をより深めたい方には、次の2冊がお薦めです。
まずは、今回の作品でも引用が多い、ナショナリズムの古典として名高い「想像の共同体」。これは、ベネディクト・アンダーソンが、国民国家を自身の長期の世界史的視野で論じた著作だが、特に国家を機構=機械、言い換えれば自然なモノではないという述べた。国家はそれ自体存在論的意味を持たず、そこに国民というエッセンスが付加されることで意味を与える。この書は、一言では表現し難い多くの示唆に富んでいる。


次に、私が現在最もリスペクトしている柄谷行人の著した「近代文学の終わり」。水村自身20代の頃、イェール大学で教えていた柄谷に直接指導を受けている。柄谷はこの書の中で、文学のみならず、建築であれ、美術であれ、内面の表現などというものがほとんど姿を消し去り、単に表面的なイメージだけがグローバル市場で消費されていることに危機感を覚えている。文学だけを眺めてみると、そこには翻訳(日本語をいかに英語化するか)の課題や弊害が横たわる。アクチュアリティを失わない変幻自在な発想力をもつ柄谷でさえ、言語に対する思考への障壁の高さを感じさせた。


水村は「日本語が亡びるとき」の中で、私が共感する一節がある。「いくらグローバルな<文化商品>が存在しようと、真にグローバルな文学など存在しえない。グローバルな<文化商品>とは、ほんとうの意味で言葉を必要としないもの ー ほんとうの意味で翻訳を必要としないもの」しかありえないというフレーズ。でもそれは、言葉がグローバルなものと無縁でしかありえないことを暗に示唆している。

私は2008年の最後に、日本語で書くという行為は、グローバル化された英語でのコミュニケーションでは到底体験しがたい言葉の真の運動性が、読む者を甘美に武装解除しているのだ、ということを考えさせられた。

Sunday, December 14, 2008

100歳の思索とサンタクロース

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」とその著書・「悲しき熱帯」でのクロード・レヴィ=ストロースの言葉である。
レヴィ=ストロースは、今年11月で100歳を迎えたが、まだまだ旺盛な思索は衰えを見せていないようだ。


本日私は久しぶりに彼の著書を読み返した。この時期にマッチした、「サンタクロースの秘密」。
彼は自身の文化人類学的フィールドワークによって著してきた数々の著書の中で、一貫して混沌とする西洋中心主義、オリエンタリズムへの痛烈な批判を繰り広げてきた。
この「サンタクロースの秘密」でも、クリスマスの宗教的儀礼が、アメリカの第二次大戦後における影響と威光による商業主義的な催しへと変化させられたことにシニカルな視線を投げかけている。

構造主義という20世紀を代表する思想体系の創始者たる"Living Legend"(=生ける伝説)として、レヴィ=ストロースは存在そのものが「神話」になりつつある。そんな彼が、現在の混迷極めるグローバル市場に対して、その碩学の世界視線にはどう映し出されているのか。そんなことを考えてしまった今日1日であった。

Saturday, December 13, 2008

“ ”が切り取るクリエイティブ

“ ”(クォテーションマーク)は、文献から引用したり、会話文を入れたりするのに使われる。
このQuotationそのものをタイトルとしたクリエイティブ系ジャーナル誌が登場。


他者と会話してたり、文章を読んでいると、その瞬間の言葉や、文章や、気持ちを切り取って、Quotationマークに取り込んでいくって感覚が小気味よい。
扱ってるカテゴリーは、クリエイティブに関するアート、フォト、アニメ、ファッション、映画などのキーワードをトータルに評論され、編集された雑誌って少ない感じがする。
読み手側に、クリエイティブ視点で多様な事象を明快に分析し、テキスト化して伝えていくのは困難な作業だろうけど、やはり言葉やテキストでクリエイティブを語っていくのも大事だから。
多くの雑誌が休刊に追い込まれているけど、来年もこんなスタイルのメディアが少しでも誕生することを望んでいる。
この雑誌、初版は完売とか。

Thursday, December 04, 2008

YouTube:21世紀に見る80年代の思考の断片

最新のBRUTUSがYouTubeの大特集をしている。


日常の中で、私はよくYouTubeで1980年代中期:阪神タイガースが日本一になり、バブル最盛期、そして若者たちの神々が話題を呼んだ時代の懐かしい映像をよく眺めている。
先日他界した筑紫哲也が編集長を務めた朝日Journal誌上で特集した「若者たちの神々」。私は高校生時代から大学学部生初期にかけて、大変注目してその特集を追いかけていた。そこに、早熟の天才と当時喧伝された「浅田彰」が登場した。彼のLogicalであり、ウイットに富んだプレゼン能力、難解な哲学的・思想的言説の巧みな編集能力に、当時の私は衝撃を受け、大変魅力を感じた。今も尚、彼の思考・関心事・言説に私は注目し続けていることを記しておこう。

記憶は不確かなのだが、1986年に金曜深夜枠で6時間連続放送された、早熟の天才が永遠と6時間語り続ける「TV・EV・BROADCAST」をYouTubeで発見した。今見ても、浅田の思考への切り口は鋭く感じ、Coolでさえある。このように、80年代のTVの深夜枠は面白い、実験的試みの番組が多くあった。

それにしても、21世紀になって80年代熱中した自身の思考の断片に出会えるなんて、YouTubeは興味深いメディアである。

では、思考機械・浅田彰が、数学、サイエンス、現代思想、哲学、物理、ハイ&サブカルチャーなど多岐に渡る事象をCritiqueし尽くすその番組をご覧あれ。

No.1


No.2


No.3


No.4


No.5


No.6


No.7


No.8


No.9

Thursday, November 27, 2008

ライブとしての肉体性

最近文芸誌は売れていないと聞く。
私はその時流に反して、よく文芸誌を買う。文芸誌にはタイムリーな批評や小説が掲載されるんで、表現や思考のプロセスに役立つことが多い。
今回、文芸誌の1つ「新潮」を手にしたのだが、驚いたことに付録が付いていた。文芸誌では初のことじゃないかな。1枚のCDが付加されていて、それは著名な批評家・小林秀雄の講演録であった。


私は最近、小林秀雄のテクストを読み返すことが多い。時代が混沌としているからなのか、昭和初期から旺盛に批評活動を行っていた小林秀雄から激動の中での思索という部分を見つけ出そうかとしているように。小林秀雄を読んだことがある人なら理解できると思うのだが、彼のテクストは結構難解なモノもある。

しかし今回、小林の講演というライブの声を聴きながらこのblogを書いていると、気付いたことがある。実に明快な語り口で、不思議なことに彼の思考が頭にダイレクトに入ってくるのだ。活字で読む小林秀雄と、声で聴く小林秀雄とでは、印象が全く違う。かつて小林の友人・青山二郎が、「なぜ喋っている時の面白さが文章に出ないのだ」と表現したことが頷ける。

今回「新潮」の中で、脳科学者・茂木健一郎氏と小林秀雄の孫・白洲信哉氏が対話してるのだが、茂木氏はその中で小林の肉声による講演を聴いて、「批評の肉体性」を感じ取ったと述べている。上手い表現である。
別に文学や評論だけでなく、音楽、アート、陶芸、なども含め、やはり現場に出かけ、聴く・見る・触るというライブ感というものが重要なのだということを再認識させられた。

テクストの中では読み取り難い行間が、小林秀雄の肉声による身体性・肉体性によって、感じ取れた気がする。私は自分のアンテナを鈍化させないために、これからも外部に出て行き、多様な肉体性に触れて行きたい。

Wednesday, November 19, 2008

日本的「美」を考えてみる

先日書店でいつものように書籍を物色していると、1つの面白い書籍に出会った。
それは、平凡社から出ている「日本の美100」。
梅原猛、磯崎新、横尾忠則達選者25人が、1人4つずつ日本の美について挙げて考察する趣向である。


この書のカバーには、これでもかと言うぐらいの満開の桜の写真で飾られている。これも、もちろん「日本の美」の1つではあろう。

「日本の美」という大文字の「美」をこの本は示そうと試みてはいるが、やはりそこに掲載されている「美」は多様なモノ、事象、思想の断片を寄せ集めたに過ぎないことは仕方がないことなのかもしれない。「日本の美」と限定はしてみても、個々人が思い浮かべる「美」は人それぞれ違うモノになるのは当然である。

では、私自信にとっての「日本の美」とはなんだろうかと、考えてみた。
昨年、伊藤若冲の代表作「動植綵絵」が、「釈迦三尊像」と共に展示されるという秀逸な展覧会へ足を運んだ。会場となったのは、京都・相国寺。120年ぶりの代表作同士の遭遇に立ち会うことができ、漠然とではあるが、「ああっ、これは本当に美しい」と体感した。特に、若冲の描いた「動植綵絵」は、何とも表現できないタッチ、書き込み、繊細さ、線の躍動感に満ちていた。私の主観ではあるが、今まで鑑賞してきたどの絵画よりも私は魅了されたのだ。




しかし、これが私にとっての「日本の美か?」と問われると、ちょっと待てよと思ってしまう。青山二郎がその著作「眼の哲学 利休伝ノート」の中で述べた千利休の飽くなき美を追究する思想にも共感してしまう。北大路魯山人が追求した書、陶芸、美食を統合した姿勢も「日本の美」の1つではないのか。


こう考えてくると、やはり私はあのフレーズを想い出してしまう。
そのフレーズとは、批評という体系を日本で確立させた小林秀雄の「当麻」(「モオツァルト・無常という事」所収)という短いテキストの中にある。能の体系者・世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを表現したフレーズ、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」。


小林はこのフレーズで「美」というものは、人それぞれが思い描く美しい建築物、自然、絵画、などがそこにあるだけだと。だから、「日本の美」のように大上段に構えて、一言で表現したり、選択することはできないのだと。

皆さんにとって、「日本の美」と何ですか?

Thursday, October 30, 2008

読書習慣(週間)に想うバランスの良い本選びとは?

巷では、読書週間なるものが始まったと耳にするようになった。しかし私は考える、読書週間なるものを喧伝しなければならないくらい、日本人の活字離れは酷いのかと。
私なんかは、読書週間などではなく、読書は習慣となっているから。

まっ、そんな戯言はさておいて、本日私がこのblogで皆さんに問いかけてみたいのは、日頃書籍の選択とバランスってことを考えたことはありますか?ということである。
私は昔に比べると、amazonなどのバーチャル書店ができてからというもの、リアルな書店へ足を運ぶ回数が減ってきている。しかし、今でも考えやアイデアが煮詰まった時、単に時間潰しの時など、自分が抱えている疑問や課題に対して何か答えてくれそうな予感がして、リアルな書店に立ち寄ってしまう。
そこで今回の問いかけである、本選びのバランス感覚ということになる。

リアル書店で私がレジ前で並んでいると、様々な人が書籍や雑誌を抱えていて、その風景を見ているとその人たちの読書に対する偏りが手に取るように分かる。例えば、恋愛小説と占い本を持ってる女子校生、コンピュター言語の書籍ばかりを抱えている青白い顔をした中年などなど。この女子校生は恋愛している最中または失恋したばかりか、隣の中年はSEのプロジェクトリーダーとして経験を積み重ねているが睡眠不足中か、と私は頭の中で勝手に分析してしまう。かくいう私も高校生の時、ニューアカデミズム旋風の中、海外・日本の当時最先端といわれていた思想・哲学書のみを買い漁り、自分は哲学系少年といわんばかりの本選びに自己満足に陥っていた時代も想い出される。

その時代を経て私は、アメリカ時代の教授陣が提示するReading Listや、書店での教授達の書籍の買い方を見て、書籍選びのバランス感覚に目から鱗であった。上で述べたような誰でも想像できる書籍選択ではなく、レム・コールハースの「S,M,L,XL」、週刊プレーボーイ、そして杉本博司の写真集を小脇に抱えてみるとか。それによって、この人は誰なんだ?職業は?と分析不能状態に他者が陥る。これこそが、バランスの良い本選びの感覚。

ここで、極私的書籍選択バランス例を写メって見ました。これらのキモを、皆さんも読み解いてみてください。

1)Art+マンガ+陶芸+書+ファッション+Music+論理的思考・・・・=?


2)建築+音楽+経済+野生の思考+異文化ダイアローグ・・・・=?


さて、皆さんのバランス感覚を効かせた本選びも教えてくださいね。

PS:The Photo of Today's My Niece

Friday, October 24, 2008

現代金融システム崩壊を予見していた男のNobel Prize

今年のノーベル賞は、日本人が4人も受賞したことにより一躍注目を集めている。
私個人としては、村上春樹のノーベル文学賞受賞がまた先延ばしになったことで、少しがっかりしているが。

今回のノーベル賞の中で、私が一番興味を持ったのがノーベル経済学賞。
経済学賞を受賞したのは、Dr. Paul Krugman


私はアメリカ滞在時から、彼の言説には興味を持って耳を傾けていた。
それは何故か。彼は今回現実のものとなって世界を震撼させている、世界同時的金融システム崩壊を、随分前から予見していたのだから。
以前私はこのブログで、シナリオ・プランニングの重要性や明日を読む力の効用について書いた。やはりこれらのスキルをいかに自分なりに昇華させて、身に付けていくかが、今後のUncertain Worldをサバイブできるかどうかにかかっているということに確信を持った数週間でした。


Dr. Krugmanも彼ならではの明日を読み解く力を蓄積させ、ノーベル賞受賞後の世界に対してもアクティブな提言を続けていってほしいものだ。
彼の思考の一端に触れたい人は、彼のブログがお薦めです。

Dr. Krugman's blog: The Conscience of a Liberal

Sunday, August 03, 2008

明日を読み解く視点を養うには

先の読めない時代=不確実な時代といわれて、相当時間が経つ。経済、政治、社会、文化など、どの領域を見ても先を見通すことはかなり困難な状況である。
特に私が属するビジネス界では、不確実な傾向は拡大する一方である。
こんな先の見えない環境に少しでも明かりを灯す方法というモノが実は存在する。
それはシナリオ・プランニングという技法である。
この技法を実際のビジネス環境で旺盛に利用して、数々の難局を打破してきた企業がある。その企業とは、ロイヤル・ダッチ/シェル。皆さんも周知のように、この企業は石油メジャーの1つであるが、この企業の提供価値は石油という商品やそれに付随するサービスではなく、シナリオ・プランニングという技法を独自に開発し、ビジネス現場で有効利用してきたことにあると、私は考える。
シェルはその技法で、第一次、第二次石油ショック、その後の石油価格の暴落の可能性を推測し、さらにはゴルバチョフ登場以前にソビエト連邦の崩壊を予見して、数々のビジネス危機をビジネス・チャンスに変えてきた。
シェルのシナリオ・プラニング・チームを長年率いてきた人物、ピーター・シュワルツが著した「シナリオ・プラニングの技法」にそのプロセスは詳しく説明されているので、興味のある方は是非読んでみて欲しい。


私が今回このシナリオ・プラニングをテーマに選んだのは、アメリカのサブプライムローン問題に端を発する世界市場の混乱、石油市場における投機的動きによる原油価格高騰、など不確実な状況が今年になってより鮮明になってきたから。このような時代には、明日を読み解く目というモノ=シナリオ構築力を国家、企業、個人のそれぞれが持たねばならい。
このように考えているとき、上述したロイヤルダッチシェル社が2050年までのエネルギーに関するシナリオを作成したことを知った。自ら石油なしに存在し得ないはずの会社が、上記したように実は相当未来に渡る調査研究、シナリオ作成をしていて、それに併せて会社の有り様を実は変化させている。このシナリオを目にしたとき、日本の企業はこういう努力をしているだろうかと、私は不安を感じた。このシェルのコア・コンピタンスによって、石油の時代が終わっても、シェルが世界のエネルギー市場をコントロールしているのではないかと思わせる。

今回のシェル・シナリオは、シェル社のサイトからダウンロードして読むことができる。


Shell energy scenarios to 2050


この報告書の中には2つのシナリオが描かれている。第1のシナリオが良くてこのぐらいという方向で名前が"Blueprints"。Blueprints(早期に国際的な枠組みで対策をした場合)では、2050年までに世界レベルで国家・地方自治体の両方で環境規制が強化され、エネルギー効率の改善や電気自動車の普及、国際レベルでの排出権取引の実施などを想定。第2のシナリオが、良くなくてこのぐらいという方向(つまり現状の延長)で名前が"Scramble"。Blueprints=最良のシナリオではウェブを介した善意の細かな動きが前向きに動くことが前提とされている。"Blueprints"のシナリオの方向性で進んでもらいたいと私も考えるが、どうも現在のグローバルな動きを見ていると"Scramble"シナリオで進みそうな予感が強い。
いずれにしても、シェルは定期的にこうしたシナリオ構築を行い、その中でシェル自体は何をすべきかを考えている。今の我々には求められているのは、こんな明日を読み解く思考を身に付けることなんじゃないかな。

Saturday, July 26, 2008

積読状況からの脱却

購入したまま読んでいない書籍が増えてきた。



う~~ん、お盆休みにまとめて読もうか。

Friday, May 02, 2008

4月の断片(その3):Books

4月も多忙な中、通勤電車の中、カフェ、ホスピタルなど様々な空間で暇を見つけては読書に興じていた。
4月の1ヶ月間で読んだ量はいつもの月より若干少なめの12~3冊程度だった。
それでも、私の思考を刺激する良書に色々出会った。

その中の幾つかを紹介してみよう。

まずは、



紺野 登・著「知識デザイン企業―ART COMPANY」
この書は、Apple社のiPodをはじめとする具体的な先進的企業のサービスやプロダクト事例と、多様な領域の理論とを接続する著者の深遠な知識で、昨今のBuzz Wordとなっている「イノベーション」や「クリエイティブ」を巡る諸概念を一気にマッピングしてくれる良書。

お次は、



吉本隆明・著「日本語のゆくえ」
久しぶりに、吉本隆明の著作を読んだ。私が高校生の頃、初めて彼の著作を手にしたのだが、その当時と変わらぬ彼の言語に対する探求心が衰えていないことに少し感銘を覚えつつ読み進めた。この著作は、吉本自身の母校でもある東京工業大学での集中講義「芸術言語論」をベースとして構築されている。彼がこの著作の冒頭部分で述べているコミュニケートするために言葉を発するのではない部分の言語=ディスコミュニケーションの言語を理論化していくプロセスに大変興味を持った。日本語がどんどん記号化していく現在状況で、少し立ち止まって日本語の持つ本質的問題に向き合うのも面白いかも。

3冊目は、



菊池成孔・著『服は何故音楽を必要とするのか?―「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召還された音楽達について』
この書を読んだときの印象としては、文字が目に入るより、私の頭にファッションと音楽が頭の中を駆け巡ったと表現するのが良いかもしれない。この著作は、菊池自身が雑誌「Fashion News」に連載していたモノを纏めたのだが、雑誌に連載されていたときより、ファッションショーと音楽という関係性をより鮮明化した感じを受けた。
菊池成孔は、音楽家でもあり、文筆家でもあり、と多様な表情を見せる人物だが、今回の書は彼のその多彩性を先鋭化したということでは、実に面白い作品だと思う。

最後はあの名著、



トゥルーマン・カポーティ・著、村上春樹・訳「ティファニーで朝食を」
これは皆さんもよくご存じの作品だと思う。
私もこの作品は、高校生時代旧訳で一度読んでいるし、原書も読了済み。
では、何故今回もう一度この作品を手に取ったのか。それはもちろん、私がその新作が出れば必ず読んでいる村上春樹が翻訳し直したから。久しぶりに読む"Breakfast at Tiffany's"が、村上の訳で新たな地平を見せてくれたことに驚きを覚えた。やはり、翻訳という作業は、その訳者の意志や思考によって、アプローチの仕方が違うのだということを考えさせられた。旧訳も良かったが、今回の村上バージョンの新訳でますますこの作品が好きになった。

4月の断片は、明日もまだまだ続く。

Thursday, February 28, 2008

時代をEditする雑誌:BRUTUSを眺めて、Creativeの真髄をつかむ

以前にもこのブログで私が購読したり、時折買っては眺めている雑誌群を紹介したが、その中でも本当に長年愛読している雑誌がある。「BRUTUS」がそれ。
その時代のカルチャー、トレンドなどを毎号テーマとして、縦横無尽にBRUTUSならではの視点、世界観で時代をEditして行く。雑誌自体のデザインを含めた表現方法や姿勢は、どの誌にもないオリジナルな切れ味を見せる。


例えば、最新号の「すいすい理解(わか)る現代アート」。これは、現代アートに今まで取っ付き難いなぁと感じていた人でも、スルッと入っていける構成になっている。そのカテゴリ分けも今までにないもので、「なんでも大きければアートになるんですか?」とか、「そもそもなぜ便器がアートなんですか?」とか、実に面白く現代アートを読ませる。初心者にも理解し易いText構成、だからといって現代アートに造詣が深い人々も飽きさせない。これこそ、私が目指す"Think-Write"な文体ではないだろうか。


この雑誌は、その他にも私に気付きを与えてくれる。少し前の号になるのだが、「読書計画2008」の中で、私は1つのCreativeな新進気鋭企業を発見。もちろん特集は読書なので、様々な人々の読書についてのストーリーが展開されているのだが、私のアンテナにフィットしたページにスッと目が止まった。私が今まで聞いたことがなかった「TAKRAM(たくらむ)」という企業の創業メンバーである田川氏と畑中氏の読書ストーリーを展開している箇所だった。その記事を読んでいると、彼らの読書傾向が実に私にフィットした。

彼らの書籍チョイスも良い感じだったが、企業名はもっと良い感じ。「TAKRAM」はデザイン・エンジニアリング・ファームを標榜する企業。このようなフィールドの企業は一般的に、「~ソリューション」「~コンサルティング」などとネーミングする企業が多い中、「TAKRAM=たくらむ=企む」とこの企業が目指す本質部分をずばり表現している所に共感を覚える。やはり、クライアントに対して何らかのアドバイス=付加価値を与える企業は、センスの良い遊び心と、専門知を駆使したプロフェッショナリズムを兼ね備えた組織体であって欲しいと、私は常々考えている。まだ創業して2年のこの企業を牽引する田川氏と畑中氏は、両名ともに工学を学んだ後で海外留学。工業デザインを海外で学び、デザインとエンジニアリングという二つの視点を生かして製品開発などを行っている。こういうセンスを持ち合わせた企業には、グローバル市場へ殴り込みをかけて欲しい。

BRUTUSのバックナンバーは、我が自宅にここ10年分ぐらいのお気に入りを残してある。その中でも、印象深い号は以下のような感じになるかな。これを見ても、アート、写真、などCreativeな事象を取り扱ったものが多い。茂木健一郎氏を特集した号は、これぞBRUTUSというページ構成が印象的だったことを憶えている。皆さんも何冊かは目にされているかな?

Friday, January 11, 2008

Thinking Placeに関する考察

唐突ですが、皆さんにとって、思索の場所ってありますか?
最近哲学者であるハンナ・アーレント女史の書「思索日記」を読んでいて、ふと思ったのが私にとっての思索の場ってどこだろうかということ。
哲学者である彼女は、彼女が生きた時代に思索する場所をどこに求めていたのだろうか?大学の図書館?カフェ?



この問いを思いついたとき、とある社会学者の著書の一説が脳裏をかすめた。
the “third place”-locations other than home or work that are “neutral, safe, public gathering spots.”
家庭でも職場でもないソーシャルギャザリングの場としての第三の場所こそ、思索の場として相応しいといった感じの説明だったと思う。
行動・実行に伴う思索を行える場を探すとなると、これは大変骨が折れる気がする。理想としては、自宅の書斎が良いのだが、なかなか日本の住環境では限界があるように感じる。

私がアメリカで暮らしていたときは、思索/勉強の場としてのパワーを一番発揮できる場が多くあったように思う。その場の力とは、周りが真剣に考えたり、勉強しているので、自分もそれに負けじと思考する活力を与えてくれることを意味する。私にとってのアメリカ時代の思索の場は、大学の図書館を中心に、市の図書館、大学のカフェ、隣の大学のカフェなどをフル活用して、場の力を醸成する場所を探し続けていた。カフェは閃きや、発想などの柔軟な思考が創造される場としては最適だった。しかし修士論文など、長期間を費やして紡ぎ出される思索の結晶を創造するには、カフェなどは少しカジュアルすぎた。

私が修士論文を書き上げるのに一番よく利用したのは大学の図書館で、そこが主戦場であったように思われる。修士論文のように、1)「過去の分析」のためのデータソース解析、2)「現在の思考交通整理」をするためのメモ行為、3)「未来予測」のための内省的議論や他者からの助言、を駆使して作り上げる作業には、アメリカの大学付属の図書館に多く見られる、建造物の造りが重厚であり、ヨーロッパ調の内装と多くの本が醸し出す知的な雰囲気と人々が勉強している「場の力」のエッセンスは必須であったように思う。

日本には、まだまだアメリカのように知的格闘技を形成する第三の場、そしてそこに必要な「場の力」が大変少ないような気がする。
皆さんは、自分独自の思索の場を持っていますか?

Saturday, January 05, 2008

五日目のHappy New Year 2008

新春のお慶びを申し上げます。
今年もいつ更新するか分からない、このブログをどうかヨロシクお願いします。

さて、新年のご挨拶はこの辺にして、2008年最初のブログを始めてみたい。
皆さんは、この2007年から2008年への年末年始は何をされて過ごされていたであろうか?
私はほぼ自宅に引き籠もって、日頃余り見ないTVドラマなんかも見ていた。今も、三島由紀夫原作戯曲の「鹿鳴館」を見ながらこのブログを書いている。田村正和の演技が光っている。

この年末年始には6冊の本を読んだ。ジャンル的には、ビジネス系、デザイン系、フィクション、往復書簡と、頭の切り替えには良い感じの読書ができたんじゃないかと思っている。

年末年始の読書


この読書の中で一番印象に残ったのは、「午前4時、東京で会いますか?」。この書は、Paris在住の中国人小説家兼画家のシャンサと、東京在住で、シャネル日本法人社長のリーシャル・コラスの往復書簡である。この書簡本には、12通の書簡が収められていて、フランス語で小説を書く中国人と、東京に住むフランス人の交友関係、異なる言語との格闘、政治、文化、芸術、希望などが静かに、熱く語られている。その言葉の架け橋は、二人が生きた時代、そして現在が、パリと東京でエレガントに交錯し、私にグローバル感覚を呼び起こさせた。
その他の書も、経営コンサルタントが独自の境地を開いてオタク文化から見たビジネス分析を試みたり、建築家がビジネス領域でも役立つであろう思考法を伝授してくれたりと、その他の書も新たな視点を提示してくれた。

今年も様々な書籍との知的格闘技を楽しんでいこう。

Monday, January 15, 2007

My Bookshelf

私は現在、自宅の本棚に和・洋書合わせて約2,000冊の書籍を所持している。
ネットの時代が到来し、ある時期書籍などの紙媒体は淘汰されてしまうなどということが誠しやかに議論されたことがあった。だが、現在になっても書籍は死なず、サバイバルしている。

テレビなどのマスメディアやネットなどのオンラインメディアの発達によって、最近では「本を読む」という行為が希薄になりつつある。もちろん、日々の新たな情報をキャッチ・アップしていくには、インターネットというソースは大変有効であるが、それらの情報は編集されずに、ただ撒き散らされている感は否めない。その点、書籍というものは、書き手が多様な情報と自分の思考を融和させて記述しているため、Inforamation(編集されていない情報)からIntelligence(編集された情報)へと昇華され、何年経っても色褪せない良書が多くある。

このように見てくると、まだまだ書籍という存在感は衰えを見せず、私の中でますます大きくなっていく。
そんなことを年末年始に考えながら、本棚の整理をし、より体系だった形へと収斂させた。だが、本の数が膨大であるのと、仕事などでよく利用する書籍類はすぐ手の届く範囲に置いておきたい体質なので、その試みは仕事始めの頃には見事に瓦解してしまっていた。

興味がある人はここをクリックして、私の本棚を覗いてください
↓     ↓     ↓      ↓      ↓


今年になってある方のブログを読んでいると、WEB上に自分の本棚を構築できるサービスがあることを知った。今後も増殖していくであろう書籍類のデータベース化と、既に手元にある書籍の中で私が物事を考えるときによく利用する書籍類を可視化することを目的に、一部ではあるがバーチャル本棚を作ってみた。まだまだ構築途中なので、完全とはいかないが、バーチャル本棚を作っていく過程での過去から現在、そして未来への本の旅ができそうな予感である。

Sunday, September 17, 2006

Magazine as Thinking / Relaxing Tool

自宅のマイ・ルームが、書籍と雑誌に埋もれてしまっているので、この3連休で整理をしようと心に決めた。整理していく中で、「もう何でこんなに、いっぱい雑誌があるねん!!(自分で購入したのだが)」と少し腹を立てながら、様々な雑誌を眺めていた。

これまで多様な雑誌に目を通してきたが、現在定期購読したり、部分的に購入している雑誌は、ビジネスで利用する(思考する)ための雑誌と、リラックスするための雑誌とに大きく区分できる。今回の整理を機に、本日のブログは私が「今」"IN"と感じているMagazineの数々を紹介してみよう。

まずは、定期購読しているもの:

Harvard Business Review: アメリカ滞在時代から読み続けている雑誌。現在は日本語訳がダイヤモンド社から刊行されている。これは現在の最先端の経営理論などをいち早く紹介する、まさにマネジメント・バイブル。今後独立などを考えている人は、必読の雑誌。「経営」のトレンドが分かる。(月刊誌)

・Think!: これは「論理的思考力増強」、「シナリオプランニング法」、「マーケティング戦略に必要な思考法」など、ビジネス現場でのスキル・アップを伝授するのを主体とした雑誌。実際に活躍するコンサルタント達が執筆にあたっているため、新鮮な情報が得れます。(季刊誌)

・BRUTUS: 創刊時から読み続けている、カルチャー・トレンド雑誌。これは、思考用にも、リラックス用にも使える。時代時代にあったテーマ選定は秀逸。今まで印象に残っているのは、イームズなどの椅子特集、最近では伊藤若冲を特集したもの。

・TIME Magazine: 週刊で世界の情勢を伝えるニュース誌。難解な英語を使うので有名。ここで使われる単語やフレーズは、英語初心者には大変取っつきにくいのだが、その英文構成は一級品。アメリカでレセプションパーティーなどに出席すると、これを読んでいないと話題に付いていけないことも。



テーマや寄稿者によって部分的に購入している雑誌:

<文芸>
・群像
・文学界
・新潮
これらの文芸誌は、村上春樹の小説が掲載される、私が最も敬愛する批評家・柄谷行人の論考が掲載される、蓮實重彦の映画論が掲載される、などによって購入。

<人文・思想>
・Inter Communication
・現代思想
・at(アット)
at(アット)は昨年から刊行され出したものだが、柄谷行人の「革命と反復」が連載されている間は購入し続けるかな。

<ビジネス>
・広告批評
・宣伝会議
・Design
・日経biztech
・Web Strategy

<アート・建築・デザイン>
・美術手帖
・pen
・Casa BRUTUS
CASA BRUTUSは主に建築と文化などの融合を紹介する雑誌だが、BRUTUSとは違った切り口の構成は興味深い。好きな雑誌の一つ。penも最先端の建築、グラフィックアート、プロダクトデザインなどの紹介&提案を行う雑誌。最近ではレム・コールハース佐藤可士和などの特集が印象深かった。

この様に多種多様な雑誌を購入して、アートの写真を眺めたり、書き込まれた文章を読むことで、My Brainの活性化を図っている。Magazineは書籍に比べて、文章を読むと言うより、そこに掲載された写真やピクチャーから何かを読み取るということが多い。そこが、自分の考えを可視化することに役立っているんじゃないかと、最近思っている。

私は今後も、多種多様な雑誌を手にして、そこに掲載された情報を自らの考えにパッチワークしていく。