Thursday, May 14, 2009

クリエイティブの揺らぎの中で:ヒト、書、映画、そして。。。

GW期間中に私自身の中で揺らいだクリエイティブな事象について綴ってみよう。

5月2日
日本列島がGW真っ盛りの中で、ブルースを表現させたらピカイチのシンガーが永眠した。
忌野清志郎、58歳の余りに早い生涯であった。


先日の深夜、何も考えずTVをオンにすると、そこには一時癌という病を克服し、元気にシャウトする忌野清志郎の姿を映し出していた。私が中学生の頃聴いていた「雨上がりの夜空に」「スローバラード」を力強く歌い上げていた。
その彼が、今はもう鬼籍に入ってしまっているとは、信じ難いことである。
ご冥福をお祈りします。

しかし、私が興味を持った表現者達は早く逝ってしまう。
寺山修司(47歳)、松田優作(40歳)、坂口安吾(48歳)、そして忌野清志郎(58歳)。
こうして考えると、表現を極めた者達は、常人の数倍の早さで自分の身を焦がすほどに才能を燃焼し尽くしてしまうのかもしれない。
彼らに共通しているのは、自身の分身とも言える作品が未だに人々を感動させ、影響を与え続けていること。
そこには「死」ではなく、「生」が確かに存在する。

5月某日
皆さんは、吉岡徳仁という名前を聞いたことがあるだろうか。
彼は今、世界が最も注目するクリエイターの1人と言っていいかもしれない。
彼のアップデートな仕事は、東京で開催中の「『Story of...』カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」。カルティエは皆さんもご存じの通り、時代の技術の粋と独創性によって、今もなおジュエラー界のイノベーター的存在である。吉岡は独自のアプローチによる、カルティエが創造してきたジュエリーの過去・現在・未来のストーリーに着目した構成は、新たなクリエイティブの扉を開いている。

今まで纏まったテクストを世に出していなかった吉岡徳仁が、自身のデザインとの向き合い方、考え方などを著したのが「みえないかたち」である。


吉岡の初めてとも言える纏まった形のテクストで彼が一貫して述べているのは、デザインというモノは「かたち」ではないということ。彼にとって、デザインとしての「かたち」は重要な要素ではなく、「かたち」は無くても良いと言い切る。吉岡にとってデザインとは、他者にコミュニケートする「かたち」の裏側にある空気感や雰囲気を表現する手段なのかもしれない。だから、彼の作品は椅子にせよ、空間インスタレーションにせよ、形ではなく人の心に「響く」モノを表現し続け、そのことが世界に評価されているのだろう。
今回彼の思考の断片を1つのテクストで読んだことで、吉岡徳仁というクリエイターにより深い共感を覚えた。

5月某日
久しぶりに映画を観た。
ちょっとべたな感じはするけど、今年のアカデミー賞ナンバーワン映画「スラムドック$ミリオネア」を堪能した。


この作品は、私の好きな映画の1つでもある「トレインスポッティング」の監督・ダニー・ボイルと聞けば、観る前からちょっとワクワクしてしまった。
やはり彼の映画は私の期待を裏切らなかった。インド版「クイズ・ミリオネア」で主人公が勝ち進んでいく中、主人公のライフストーリーと解答が交錯していく。ダニー・ボイルならではの疾走するストーリー展開で、私をラストまで一気に引き込まれていった。

この作品は公開中でもあり、これから鑑賞する方もおられるだろうから詳細には語らず、記号化してお伝えしておこう。
インド社会の過去・現在・未来/圧倒的な格差問題/偶然性/ファンタスティック/Destiny≠運命/奇跡譚/機動性の高いストーリー展開/暴力的描写と幸福的描写/苛烈な宗教対立/
というのが、この作品のコアとなってくるんじゃないかな。

いずれにしても、この作品は私の中で今年一番であったということだけは確かである。

このように、GW期間中に私が感じ取った3つのクリエイティブ的揺らぎ。
その揺らぎの感覚は、
“...making its nature manifest to the very senses as well as to the intellect.” by Galileo Galilei
このフレーズへと帰結する。

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