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Wednesday, July 01, 2009

Thinking about "Breakthrough" on July 1st

I like word “Breakthrough.” This word includes the positive meaning of clearing the door for innovation or getting over any problems.

Recently, the world economy that various problems surfaced at a stretch possesses it for a coming situation for stabilization again and continues groping for it. Under these situations, we must right break through those difficulties.


As the prescription for a beginning of the solution of various problems in global market, Harvard Business Review(HBR) provides “Breakthrough ideas for 2009.”

Twenty power concepts for 2009 are the following:
01. Consumer Safety for Consumer Credit
02. Now's the Time to Invest in Africa
03. Just Because I'm Nice, Don't Assume I'm Dumb
04. Forget Citibank - Borrow from Bob
05. Harnessing Social Pressure
06. The Rise of Forensic Economics
07. A Looming America Diaspora
08. Institutional Memory Goes Digital
09. The Business of Biomimicry
10. The IKEA Effect: When Labor Leads to Love
11. Beware Global Cooling
12. The Dynamics of Personal Influence
13. Western Union World
14. State Capitalism Makes a Comeback
15. Launching a Better Brain
16. Stumbling to a Longer Life
17. What You Need to Know About the Semantic Web
18. How Social Networks Network Best
19. Should You Outsouce Your Brain?
20. A Central Nervous System for the Earth

These ideas are constructed various domains like Architecture, Psychology, Criminal Psychology, Biology, Futurology, and so on. In short, HBR proposes that many problems which the current world has mean what you should exceed by the entirety of the intellect.

Therefore, I want to regard words called the “Breakthrough” as important.

Friday, February 13, 2009

建築の意志を感じた日

私は今年、建築的思考を今年は大事にしていきたいと、このblogで昨年末語った
今週、その建築的思考、いや建築の意志を体感する出来事が私に2つ起こった。

1つは、現在TOTOテクニカルセンター大阪で開催されている「安藤忠雄建築展 挑戦-原点から-」へ足を運び、安藤氏がこれまでその幾何学的手法で構築してきた数々の建造物を体感できたことである。


特に、今回私の思考を刺激したのは、安藤氏の実質的デビュー作である「住吉の長屋」、「光の教会」、「六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ」などから、現在進行形のイタリア・ベニスのピンタ・デラ・ドガーナ再生計画などの海外プロジェクトにおける実際のモックアップ(=模型)や設計図をライブで眼にできたこと。

光の教会

六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

コンクリートや木材で形作られた精緻なモックアップを見ていると、建築家・安藤忠雄の建築を通じて何を表現したいかという想い=建築の意志が、ダイレクトに私に伝わってきた。

2つ目の事象は、ちょっと私の気持を消沈させるモノであった。
それは、私が最も敬愛する建築家・レム・コールハースと彼が主宰する建築集団・OMAがここ数年関わってきた国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋の付属高層ビルが、下らない違法な花火で一部が焼失したというのだ。



OMAが構築した完成予想図:この図の向かって左側の建築物が焼失

建築とは、歴史を「空間化」する技法である。それは歴史に対し、アーバンだったりドメスティックだったり、公的だったり私的だったりする可視的な形態を与える。それはまた進行しつつある創造行為でもあって、未だ見えざる力や名付けられたリアリティと結びついていると、私は考える。
その完成間近な創造的リアリティを、情けない行為によって破壊されてしまうことに、レム・コールハースは今何を考えるのか。
彼はその最新著書「コールハースは語る」(筑摩書房)の中でも、国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋プロジェクトに対して熱く語っていたことからも、相当落胆しているのではないかと思う。


建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的モニュメントや都市計画(今回の国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋を含む)に至るまで政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。言い換えれば、認識的領域、道徳的、美的、法的、政治的、経済的な諸領域が錯綜した中に建築の意志が生きているという意味。
もちろん形あるモノは永遠ではないが、今回のような些末なことで未完成なクリエイティブ=建築の意志が失われることに、私は怒りを覚えることを表明しておきたい。

Tuesday, December 30, 2008

Logo:Creativeの源泉がそこにはある

いよいよ、今年も残り1日を残すのみとなりましたね。
こんな日には、私のビジネス的専門領域の1つであるブランド(企業)ロゴのお話でもしてみましょうか。

皆さんは、Logoと聞いてすぐに何を思い出すでしょう。ある人は企業ロゴ(例えば、ソニーとかアップル)が頭にすぐ浮かぶだろうか。それとも、ある人はファッションブランドのロゴ(例えば、LV=ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルマーク)を思い浮かべるだろうか。

それだけLogoというものは、企業やブランドにとって切っても切り離せないモノとなっている。
私が数年前、ブランド戦略構築現場にいた頃から、この社会や消費者にダイレクトに繋がる意匠に対して大変興味を持って、ビジネス視線で考察していた。

しかし最近、企業の商品やサービスに関して、ここのブランド・ロゴだから大丈夫であるなどの信頼性を消費者などに植え付けるはずのLogoが、少し安易に扱われ始めているのではないかと危惧している。
そんな危機感の中、面白い記事をWeb上で発見した。
それは、“45 Rules for Creating a Great Logo Design”というモノ。ここには、簡潔ではあるが、大変重要なことが表現されている。例えば、「3つ以上の色を使わない」、「可能ならロゴを正方形に収める」、「ロゴには視認性がなければならない」、「地球をシンボルに使わない」などなど、Logoをクリエイトする人々にとっては基本中の基本の事柄が列挙されている。

だが、私はこの基本が守られていない企業(ブランド)ロゴをよく見かけるようになった。
皆さんもご存じのドコモ。この企業のロゴマークが一新されたことに気付いてらっしゃいますよね。


3つ以上の色を使わない、というのは時代の変化の中で重要である。今回のリニューアルで、赤色単色にしたところは、ビジネスに対する情熱、未来への先進性を強く表現できていて良いと思います。しかし、これは日本の企業に大変多いのですが、どうもロゴが横に長すぎる。これは、45の法則の中でも述べられている、可能ならLogoを正方形に収めるということに反してます。Logoって言うのは、縦書きにする場合も多いので、その際どんなに頑張っても視認性が劣ります。これでは、せっかくのロゴ・リニューアルも台無しって感じでしょうか。

私が好きな企業(ブランド)ロゴは、以下のミニマルではあるが、主張していて、世界中の誰もがすぐに認識できるTypeでしょうか。






上記の企業って、それぞれ自身の市場でユニークなポジションを構築し、消費者に対して分かり易いメッセージを発し、何か驚きのある商品やサービスを提供し続けていると思いませんか?やはり、こういう企業はロゴ創造にもちゃんと向き合ってますよね。
これを見ると、もう少し日本の企業はオリジナルなロゴ構築=ブランド価値構築を、真剣に再考すべき時なのかもしれません。

少し辛辣に日本企業について評しましたが、日本でもロゴ構築について真摯に取り組んでいる組織もある。それは、国立新美術館。私はここのLogoの先進性、斬新さに、初めて見たとき驚きを覚えた。本当にオリジナル性に富んでいる。このロゴを作ったのは、現在デザイン界の寵児とも言われている佐藤可士和だ。彼は、Logoに使われているフォントも一から創造し、このどこにも存在しない、世界に1つだけのLogoを作り上げた。このような困難なクリエイティブ作業を行いながら、先に述べた45の法則の大部分を満たしていることにまた驚き、日本でもまだまだ素晴らしい発想を含有したLogoを構築できることに感心した。

2008年は「デザイン」や「クリエイティブ」という言葉が、雑誌、書籍、メディア、ビジネス現場で数多く見聞きした。今日のLogoの話しもそうだが、まだまだ日本のデザイン力はアメリカや欧州と比較すると優位性を持っているとは言えない。“Made in Japan”といえば、高品質やリーズナブルということがグローバル市場では常識となっている。そこに、クリエイティブ力やデザイン力に繋がるフレーズが続いて欲しい。そのためには、もっともっとクリエイティブの現場の人々が世界進出を果たすべきであろう。私も2009年のKeywordを“Architecture”を掲げた者として、来年は世界へ向けてその軸足を移していけるように一層精進したい。

Saturday, December 20, 2008

ミクロ視点としてのCreative

昨日は2009年のキー・コンセプトに関して、このblogで述べた。
2009年のキー・コンセプトは「Architecture」とした訳だが、それに連なるサブ・コンセプトに関しても実は議論していた。

「Architecture」は社会デザインをするなどマクロ的視線であるが、マクロ的思考を成立させるためにはミクロ的な視線も大事になってくる。では、新たなモノを構築していくことのエッセンスとなってくるのは何か?
やはり、それはここ数年様々な場で話題となっている「CreativeまたはCreativity」ではないだろうか。

今年5月に世界的建築家・隈研吾氏の講演を拝聴し、よりCreativeという言葉の重要性を実感した。
講演タイトルは、「負ける建築の思想と実践」。「受動性=負け」と定義付けた隈氏の建築理論を、建築フィールドにいない我々に対しても、彼自身のケーススタディ(現在進行形の建築物など)を元に、噛み砕いてレクチャーしてくれた。隈研吾という一人の建築家が、プロジェクトの大小に関わらず、予算、建築条件をまずは受け入れて、街並みや歴史に敬意を払いながら、その土地や人々との対話をして、思考を巡らせる。これこそ、負ける建築のエッセンス。

また、彼はNYにあるRockefeller Centerに代表される20世紀型商業主義的ポストモダン建築=マッチョ思想ではなく、現在のように文明が成熟した時代には時の移り変わりに対する繊細な感受性を重視する建築こそ21世紀型だと主張する。Super Parts=超部分を大切にした建築物を、彼は関西エリアで今年も新たに構築した。
それが朝日放送新社屋である。この建造物は隈氏の説明によると、過去の作品の集大成=負ける建築の実践となっているようだ。この建造物は、アジア的穴(西欧的オブジェと対比される)の思想、縁側的なるモノ、そして自然素材をふんだんに散りばめた構造物として、今後大阪の21世紀型建築の代表的存在となるであろう。


彼の思考のエッセンスを聴いたり、読んだりしていて、Creativity=創造性というモノは、経験に基づいて何かを生み出そうとする力が働くため、過去を超えようとする意志の産物であることが理解できる。


その産物を創り出すには、
1)まずは新鮮なナマの情報をキャッチすること → そのためには、目の前の現実を自らの五感で感じ取り、咀嚼することが、Creativityの原点になるであろう。この原点を経て、未知なるモノに遭遇した時の驚きを、いかに表現するかに真価が問われるのだ
2)次に、対話を重視すること → 自分の発想を形にし、それを他者と共有する才能=Communication能力を磨くこと。たとえ他者から否定されようと、粘り強く対話を重ね、相手の本音を引き出す。
これらのプロセスが必要となる。

昨日も述べた建築的思考に、この創造的プロセスを加味することで、2009年のコンセプトは完成を見る。

Friday, December 19, 2008

2009年のKeywordは

このフレーズがぴったりくるんじゃないかと思う。

それは、「Architecture」。
このキー・コンセプトを導き出すのに、昨日のCTM(Creative Thinking Meeting)における議論で最も時間を割いた。
建築、社会設計(デザイン)、そしてコンピュータ・システムの3つの意味を併せ持つ言葉「Architecture」。これは現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。

私が今回の議論で、このフレーズを提示した背景として、現時点での世界経済、ビジネス環境の大転換の潮流の中で、既存システムをポジティブなモノへと変換していくべきコンセプトが必要なんじゃないかと考えた。今回のコンセプトを考えるにあたって、随分前に読んだクリストファー・アレグザンダーの「A City is not a Tree」と、ジェーン・ジェイコブズの「都市の経済学」からの概念をベースとした。特に、アレグザンダーの考えとして、自然都市(長い年月の間に生成した都市)はセミ・ラティス構造によって組織されているのに対して、人工都市(建築家やデザイナーによって慎重に計画された都市)は階層的に構成されるツリー構造によって組織されていると表現した。ツリー構造=欲望型資本システムがここ数年、厳密に守られてきたからこそ、今回の世界的破綻を招いてしまったのかもしれない。もちろん、全てのシステムをセミ・ラティス構造へと転換していくことは困難だろうが、今こそこの建築的思考を大事に考えていきたい。

このコンセプトや建築的思考については、柄谷行人の「隠喩としての建築」に詳しいので、そちらを参考にしてもらいたい。


いずれにしても、現在の欲望型高度資本主義は終焉を迎えようとしている。このシステムが瓦解の極点にまで達しているのであれば、待つのではなく対抗策および今回我々が導き出した建築的思考による発想の転換こそ必要なのでは。

Monday, December 15, 2008

2008 Word & 2009 Plan

私が3日前のblogで、今年の漢字は「崩」じゃないかと予想したが、これは見事に外れて、「変」であった。
政治・経済・経営・社会など、社会科学的視線では妙にリアリスティックな考え方をする私としては「崩」の方が妥当だと感じるのだが。皆さんならどんな漢字を思い描きますか?


いずれにしても、ここ数年「命」(自殺者が増加)や「偽」(食品偽装増加)などの漢字が選ばれていたことを考えれば、今年は少し私の感覚としては明日への希望を込めた「変」なのかと捉えた。2008年で一番インパクトのあったフレーズが、バラク・オバマ次期アメリカ大統領の"Change"。そして、彼が次期大統領に選ばれる前から明確になった世界的金融大変動。その辺りから見えてくる言葉は、「変」だけだったのかもしれない。2009年はもう少し、PositiveでAggressiveな漢字が選択されることを期待。

さて、来年の予定をここで少し。

来年の初旬には、私の観たい展覧会が結構関西で目白押し。自身の備忘録として、ここに記しておこう。


まずは、1月下旬から神戸で開催される「白洲次郎白洲正子展」(大丸ミュージアムKOBE於)。第二次世界大戦前後を軽やかに疾走し、戦後は「美」と「義」に生きたこの華やかな夫婦のスタイルを、大変動の今こそその息吹に触れてみたい。

お次は、関西出身の世界的建築家・安藤忠雄の建築展が来年2月に開催(TOTOテクニカルセンター大阪於)。安藤忠雄の30代の代表作「住吉の長屋」&「光の教会」の縮尺1/10サイズのコンクリート模型を展示するほか、現在進行中の「プンタ・デラ・ドガーナ再生計画」&「モンテレイ大学 RGSセンター」などの海外最新作までを網羅するようだ。安藤忠雄という建築アイコンのクリエイティブ思考に触れる絶好のチャンス。

次の2つはまだ開催日程が未定なんだけど、ぜひ足を運びたい展覧会。
1つは、「20世紀のはじまり ピカソクレーの生きた時代」(兵庫県立美術館於)。もう1つは、私がその作品力に常々リスペクトしている杉本博司「歴史の歴史」展(大阪国立国際美術館於)。


この杉本博司の作品に初めてNYで触れてからのファンなのだが、彼の作品の深みは言うまでもなく、彼の記述するテクストにも私は大変共感を覚える。

さぁ!!2009年も面白いコトやモノを見尽くそう。