I write today's blog in English entirely.
There may be such a day.
I will write about authentic article having having a practised eye power.
It is time to be excited for a creative person, organization, and so forth, very much now.
Clearly there are so many unknowns facing us, so many challenges from social changes to business failings to economic collapse. It is expected that the unemployed people increase almost every day.
Under this situation, how dare anyone look at the world with any optimism?
No one can deny the global pain this is all afflicting. But for better or worse, this is creating a self-editing process of talent, brands, organizations and leaders. What is authentic and more importantly, and what is innovative will survive and grow. It is the foundation for any prominent design or brand without only with an individual to be faithful in this way. The future selection may get narrow; however, what creatives must do is to make sure the choices become better.
The meanings of words called “originality” are evolved by technology and a new generation of youth. But, it became difficult to define a concept called the original. Especially, It may be difficult in Japan which has made it a cultural trait to improve and enhance on previous ideas.
But somehow, there are still advantage on the merits of what we once described as“original.”
In the early morning of tomorrow, we look at the historic moment which the inauguration of first African-American US president becomes reality. A phenomenon doing enable impossibility; in other word, the act of making something has a greater value today than ever before.
Having creative thinking for ascertain essence must be opening up the times!!
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Tuesday, January 20, 2009
Tuesday, December 30, 2008
Logo:Creativeの源泉がそこにはある
いよいよ、今年も残り1日を残すのみとなりましたね。
こんな日には、私のビジネス的専門領域の1つであるブランド(企業)ロゴのお話でもしてみましょうか。
皆さんは、Logoと聞いてすぐに何を思い出すでしょう。ある人は企業ロゴ(例えば、ソニーとかアップル)が頭にすぐ浮かぶだろうか。それとも、ある人はファッションブランドのロゴ(例えば、LV=ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルマーク)を思い浮かべるだろうか。
それだけLogoというものは、企業やブランドにとって切っても切り離せないモノとなっている。
私が数年前、ブランド戦略構築現場にいた頃から、この社会や消費者にダイレクトに繋がる意匠に対して大変興味を持って、ビジネス視線で考察していた。
しかし最近、企業の商品やサービスに関して、ここのブランド・ロゴだから大丈夫であるなどの信頼性を消費者などに植え付けるはずのLogoが、少し安易に扱われ始めているのではないかと危惧している。
そんな危機感の中、面白い記事をWeb上で発見した。
それは、“45 Rules for Creating a Great Logo Design”というモノ。ここには、簡潔ではあるが、大変重要なことが表現されている。例えば、「3つ以上の色を使わない」、「可能ならロゴを正方形に収める」、「ロゴには視認性がなければならない」、「地球をシンボルに使わない」などなど、Logoをクリエイトする人々にとっては基本中の基本の事柄が列挙されている。
だが、私はこの基本が守られていない企業(ブランド)ロゴをよく見かけるようになった。
皆さんもご存じのドコモ。この企業のロゴマークが一新されたことに気付いてらっしゃいますよね。

3つ以上の色を使わない、というのは時代の変化の中で重要である。今回のリニューアルで、赤色単色にしたところは、ビジネスに対する情熱、未来への先進性を強く表現できていて良いと思います。しかし、これは日本の企業に大変多いのですが、どうもロゴが横に長すぎる。これは、45の法則の中でも述べられている、可能ならLogoを正方形に収めるということに反してます。Logoって言うのは、縦書きにする場合も多いので、その際どんなに頑張っても視認性が劣ります。これでは、せっかくのロゴ・リニューアルも台無しって感じでしょうか。
私が好きな企業(ブランド)ロゴは、以下のミニマルではあるが、主張していて、世界中の誰もがすぐに認識できるTypeでしょうか。





上記の企業って、それぞれ自身の市場でユニークなポジションを構築し、消費者に対して分かり易いメッセージを発し、何か驚きのある商品やサービスを提供し続けていると思いませんか?やはり、こういう企業はロゴ創造にもちゃんと向き合ってますよね。
これを見ると、もう少し日本の企業はオリジナルなロゴ構築=ブランド価値構築を、真剣に再考すべき時なのかもしれません。
少し辛辣に日本企業について評しましたが、日本でもロゴ構築について真摯に取り組んでいる組織もある。それは、国立新美術館。私はここのLogoの先進性、斬新さに、初めて見たとき驚きを覚えた。本当にオリジナル性に富んでいる。このロゴを作ったのは、現在デザイン界の寵児とも言われている佐藤可士和だ。彼は、Logoに使われているフォントも一から創造し、このどこにも存在しない、世界に1つだけのLogoを作り上げた。このような困難なクリエイティブ作業を行いながら、先に述べた45の法則の大部分を満たしていることにまた驚き、日本でもまだまだ素晴らしい発想を含有したLogoを構築できることに感心した。
2008年は「デザイン」や「クリエイティブ」という言葉が、雑誌、書籍、メディア、ビジネス現場で数多く見聞きした。今日のLogoの話しもそうだが、まだまだ日本のデザイン力はアメリカや欧州と比較すると優位性を持っているとは言えない。“Made in Japan”といえば、高品質やリーズナブルということがグローバル市場では常識となっている。そこに、クリエイティブ力やデザイン力に繋がるフレーズが続いて欲しい。そのためには、もっともっとクリエイティブの現場の人々が世界進出を果たすべきであろう。私も2009年のKeywordを“Architecture”を掲げた者として、来年は世界へ向けてその軸足を移していけるように一層精進したい。
こんな日には、私のビジネス的専門領域の1つであるブランド(企業)ロゴのお話でもしてみましょうか。
皆さんは、Logoと聞いてすぐに何を思い出すでしょう。ある人は企業ロゴ(例えば、ソニーとかアップル)が頭にすぐ浮かぶだろうか。それとも、ある人はファッションブランドのロゴ(例えば、LV=ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルマーク)を思い浮かべるだろうか。
それだけLogoというものは、企業やブランドにとって切っても切り離せないモノとなっている。
私が数年前、ブランド戦略構築現場にいた頃から、この社会や消費者にダイレクトに繋がる意匠に対して大変興味を持って、ビジネス視線で考察していた。
しかし最近、企業の商品やサービスに関して、ここのブランド・ロゴだから大丈夫であるなどの信頼性を消費者などに植え付けるはずのLogoが、少し安易に扱われ始めているのではないかと危惧している。
そんな危機感の中、面白い記事をWeb上で発見した。
それは、“45 Rules for Creating a Great Logo Design”というモノ。ここには、簡潔ではあるが、大変重要なことが表現されている。例えば、「3つ以上の色を使わない」、「可能ならロゴを正方形に収める」、「ロゴには視認性がなければならない」、「地球をシンボルに使わない」などなど、Logoをクリエイトする人々にとっては基本中の基本の事柄が列挙されている。
だが、私はこの基本が守られていない企業(ブランド)ロゴをよく見かけるようになった。
皆さんもご存じのドコモ。この企業のロゴマークが一新されたことに気付いてらっしゃいますよね。

3つ以上の色を使わない、というのは時代の変化の中で重要である。今回のリニューアルで、赤色単色にしたところは、ビジネスに対する情熱、未来への先進性を強く表現できていて良いと思います。しかし、これは日本の企業に大変多いのですが、どうもロゴが横に長すぎる。これは、45の法則の中でも述べられている、可能ならLogoを正方形に収めるということに反してます。Logoって言うのは、縦書きにする場合も多いので、その際どんなに頑張っても視認性が劣ります。これでは、せっかくのロゴ・リニューアルも台無しって感じでしょうか。
私が好きな企業(ブランド)ロゴは、以下のミニマルではあるが、主張していて、世界中の誰もがすぐに認識できるTypeでしょうか。





上記の企業って、それぞれ自身の市場でユニークなポジションを構築し、消費者に対して分かり易いメッセージを発し、何か驚きのある商品やサービスを提供し続けていると思いませんか?やはり、こういう企業はロゴ創造にもちゃんと向き合ってますよね。
これを見ると、もう少し日本の企業はオリジナルなロゴ構築=ブランド価値構築を、真剣に再考すべき時なのかもしれません。
少し辛辣に日本企業について評しましたが、日本でもロゴ構築について真摯に取り組んでいる組織もある。それは、国立新美術館。私はここのLogoの先進性、斬新さに、初めて見たとき驚きを覚えた。本当にオリジナル性に富んでいる。このロゴを作ったのは、現在デザイン界の寵児とも言われている佐藤可士和だ。彼は、Logoに使われているフォントも一から創造し、このどこにも存在しない、世界に1つだけのLogoを作り上げた。このような困難なクリエイティブ作業を行いながら、先に述べた45の法則の大部分を満たしていることにまた驚き、日本でもまだまだ素晴らしい発想を含有したLogoを構築できることに感心した。
2008年は「デザイン」や「クリエイティブ」という言葉が、雑誌、書籍、メディア、ビジネス現場で数多く見聞きした。今日のLogoの話しもそうだが、まだまだ日本のデザイン力はアメリカや欧州と比較すると優位性を持っているとは言えない。“Made in Japan”といえば、高品質やリーズナブルということがグローバル市場では常識となっている。そこに、クリエイティブ力やデザイン力に繋がるフレーズが続いて欲しい。そのためには、もっともっとクリエイティブの現場の人々が世界進出を果たすべきであろう。私も2009年のKeywordを“Architecture”を掲げた者として、来年は世界へ向けてその軸足を移していけるように一層精進したい。
Monday, December 08, 2008
黒の誘惑
このBlogでも取り上げたことのある、COMME des GARÇONSがまた新たな挑戦を使用としている。
今年は、LOUIS VUITTONやH&Mと組んで、新たなクリエイションの地平を切り開いた。
そして来年1月からは、"Black COMME des GARÇONS"という新たな期間限定ショップを構築し、消費者と市場に今までとは違うShop形態とクリエイティブを伝えていく。

COMME des GARÇONSの創造者・川久保玲はかつて、「未来へのかたち。未来と根源の調和。相反するものから生まれる力、創造。完成されていない荒削りなもののみが放つ強さ」ということを市場に訴えかけた。
今回の試みも、「黒」というカラーへの拘りと、その魅力をいかに伝えていくかに成功の鍵はあるだろう。しかし、必ずや「少年のような」気持ちを持ったクリエイター達は、未完の荒削りの思考で、世界的景気衰退の市場に風穴を開けてくれることであろう。
今年は、LOUIS VUITTONやH&Mと組んで、新たなクリエイションの地平を切り開いた。
そして来年1月からは、"Black COMME des GARÇONS"という新たな期間限定ショップを構築し、消費者と市場に今までとは違うShop形態とクリエイティブを伝えていく。

COMME des GARÇONSの創造者・川久保玲はかつて、「未来へのかたち。未来と根源の調和。相反するものから生まれる力、創造。完成されていない荒削りなもののみが放つ強さ」ということを市場に訴えかけた。
今回の試みも、「黒」というカラーへの拘りと、その魅力をいかに伝えていくかに成功の鍵はあるだろう。しかし、必ずや「少年のような」気持ちを持ったクリエイター達は、未完の荒削りの思考で、世界的景気衰退の市場に風穴を開けてくれることであろう。
Monday, March 31, 2008
brand論再考: セミナー、ブランド進化、そしてコムデギャルソン

今回のテーマは、"brand論再考"としてみた。以前このブログで、ブランドに関しては結構詳しく述べたつもりでいるので、今回は最近私が出席したブランド戦略セミナー、そしてComme des Garçonsから届いたフライヤーを題材にブランド進化について論じてみたい。
先々週になるが、大阪で開催されたブランド戦略セミナーに参加した。このセミナー、毎年1回イングランドのブランドコンサル企業が主催して行われるものだ。
今回のセミナーで興味を持ったのは、企業ブランド進化の過程を、あの「種の起源」を著したチャールズ・ダーウィンの進化論にシンクロさせて議論をしていた部分。
ダーウィンは進化論の中で、動・植物の進化の過程には時間軸に沿って大進化と小進化があり、その進化速度や進化度合は種によってまちまちであるが、ゴールはその種が環境の変化などに適応した形で継続的に生存できるかどうかが重要としている。確かに企業も同じで、持続的な企業成長を目指すのであれば、企業進化とブランドの確立ということが大変重要なファクターとなってくる。
企業ブランドの確立というものには、顧客(一般消費者)、社会、株主、そこで働く社員など、一般的にステークホルダーといわれる存在が大変大きな影響力を与えるため、単純に動・植物の進化と、企業ブランドの進化を同列に並べて議論するのは無理があると思われるかもしれない。しかし、今回のセミナーでの論点は、そのような外的要因を全て取り去った形での「進化」というファクターに視点を置いて考えた部分に、面白さを感じた訳。
こんなことをセミナー後も、私の頭の中で考えを巡らせていた時、ギャルソンから最近私の手元に届いたフライヤーのことを思い出した。
コム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons 、日本語で、「少年のように」の意味)は日本のファッションデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。
ギャルソンは約40年間、上で述べたようなブランド進化を時には大きく、時には小さく、その時代時代に合わせて成し遂げてきたのではないだろうか。

そんなギャルソンの広報活動が最近過激に攻撃的で、Hip(かっこいい)だ。新たなブランド進化を、世界に向けて宣言しているかのようでもある。

フライヤーの写真を見てもらっても分かるように、この度肝を抜かれる前代未聞の演出にFashionを生業にすることへの凄みを感じた。私が親しくさせてもらっている、「百花堂」のクリエイティブ・ディレクターの方にも、物づくりに対する同様の凄みを感じる。

いずれにしても、送られてきたフライヤーはアート作品としても大変素晴らしい。本当に、アート写真集を見ている感じで魅了された。

このフライヤーを眺めていると、ArtistのチョイスにもComme des Garçonsの世界が明確に現れている。
しかし、そんなArtistそのものに看板を預けたりはしない。ArtistをComme des Garçonsカラーに仕立て上げてこそComme des Garçonsたる所以なのである。

優れたクリエイティブの分業がリンクし、融合されて初めてComme des Garçonsになるのである。
ここが世界に類を見ないComme des Garçonsというブランドの価値なのではないだろうか。

今更でもないが、現代美術をFashion=流行に取り込んでしまう手法こそ、Fashionそのものでもあるといえる。しかし、これも先頭を走っているポジショニングにあるブランドでなければ相当陳腐に陥ってしまう。そのギリギリなエッジの所を保持するための日々の鍛錬が、なかなか他者には真似のできない部分であろう。時代にあがなう過激さを失って、物づくりに固執するのではもうそれはFashion=流行とは呼べないのではないだろうか。

今回のセミナーやComme des Garçonsの試みを見ていて感じるのは、"brand"維持および向上への飽くなき挑戦である。"brand"とは、企業であれ、モノであれ、その価値を維持し続けるには相応の覚悟=準備が必要で、戦略や戦術も重要だが、最終的にはそのブランドが持つ力を命がけの跳躍で、どこまでその価値をストレッチできるかどうかにかかっているのではないか、ということを再認識させられた。
Sunday, October 22, 2006
BRANDは細部に宿る
ここ数週間は仕事も含めて大変多忙な日を過ごしていたため、ブログ更新が疎かになってしまいました。
本日からまた再開、といった感じでしょうか。
今回は、私が長年仕事として関わってきた「ブランド」について書いてみたいと思います。

先日久々にセミナーに参加した。テーマは、「ブランド戦略セミナー:2006ベストグローバルブランドランキングから見るブランド価値向上のポイント」というものであった。このランキングは、毎年ブランドコンサルティングファームとして名高いInterbrand社と米誌Business Weekが共同で発表するもので、毎年私はこのランキングを大変興味深く見守っている。
このセミナーの中で、私は世界的に躍進する企業のブランド構築への執念、その企業で働く人々のモチベーションの高さなど、グローバルブランドとして世界が認める企業の懐の広さをあらためて感じ、よりブランドという一見抽象的な事象に対してもっと深い洞察力で向き合っていかねばならないと、気持ちを強くした。
"Brand"と聞いて皆さんは何を連想するであろう。
服、ジュエリー、車、時計、それとも。。。。
"Brand"というものは、企業名であったり、商品名であったり、と様々に形態を変えて、我々消費者の前に姿を現す。その姿の表し方は、インターネットを通じて、TVなどのマスメディアを通じて、口コミであったりと、様々である。
伝え方=コミュニケーションは多岐に渡る手法が考えられる中で、この難解な"Brand"力や価値を付けるために日本企業は努力を積み重ねてきた。しかし、今回のランキングを見ても分かることだが、上位に食い込んでいる企業や商品名は、Coca-Cola、IBM、Disneyなど殆どがアメリカ系企業である。この現状を目の当たりにすると、アメリカ系企業の"Brand"価値向上に向けた長年の経験蓄積に圧倒的な強さを感じると同時に、日本企業がここ数年で声高に言い出した「ブランディング」の底の浅さが見える感じがする。
マネジメントの世界から言うと"Brand"というものは最上流の代物であり、それを作り上げていくと言うことは大変骨が折れ、地道な努力を必要とする。このように重要なことだからこそ、もっと軽妙な語り口で"Brand"を語っていかなければならず、軽妙な語り口を持っている"Brand"こそ真の"Brand"と言えないだろうか。
ユダヤ人の政治学者ハンナ・アーレントが「イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」(みすず書房)という著作の中で、アドルフ・オットー・アイヒマン(この人物なしに、ナチスのホロコーストはなかったと評されている)がイスラエル政府に裁かれる過程を中心に、この歴史上稀に見る大量虐殺の真実を、大変重要な事象だからこそ、皮肉を込めた軽妙な語り口で表現することを実践している。
この実践は、"Brand"を語ることにも、この精神を私は忘れるべきではないと考える。
"Brand"というのは、商品でも、企業でも、地名でも、大学でも、宗教でも、ある言葉が存在したときにその言葉が呼び覚ますイメージがあって、それが社会に伝播している、知られているという状態を言うのである。"Brand"は様々な所(現在では、パーソナルブランディングもある)に存在する=「"Brand"は細部に宿る」からこそ、もっと分かり易い言葉で、この難物を表現していくことに私は楽しさを覚えるのだ。
本日からまた再開、といった感じでしょうか。
今回は、私が長年仕事として関わってきた「ブランド」について書いてみたいと思います。

先日久々にセミナーに参加した。テーマは、「ブランド戦略セミナー:2006ベストグローバルブランドランキングから見るブランド価値向上のポイント」というものであった。このランキングは、毎年ブランドコンサルティングファームとして名高いInterbrand社と米誌Business Weekが共同で発表するもので、毎年私はこのランキングを大変興味深く見守っている。
このセミナーの中で、私は世界的に躍進する企業のブランド構築への執念、その企業で働く人々のモチベーションの高さなど、グローバルブランドとして世界が認める企業の懐の広さをあらためて感じ、よりブランドという一見抽象的な事象に対してもっと深い洞察力で向き合っていかねばならないと、気持ちを強くした。
"Brand"と聞いて皆さんは何を連想するであろう。
服、ジュエリー、車、時計、それとも。。。。
"Brand"というものは、企業名であったり、商品名であったり、と様々に形態を変えて、我々消費者の前に姿を現す。その姿の表し方は、インターネットを通じて、TVなどのマスメディアを通じて、口コミであったりと、様々である。
伝え方=コミュニケーションは多岐に渡る手法が考えられる中で、この難解な"Brand"力や価値を付けるために日本企業は努力を積み重ねてきた。しかし、今回のランキングを見ても分かることだが、上位に食い込んでいる企業や商品名は、Coca-Cola、IBM、Disneyなど殆どがアメリカ系企業である。この現状を目の当たりにすると、アメリカ系企業の"Brand"価値向上に向けた長年の経験蓄積に圧倒的な強さを感じると同時に、日本企業がここ数年で声高に言い出した「ブランディング」の底の浅さが見える感じがする。
マネジメントの世界から言うと"Brand"というものは最上流の代物であり、それを作り上げていくと言うことは大変骨が折れ、地道な努力を必要とする。このように重要なことだからこそ、もっと軽妙な語り口で"Brand"を語っていかなければならず、軽妙な語り口を持っている"Brand"こそ真の"Brand"と言えないだろうか。
ユダヤ人の政治学者ハンナ・アーレントが「イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」(みすず書房)という著作の中で、アドルフ・オットー・アイヒマン(この人物なしに、ナチスのホロコーストはなかったと評されている)がイスラエル政府に裁かれる過程を中心に、この歴史上稀に見る大量虐殺の真実を、大変重要な事象だからこそ、皮肉を込めた軽妙な語り口で表現することを実践している。
この実践は、"Brand"を語ることにも、この精神を私は忘れるべきではないと考える。
"Brand"というのは、商品でも、企業でも、地名でも、大学でも、宗教でも、ある言葉が存在したときにその言葉が呼び覚ますイメージがあって、それが社会に伝播している、知られているという状態を言うのである。"Brand"は様々な所(現在では、パーソナルブランディングもある)に存在する=「"Brand"は細部に宿る」からこそ、もっと分かり易い言葉で、この難物を表現していくことに私は楽しさを覚えるのだ。
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