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Saturday, December 20, 2008

ミクロ視点としてのCreative

昨日は2009年のキー・コンセプトに関して、このblogで述べた。
2009年のキー・コンセプトは「Architecture」とした訳だが、それに連なるサブ・コンセプトに関しても実は議論していた。

「Architecture」は社会デザインをするなどマクロ的視線であるが、マクロ的思考を成立させるためにはミクロ的な視線も大事になってくる。では、新たなモノを構築していくことのエッセンスとなってくるのは何か?
やはり、それはここ数年様々な場で話題となっている「CreativeまたはCreativity」ではないだろうか。

今年5月に世界的建築家・隈研吾氏の講演を拝聴し、よりCreativeという言葉の重要性を実感した。
講演タイトルは、「負ける建築の思想と実践」。「受動性=負け」と定義付けた隈氏の建築理論を、建築フィールドにいない我々に対しても、彼自身のケーススタディ(現在進行形の建築物など)を元に、噛み砕いてレクチャーしてくれた。隈研吾という一人の建築家が、プロジェクトの大小に関わらず、予算、建築条件をまずは受け入れて、街並みや歴史に敬意を払いながら、その土地や人々との対話をして、思考を巡らせる。これこそ、負ける建築のエッセンス。

また、彼はNYにあるRockefeller Centerに代表される20世紀型商業主義的ポストモダン建築=マッチョ思想ではなく、現在のように文明が成熟した時代には時の移り変わりに対する繊細な感受性を重視する建築こそ21世紀型だと主張する。Super Parts=超部分を大切にした建築物を、彼は関西エリアで今年も新たに構築した。
それが朝日放送新社屋である。この建造物は隈氏の説明によると、過去の作品の集大成=負ける建築の実践となっているようだ。この建造物は、アジア的穴(西欧的オブジェと対比される)の思想、縁側的なるモノ、そして自然素材をふんだんに散りばめた構造物として、今後大阪の21世紀型建築の代表的存在となるであろう。


彼の思考のエッセンスを聴いたり、読んだりしていて、Creativity=創造性というモノは、経験に基づいて何かを生み出そうとする力が働くため、過去を超えようとする意志の産物であることが理解できる。


その産物を創り出すには、
1)まずは新鮮なナマの情報をキャッチすること → そのためには、目の前の現実を自らの五感で感じ取り、咀嚼することが、Creativityの原点になるであろう。この原点を経て、未知なるモノに遭遇した時の驚きを、いかに表現するかに真価が問われるのだ
2)次に、対話を重視すること → 自分の発想を形にし、それを他者と共有する才能=Communication能力を磨くこと。たとえ他者から否定されようと、粘り強く対話を重ね、相手の本音を引き出す。
これらのプロセスが必要となる。

昨日も述べた建築的思考に、この創造的プロセスを加味することで、2009年のコンセプトは完成を見る。

Monday, May 05, 2008

4月の断片(その4):Designの終焉!?

黄金週間も後残すとこ1日になりましたね。



私は昨日(5月4日)には、建築家・隈研吾氏の「負ける建築の思想と実践」という講演を聴いたりして、クリエイティブ思考を活性化させる動きを休みの間も継続しております。

さて、このblogでもクリエイティブな事象に関して数多く触れてきました。
4月の始めに私の耳に入ってきたショックな事柄は、私が今までリスペクトしていた1人で、建築、インテリア、プロダクトなどの総合的クリエイターが引退するというものであった。
そのクリエイターとは、フィリップ・スタルクその人である。


私はこのニュースを聞いたとき、デザイン氾濫時代の終焉を予感した。スタルク自身のデザインは、建築物からステーショナリーまで、この世に存在するデザインできるモノ全てに彼の視線は降り注がれているように思えた。私自身も、彼がデザインしたEyewearやステーショナリーなどを幾つか愛用している。
世界をデザインするかのように活発に活動していたその彼が、2年以内にクリエイティブな現場をリタイアすると、3月27日付けの独週刊紙「ツァイト(Die Zeit)」のインタビューで表明したのだ。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2370831/2782336

デザインの仕事に嫌気が差したスタルクは、「私がデザインしたもの全ては不必要だった。2年以内には確実にリタイアし、何か他のことをやりたい。まだそれが何かはわからないけど。自分を表現する別の手段を見つけたい。デザインとは、忌むべき表現形式だ」とコメントした。
また、「今後デザイナーはいなくなるだろう。将来のデザイナーは、パーソナルコーチや、ジムのトレーナー、ダイエットコンサルタントになるんだよ」とも述べている。
スタルクが語っている、「パーソナルコーチや、ジムのトレーナー・・・」のテキストを読むと、彼の興味が身体的な問題を解決するスキルに焦点が当てられていると推測できる。つまり、彼の関心事は脳的な部分から肉体的部分へと移行しているかのようだ。

デザインとかクリエイティブ・コミュニケーションは、プロダクトなどのモノや仕組みを介して広く、時間軸や空間軸を軽やかに超克して、不特定の誰かにコミットする喜びがある。しかし反面、モノや仕組みを介して、間接的にしかコミットできないという限定性も存在する。
世界視線を持ったクリエイティブスターであるフィリップ・スタルクには、この限界部分が誰よりも明確に彼自身の視線の彼方に見えているのかもしれない。
いかにデザインが間接的で、そのコミュニケーションに限界があったとしても、スタルクのような人物にはもう少しクリエイティブな現場に立ち止まっていて欲しい。