Friday, February 13, 2009

建築の意志を感じた日

私は今年、建築的思考を今年は大事にしていきたいと、このblogで昨年末語った
今週、その建築的思考、いや建築の意志を体感する出来事が私に2つ起こった。

1つは、現在TOTOテクニカルセンター大阪で開催されている「安藤忠雄建築展 挑戦-原点から-」へ足を運び、安藤氏がこれまでその幾何学的手法で構築してきた数々の建造物を体感できたことである。


特に、今回私の思考を刺激したのは、安藤氏の実質的デビュー作である「住吉の長屋」、「光の教会」、「六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ」などから、現在進行形のイタリア・ベニスのピンタ・デラ・ドガーナ再生計画などの海外プロジェクトにおける実際のモックアップ(=模型)や設計図をライブで眼にできたこと。

光の教会

六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

コンクリートや木材で形作られた精緻なモックアップを見ていると、建築家・安藤忠雄の建築を通じて何を表現したいかという想い=建築の意志が、ダイレクトに私に伝わってきた。

2つ目の事象は、ちょっと私の気持を消沈させるモノであった。
それは、私が最も敬愛する建築家・レム・コールハースと彼が主宰する建築集団・OMAがここ数年関わってきた国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋の付属高層ビルが、下らない違法な花火で一部が焼失したというのだ。



OMAが構築した完成予想図:この図の向かって左側の建築物が焼失

建築とは、歴史を「空間化」する技法である。それは歴史に対し、アーバンだったりドメスティックだったり、公的だったり私的だったりする可視的な形態を与える。それはまた進行しつつある創造行為でもあって、未だ見えざる力や名付けられたリアリティと結びついていると、私は考える。
その完成間近な創造的リアリティを、情けない行為によって破壊されてしまうことに、レム・コールハースは今何を考えるのか。
彼はその最新著書「コールハースは語る」(筑摩書房)の中でも、国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋プロジェクトに対して熱く語っていたことからも、相当落胆しているのではないかと思う。


建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的モニュメントや都市計画(今回の国営中国中央テレビ局(CCTV)新社屋を含む)に至るまで政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。言い換えれば、認識的領域、道徳的、美的、法的、政治的、経済的な諸領域が錯綜した中に建築の意志が生きているという意味。
もちろん形あるモノは永遠ではないが、今回のような些末なことで未完成なクリエイティブ=建築の意志が失われることに、私は怒りを覚えることを表明しておきたい。

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