Thursday, October 30, 2008

読書習慣(週間)に想うバランスの良い本選びとは?

巷では、読書週間なるものが始まったと耳にするようになった。しかし私は考える、読書週間なるものを喧伝しなければならないくらい、日本人の活字離れは酷いのかと。
私なんかは、読書週間などではなく、読書は習慣となっているから。

まっ、そんな戯言はさておいて、本日私がこのblogで皆さんに問いかけてみたいのは、日頃書籍の選択とバランスってことを考えたことはありますか?ということである。
私は昔に比べると、amazonなどのバーチャル書店ができてからというもの、リアルな書店へ足を運ぶ回数が減ってきている。しかし、今でも考えやアイデアが煮詰まった時、単に時間潰しの時など、自分が抱えている疑問や課題に対して何か答えてくれそうな予感がして、リアルな書店に立ち寄ってしまう。
そこで今回の問いかけである、本選びのバランス感覚ということになる。

リアル書店で私がレジ前で並んでいると、様々な人が書籍や雑誌を抱えていて、その風景を見ているとその人たちの読書に対する偏りが手に取るように分かる。例えば、恋愛小説と占い本を持ってる女子校生、コンピュター言語の書籍ばかりを抱えている青白い顔をした中年などなど。この女子校生は恋愛している最中または失恋したばかりか、隣の中年はSEのプロジェクトリーダーとして経験を積み重ねているが睡眠不足中か、と私は頭の中で勝手に分析してしまう。かくいう私も高校生の時、ニューアカデミズム旋風の中、海外・日本の当時最先端といわれていた思想・哲学書のみを買い漁り、自分は哲学系少年といわんばかりの本選びに自己満足に陥っていた時代も想い出される。

その時代を経て私は、アメリカ時代の教授陣が提示するReading Listや、書店での教授達の書籍の買い方を見て、書籍選びのバランス感覚に目から鱗であった。上で述べたような誰でも想像できる書籍選択ではなく、レム・コールハースの「S,M,L,XL」、週刊プレーボーイ、そして杉本博司の写真集を小脇に抱えてみるとか。それによって、この人は誰なんだ?職業は?と分析不能状態に他者が陥る。これこそが、バランスの良い本選びの感覚。

ここで、極私的書籍選択バランス例を写メって見ました。これらのキモを、皆さんも読み解いてみてください。

1)Art+マンガ+陶芸+書+ファッション+Music+論理的思考・・・・=?


2)建築+音楽+経済+野生の思考+異文化ダイアローグ・・・・=?


さて、皆さんのバランス感覚を効かせた本選びも教えてくださいね。

PS:The Photo of Today's My Niece

Tuesday, October 28, 2008

ハロー、21世紀の赤ちゃん!!


今朝午前9時56分に、弟夫婦に女の赤ちゃんが誕生した。
3,140g、48cmという小さな生命がこの世に生を受けた。
Congratulations, My younger brother!!
高度に洗練された世界システムが、経済面の脆弱さをさらけ出し始めた21世紀初頭の本日、その生を受けた彼女が、今後皆から愛され、凜とした美しさを持って、常に新たな自己革新を遂げながら、力強く生きていって欲しいと祈らずにはいられない。(Hope from your uncle)

それにしてもCute過ぎる。

Friday, October 24, 2008

現代金融システム崩壊を予見していた男のNobel Prize

今年のノーベル賞は、日本人が4人も受賞したことにより一躍注目を集めている。
私個人としては、村上春樹のノーベル文学賞受賞がまた先延ばしになったことで、少しがっかりしているが。

今回のノーベル賞の中で、私が一番興味を持ったのがノーベル経済学賞。
経済学賞を受賞したのは、Dr. Paul Krugman


私はアメリカ滞在時から、彼の言説には興味を持って耳を傾けていた。
それは何故か。彼は今回現実のものとなって世界を震撼させている、世界同時的金融システム崩壊を、随分前から予見していたのだから。
以前私はこのブログで、シナリオ・プランニングの重要性や明日を読む力の効用について書いた。やはりこれらのスキルをいかに自分なりに昇華させて、身に付けていくかが、今後のUncertain Worldをサバイブできるかどうかにかかっているということに確信を持った数週間でした。


Dr. Krugmanも彼ならではの明日を読み解く力を蓄積させ、ノーベル賞受賞後の世界に対してもアクティブな提言を続けていってほしいものだ。
彼の思考の一端に触れたい人は、彼のブログがお薦めです。

Dr. Krugman's blog: The Conscience of a Liberal

Wednesday, October 01, 2008

ある決断

今日から10月。
昨日私は1つの決断を下した。
その内容は置いておくとして、私はここ数年、自分の周りで起こった事象を眺めながら、「引き際」ということに関して思考してきた。


そして、その思考速度を加速させたのが、先日の小泉純一郎元首相の突如の議員引退である。これに関しては、政治的思惑の産物とか、世襲制の罪悪、などなど否定的な見解がメディア上では議論されている。しかし、小泉元首相当人は60代前半で、それもまだまだ国民的人気が存在する中での引退。彼自身よく、「引き際は美しく」を言葉にしていた。様々な政治家を過去を振り返ってみると、80代後半までその地位に拘泥したりと、引き際が潔く感じた人が余りいなかったことを考えれば、またしても、彼はメディアを上手く利用して、自身の出処進退を美しく見せてしまったのかもしれない。
それよりも前に生じた、福田前首相の辞め方、またそれよりも前の安倍元首相の辞め方などを見ていると、いかに小泉氏の引き際が電光石火で、国民のサプライズを生んだかの観点から見ても、比較するまでもない。
このように、人それぞれの"Late Style"は存在するのだろうが、私自身もその引き際に昨日ある決断を下したということである。