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Thursday, August 07, 2008

Web Designの美しさ

私はWeb Siteの色や動きなどのデザインに関しては素人である。
その素人の目から見ても、美しいと感じるWebというものがこの世には存在する。
それが、「FONTPARK 2.0 | MORISAWA」のサイトである。
このサイトはWeb Design業界の第一人者・中村勇吾氏(以下敬称略)が代表のtha ltdが手がけたモノである。私はこの中村勇吾なる人物を当初、私の友人である敏腕Web Producer:Mr. BYに教えてもらうまで知らなかった。中村勇吾は今年4月に放送された「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも取り上げられ、彼のデジタルな匠の世界を垣間見ることができた。

その彼が構築した今回ご紹介するモリサワのサイトは先にも述べたように、素人の私から見ても美しく、楽しい。このサイトでは、モリサワフォントで作られた平仮名を組み合わせてイラストを作成する事ができる。歌舞伎役者の顔、平安時代の女性の顔、などが、モリサワフォントで創造されていく。その動き、ミニマルな表現方法、どれをとっても秀逸なんじゃないかな。


ずっとWebというものに無機質な感覚を持っている私から見ても、今回の中村が作り上げたサイトは、私がWebに持つ感覚に対する発想転換が図られているように感じる。まさに、現時点でのInteractive的究極形かもしれない。私自身、このサイトでいかにスタイリッシュな絵が描けるか思案中だ。

その中村勇吾のデザイン思考を実際に体験できる企画展が始まることが私のアンテナに飛び込んできた。


大阪と今日で同時開催される「NOW UPDATING… THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン<2008年8月5日(火)~8月28日(木)>」という企画展である。この企画展は、関西では大阪のdddギャラリー、関東は銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリーで行われるようだ。

さあ、私もScheduleの空きを見つけ、出かけてみよう。

Tuesday, January 29, 2008

ふと考えた、世界認識の仕方

このブログでもよく触れている、クリエイティブ領域の人々との交流が今年になっても続いている。

先日も、漫画家を目指しながら、有名な漫画家先生のチーフアシスタントをやっている人と食事をした。その人と対話していて、「この人は、おそらく私の世界認識とは全く別物の認識の仕方をしているに違いない」ということを私は会話の端々から感じ取った。
今まで出会ってきたクリエイティブを生業にしている人達もまた、街中にに溢れるグラフィックやデザインの中で、明らかに「INなもの」と「OUTなもの」とを見分けているのだろう。いや、どんな平凡な風景だろうと、そこにある色彩や明暗、形状、などを、私とは全く違う見方で捉えていて、何かをそこから感じているんだろう、と思った。例えばだが、トマトを見たときに、私としては言葉としての「トマト」以外に感じることはないのだが、クリエイティブ領域の人々は「圧倒的な赤褐色」や「生命感あふれる質感」をビビッドに感じるのではないだろうか。

例えば、今年1月2日にNHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロー・スペシャル」を見て、イチロー自身の口から発せられる言葉を聞いていると、彼にしか見えていない空間があるように感じた。



また随分前に、吉本隆明「世界認識の方法」を読んでいて感じたのも、人は他者によって作られた自分に責任を負わなければならない→他者の視点→世界視線を持って、臨むことこそがクリエイティブな領域に踏み込んでいくことなのだろうと、ぼんやりとではあるが認識したものだ。



このように考えて来ると、世界を認識する方法・仕方は、実は私自身が思っているよりもバリエーション豊かなのかもしれない。
例えば、
● クルト・ゲーデルのように数字で世界を認識する数学者や物理学者 
● ジョン・ケージのように音楽で世界を認識する作曲家や声楽家
● 北大路魯山人のように匂いや味で世界を認識する料理人やソムリエ
● イチローのように運動で世界を認識するアスリート
● ジョージ・ソロスのようにお金で世界を認識する金融家
のような感じで。

どんな領域であっても最先端トップランナーとして走っている人間は、よりそれを先鋭的に感じているのではないだろうか?
私自身は、ファッション、アート、音楽、映画、書籍などに対してアンテナをいつも高く上げて、少しでも自分と違ったフィールドの感度を活性化させようと努力はしているんですがね。しかし、世界をバリエーション豊かな認識力で捉えている人たちにとってみれば、独自の世界認識の方法こそが生きる意味であり、世界そのものである、というようなこともあるのだろう。だから、なかなか私自身その壁を乗り越えるというのは容易なことではないと考えている。でも、その障壁が高ければ高いほど、チャレンジのし甲斐はあるんだけどね。

いずれにしても、この世界には本当に多種多様なキャリアがあり、それぞれのキャリアに特有の「認識の作法」というものがある。今後もそういった人々とのコミュニケーションを重ねていくことで、世界を豊かに認識し直すことになるのではないか、と期待している。