Monday, March 31, 2008

brand論再考: セミナー、ブランド進化、そしてコムデギャルソン



今回のテーマは、"brand論再考"としてみた。以前このブログで、ブランドに関しては結構詳しく述べたつもりでいるので、今回は最近私が出席したブランド戦略セミナー、そしてComme des Garçonsから届いたフライヤーを題材にブランド進化について論じてみたい。

先々週になるが、大阪で開催されたブランド戦略セミナーに参加した。このセミナー、毎年1回イングランドのブランドコンサル企業が主催して行われるものだ。
今回のセミナーで興味を持ったのは、企業ブランド進化の過程を、あの「種の起源」を著したチャールズ・ダーウィンの進化論にシンクロさせて議論をしていた部分。
ダーウィンは進化論の中で、動・植物の進化の過程には時間軸に沿って大進化と小進化があり、その進化速度や進化度合は種によってまちまちであるが、ゴールはその種が環境の変化などに適応した形で継続的に生存できるかどうかが重要としている。確かに企業も同じで、持続的な企業成長を目指すのであれば、企業進化とブランドの確立ということが大変重要なファクターとなってくる。
企業ブランドの確立というものには、顧客(一般消費者)、社会、株主、そこで働く社員など、一般的にステークホルダーといわれる存在が大変大きな影響力を与えるため、単純に動・植物の進化と、企業ブランドの進化を同列に並べて議論するのは無理があると思われるかもしれない。しかし、今回のセミナーでの論点は、そのような外的要因を全て取り去った形での「進化」というファクターに視点を置いて考えた部分に、面白さを感じた訳。

こんなことをセミナー後も、私の頭の中で考えを巡らせていた時、ギャルソンから最近私の手元に届いたフライヤーのことを思い出した。
コム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons 、日本語で、「少年のように」の意味)は日本のファッションデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。
ギャルソンは約40年間、上で述べたようなブランド進化を時には大きく、時には小さく、その時代時代に合わせて成し遂げてきたのではないだろうか。



そんなギャルソンの広報活動が最近過激に攻撃的で、Hip(かっこいい)だ。新たなブランド進化を、世界に向けて宣言しているかのようでもある。



フライヤーの写真を見てもらっても分かるように、この度肝を抜かれる前代未聞の演出にFashionを生業にすることへの凄みを感じた。私が親しくさせてもらっている、「百花堂」のクリエイティブ・ディレクターの方にも、物づくりに対する同様の凄みを感じる。



いずれにしても、送られてきたフライヤーはアート作品としても大変素晴らしい。本当に、アート写真集を見ている感じで魅了された。



このフライヤーを眺めていると、ArtistのチョイスにもComme des Garçonsの世界が明確に現れている。
しかし、そんなArtistそのものに看板を預けたりはしない。ArtistをComme des Garçonsカラーに仕立て上げてこそComme des Garçonsたる所以なのである。



優れたクリエイティブの分業がリンクし、融合されて初めてComme des Garçonsになるのである。
ここが世界に類を見ないComme des Garçonsというブランドの価値なのではないだろうか。



今更でもないが、現代美術をFashion=流行に取り込んでしまう手法こそ、Fashionそのものでもあるといえる。しかし、これも先頭を走っているポジショニングにあるブランドでなければ相当陳腐に陥ってしまう。そのギリギリなエッジの所を保持するための日々の鍛錬が、なかなか他者には真似のできない部分であろう。時代にあがなう過激さを失って、物づくりに固執するのではもうそれはFashion=流行とは呼べないのではないだろうか。



今回のセミナーやComme des Garçonsの試みを見ていて感じるのは、"brand"維持および向上への飽くなき挑戦である。"brand"とは、企業であれ、モノであれ、その価値を維持し続けるには相応の覚悟=準備が必要で、戦略や戦術も重要だが、最終的にはそのブランドが持つ力を命がけの跳躍で、どこまでその価値をストレッチできるかどうかにかかっているのではないか、ということを再認識させられた。

Friday, March 07, 2008

話すことの限定性

今回のブログでは、圧縮された時間から見えてくるエッセンス、限定された時間で話すということについて書いてみたい。

私が過去属していたビジネス・ソリューションといわれる分野では、多忙な人間=社長などのトップ・マネジメントに、限られた時間内で、自分達が伝えたいことをいかに伝えるかということの試行錯誤が様々な手法(エレベーター・トークなど)を創造した。しかし、それらの手法をいかに駆使しても、あのApple 社の暫定CEO・Steave Jobsのようなプレゼンテーションの達人の領域にどうしても到達できない。何故か。勿論持って生まれたものだから仕方が無いといってしまえば、議論はそこで終わってしまう。Jobsのプレゼンスタイルを見ていると、1つひとつの新しいプロダクトやサービスに関しては、実に簡潔に、そして短時間で自分の言いたいことを述べていることが分かる。「1つのプレゼンテーション=1つのプロダクトやサービス」が複合的にリンクされることで、彼自身の1時間以上におよぶトータルプレゼンは、聞き手に優しく(シンプルに)構成されていると考えるのが妥当だ。つまり、圧縮された時間をパズルのように組み合わせて、Jobsは巧みに聴衆を自分のペースへ引き込んでいくのである。それはビジネスプレゼンに限られたことではなく、彼のスピーチにもその「話すことの限定性」から醸成される力を感じる。特に有名な彼のスピーチ:2005年サマータイムのStanford Univ.での卒業式でのものなどは世界を駆け巡った。その中でも私が好きなな一説は、"Your Time is limited, so don’t waste it living someone else’s life."(by Steve Jobs)これを簡単に訳すと、「君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない」。彼のこのような切れ味の鋭い、ポジティブな言説は、聴く者を飽きさせず、その場に一瞬の清涼感さえ漂わせる。


では時間を圧縮すると、表現したいことの核心が見えてくるのか?これに答えてくれる「場」がアメリカにはある。アメリカのカリフォルニア州モントレーで年1回、学術、エンターテイメント、デザインなど多様な分野の人物が講演を行なう会を主催しているグループ、TEDのことを皆さんはご存知だろうか?ここのウェブサイトを見て貰えば分かるのだが、各界の著名人が10分程度のプレゼンテーションで、最新の研究や究極の本質論のエッセンスを濃密な時間の中で説明するスタイルをプレゼンテーターに要求していることが分かるだろう。英語初心者で無い私でも、大変早口な英語のため、細部まで理解するのはなかなか骨が折れる。しかしスピーカーが極限の時間で説明しようと試みることから、何が大切か=スピーカーのエッセンスがストレートに聴衆の耳に入ってくる。10分という時間でどこまで説明できるか、この火事場の馬鹿力のようなトークの迫力に、私のこのブログのメインテーマ"Think-Write"の対の言葉である"Think-Talk"に相通じるコミュニケーションの持つ凄みを感じ取った。凄みと表現したが、話すことの影響力と言い換えても良いかもしれない。

私は仕事上過去から現在に至るまで、プレゼンテーション、シンポジウムや様々なビジネス・ミーティングの場に話し手としても、聞き手としても、参加することが多くある。自分の話しっぷりも含めての反省なのだが、議論などに熱中すると話が長くなる傾向にある。これでは、受け手のモチベーションもどんどん下がるし、折角意義ある議論をしていても、結局打ち合わせが終わると頭に残っていないという事態に陥る。もちろん、全てのプレゼンや、会議での話を10分で纏めるべきといっているわけではない。限定された時間の中にこそ、話し手の伝えるべき核心が網羅され、受け手に伝わり易くなるのではないかという意味。

今までの議論を踏まえて、今回紹介するNYのMoMA(現代美術館)のキュレーター・Paola AntonelliのTED Talksを聞いてみると、その核心部分が少しだけ明確になってくる。彼女はキュレーターという職業柄、現代アートという他者に伝えることが困難に思われる作品でも、短時間で簡潔に伝える術を心得ている。今回ご紹介する彼女のTED Talksでも現代アートの様々な作品を、小気味良く聴衆に伝えている。彼女のプレゼンに耳を傾けると、以前何かの本に書いてあった現代アートにおけるデザインというのは機能性(Functionality)と言霊(Message)の融合であるというセンテンスが想い起こされる。いかに難解な作品であっても、Creative(=創造的で)でRemarkable(=他者に話したくなる、話す価値がある)な作品エッセンスを言葉化することで、コンパクトで誰にでも分かり易い表現が創造される。この彼女のスタイルにこそ、様々な職種の人々が自分「ならでは」の表現を作り出す = Creativityを磨くためのヒントが多く隠されているように感じるのだ。皆さんも彼女の言葉に耳を傾けてみてはどうだろう。