Sunday, January 17, 2010

15年目の1.17に想う

15年目の1.17が訪れた。
去年私は初めてBlogに、阪神大震災への想いを記した。
昨年の今日私が記したBlogを読み返すと、西村智実が指揮する大阪フィルのNew Year Concertに行き、1995年1月17日「音が無くなった街」から2009年1月17日「音が溢れる街」へと14年間を経て辿り着いたことを、書き記している。

http://yfvelocity.blogspot.com/2009/01/requiem-kobe-from-without-sound-to-with.html

このblogを始めたのが2006年9月ということを考えれば、何故2007年、2008年の1月17日に阪神大震災の事象を書かなかったのか。それは、私が当時アメリカで暮らしていて、リアルにあの地震を体験していず、外部視線でしか書けないからか。それも1つの理由ではあるだろうが、あの当時アメリカで体感した表現できない恐怖感、不安感、絶望感が余りにも私の中で渦巻き、言葉化できなかったことが大きいだろう。

悲しみが伝わってくる、15年前のTime Magazineカバー

あの日から今日で15年経った。15年経ったからと言う訳ではないが、当時アメリカで購入し、今までずっと残していたTime Magazineを読み返してみた。そこには、世紀末的表現が溢れ、眼を背けたくなるようなPhotoの数々など、当時の惨状・人々の悲しみ・世界中の驚きが私の身体にダイレクトに流れ込んでくる。言い換えれば、阪神大震災で亡くなった方々、6,434名分の無念な想いが、テクストとして私に訴えかけてくる。

"When Kobe Died"

確かに、あの日・1995年1月17日に、神戸の街は色も失い、音も失い、笑顔も失いという感じで、一瞬街としての機能が中刷り状態となり、Time Magazineのフレーズではないが神戸は死んでしまった。そこから力強く不死鳥のように蘇り、15年経った街の風景はハード面もソフト面も含め、震災以前の活気を取り戻しているように見える。しかし1.17を分岐点として、人生が180度転回してしまった多くの人々の心的風景はあの日のまま停止してるのではないだろうか。

悲しみを共有する今日が終われば、また明日から神戸の人々は1歩1歩未来へ向けて力強く歩み始める。
そこで、最後に我が街神戸と神戸の人々へ向けたメッセージを、アインシュタインの言葉を借りて終わりたい。

"Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow." by Albert Einstein

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