Monday, April 27, 2009

意味としてのPandemic

とあるNewsでは、「とうとうやって来た」と表現した。
何がやって来たのか、それは地球規模で近い将来起こると予想されているインフルエンザの感染爆発=Pandemicである。

先週末からメキシコを中心として、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、スペインなどで、ブタを媒介としたインフルエンザが人へと感染し、また一部では人から人への限定的感染が見え始めたというのだ。

Google Mapに見るブタインフルエンザの世界的広がり

しかし、私はこのNewsを聞いて少しの疑問を感じた。
確かPandemicは、鳥インフルエンザから発生する可能性が高いという報道が大部分を占めていたはずなのに、今回の報道を聞いていると、まるでブタインフルエンザが当初から感染爆発の根源であったかのような錯覚さえ覚える。
では、なぜそのような錯覚を私は感じるのか?

H1N1 Swine Flu Virus

以前読んだスーザン・ソンタグの著書・「隠喩としての病い」の中で書かれていたことを思い出した。
ソンタグ自身が癌患者だった経験から、癌という語が悪性で解決不可能な事態を指す比喩として用いられていることが、癌患者を苦しめているという内容であった。
これを今回の事象に当て嵌めると、鳥インフルエンザという語がパンデミックという未知の病原体のもたらす死の恐怖の比喩として置き換えられてしまい、今回のブタインフルエンザなど新たな事象が生じた場合、ジャーナリズムが少なからず思考停止状態を起こしてしまっているという感じがするのだ。
鳥インフルエンザという言葉が、記号的に一人歩きし、パンデミックの本質を見誤らせてしまうという懸念が浮かび上がってくる。

文明史的視点で見ると、古代文明以来、「ハンセン病」が最も長期間記号論的に支配的な病だったと考えられる。世界宗教と呼ばれるような宗教で、例えば「ヨブ記」では明示的ではないにせよ、何らかの形で、「ハンセン病」を「罪」や「苦」の象徴として捉えている。それ以外でも、中世文学では「ペスト」が支配的な意味の源泉となっている。

私達は今回のブタインフルエンザの事象について考える必要があるのは、「意味としての病」についてである。鳥にせよブタにせよ、動物を媒介して変異するであろうインフルエンザという言葉が、身体的な病としてだけではなく、宗教的・文学的な「意味」として機能し始めていることに我々は注視すべきである。
「意味としてのPandemic」には、個人レベルでも、国家レベルでも、危うさを秘めている。

Wednesday, April 22, 2009

1つの雑誌の終焉に思うこと

今日私が手にした1つの雑誌は、30年間という歴史に幕を閉じた。
その雑誌の名前は、「広告批評」。

広告批評最終号の巻頭言では、「広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけでじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵でもあるからです。・・・・」このようなテクストで始めている。

最終号の表紙デザインは、実にミニマルにホワイト一色で、表紙のど真ん中に「30年間ありがとうございました。」と切り絵風の広告批評というタイトルだけという潔さである。まさに、立つ鳥跡を濁さずという感じだろうか。


私はこの雑誌の特集が結構好きで、書店で面白い特集が目に付くと購入し、楽しみながら触発されていた。
私自身この雑誌に思い入れがあるのは、ビジネス的にも、ブランド、クリエイティブ、デザイン、広告などのキーワードで括られる世界に属してきたことが関係しているかもしれない。

この雑誌が消滅することに意味はあるのだろうか?
今の時代、広告やクリエイティブというビジネス領域は、多様なメディアの元で表現される。TVCM、ラジオ、インターネット、紙媒体など、その表現領域は蜘蛛の巣(=Web)のようにグローバルに展開する。
広告批評社主の天野祐吉は、広告批評の30年というテクストの中で、「世間話のように、広告を語り合える雑誌を作りたいと思った。その視点は、専門家の目ではなく野次馬の目で、書き言葉より話し言葉で」と述べている。
広告などのコミュニケーション領域は、そのような柔らかい目線では捉えきれないくらい、多様に広がってしまったのではないだろうか。blog、SNS、ホームページなどのバーチャル・コミュニティの発展によって、個人が誰でも発信でき、批評できる環境が創造されてしまった。書評1つ取ってみても、本屋の店員がポップを立てる、またAmazonで読者がコメントを書くという感じになる。つまり批評という領域では、大文字の批評家や評論誌の存在意義が脆弱になりつつある。

このような大きな潮流の中で私が考えるのは、それでも広告批評のような雑誌や、マクロな意味での批評は必要なんじゃないかと思う。批評=Critiqueが脆弱な社会というモノは、共有する物語や言葉が衰弱している証拠だろうし、そんな世の中に私は面白みを感じない。それに、雑誌の「雑」という部分、要するに多彩なオピニオンが交錯し、批判し、喧嘩できる場がなくなることにこそ、私は危惧を覚える。

今回1つの雑誌の終焉に、私はこんなことを考えてしまった。

Friday, April 10, 2009

My 100 Standards (1/100):Charvetのクレリックシャツ

さて、私とモノとの100のストーリー。第1回目は、「Charvetのクレリックシャツ」との物語。

私がこのシャツの存在を知ったのは、ある書籍でフランスのドゴール大統領やアメリカのJ.F.ケネディ大統領が着ていたシャツがCharvetのシャツだと分かった時であろうか。そのシャツに宿った歴史的重みに、私は心を動かされた。
Charvetは世界で初めて注文シャツの専門店として1838年の創業以来、「Executiveのための品の良い趣味」を提案し続けるパリの老舗である。150年以上に渡って、そのハイ・クォリテイから先の両大統領をはじめ、イギリス王室やハリウッドスターといった世界の要人や著名人が「Charvet」の顧客として名を連ねている。シャルベも今ではトータルにアイテムを展開しているが、それら全てにシャツ創造のノウハウとセンスが活かされ、継続的高品質の職人気質が息づいている。


私が愛するCharvetのシャツの中でも、特にクレリックシャツが好きである。特に、ブルー・ストライプのこの写真のクレリックが、長年私のビジネス現場での活力となっている。このブルー・ストライプのクレリックは、もう3代目になる。初めて購入したのは、フランスへ旅した大学時代(今から20年以上前になる)に、パリの本店だった。ホントはオーダーしたかったのだが、時間的ゆとりもなく、プレタポルテで我慢した。しかし、初めてこの憧れのシャツに手を通した時、何とも言えない高揚感に襲われたことが昨日のように思い出される。

このシャツの魅力は、20年以上を経た今でも色褪せない。クレリックのダブルカフスなので、カフスリンクでも遊べるし、ネクタイの多様なデザインでも楽しめる。この写真では、ネイビーのHERMESの晴れ男タイ(大剣に太陽マーク、小剣にちっちゃな男性が喜んでるデザイン)と、ネイビーのカフスリンクを合わせている。しかし、重要な会議やプレゼンの時には、深紅のパワータイを付けて気持を高ぶらせたりもする。

私はこのホワイトの襟にブルーストライプのシャツを、今後も着続け、愛し続けるだろう。

Thursday, April 09, 2009

My 100 Standards (0/100)

それはある一冊の本を読み返して思い付いた。
私はこのblogを通じて、多様な事象に対する思考の断片を記してきた。
でもそれは殆どの場合、外発的なことであり、内発的なことには余り触れていない。


その書とは、フランスの詩人、文学者、シュルレアリストであるアンドレ・ブルトンの自伝的小説「ナジャ」。その実験的小説の冒頭、「私は誰か?これは結局、私が誰とつきあっているかを知りさえすればいい。自分は一体どんな人間なのか?」という問いかけで始まる。そして、「その人を知りたければ、その人が付き合っている親しい友人が誰なのかを知れば、1つやふたつは、その人の本性を垣間見れるだろう。少なくとも人としての種類は分かる」と続けていく。

そこで思ったのは、私と他者との関係性ではなく、モノとの関係性であった。
私は日常の中で、様々なモノと接しているが、その中には自身が長年愛用しているモノ、新たな出会いで好きになったモノ、など関係性も様々である。周りを見回すと、書籍、服、時計、靴、鞄、文房具、デジタル・ガジェット、アート作品、CD、など多彩なモノが溢れている。

そこで、私はそのモノ達との関係性を、100のストーリーで、今後定期的にこのblogで語っていきたい。
題して、「My 100 Standards」。
100のモノとの出会い、100のモノとの関係を語っていくこにより、「私」という人間の本性が少しでも理解していただけたら幸いである。
100のモノを語り尽くすというのはそんな簡単なことではないだろうが、モノと向き合って思考することで、その愛用品達の美しさも表現できたらと思う。

「ナジャ」の最後のテクストは、次のフレーズで締めくくられる。
「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう」と。
100のモノには、100のストーリーと、100の美しさがあるはずだから。

Tuesday, April 07, 2009

風姿花伝的桜の鑑賞

先日7~8分咲きの桜を鑑賞するため、兵庫県西宮市の夙川公園へ出かけた。
まだ満開でなく、花散らしにはまだ遠い桜を眺めていると、随分前に読んだ世阿弥の「風姿花伝」が頭に浮かんだ。
世阿弥は言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を確立したのだが、その能を鑑賞する観客達に感動を与える力を「花」として表現した。世阿弥は自身が能を表現する中で、どんな花を思い描きながら演じたのであろう。やはり、それは桜ではなかったろうか。桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出してきた日本人の原風景がそこにあるはずだから。

さてその原風景を求めて、私は神戸から夙川公園へと、カメラのシャッターを押し続けた。

神戸自宅前の公園の大島桜


生田神社の桜



そして夙川公園のソメイヨシノへ




























皆さんは今年、どんな桜に出会いましたか?

Wednesday, April 01, 2009

Memory of March to New Normal of April

My memory of March 2009 is focused on doing WBC victory.
A piece of March Memory is in the following Photo:
Empire State BLDG celebrating Japanese baseball as No.1.


And now, April starts!!
In Japan, April is the month for new departure.
So, on the occasion of this new departure, I will discuss the keyword expressed “New Normal.”
I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
In general, The cocept of “New Normal” created by Roger McNamee is built through the following five points: 1) The power of Individual, 2) The diversification of the choices, 3) The importance of the decisions , 4) Technology & Globalization, and 5) Occupation.


Here, I want to think about what in America is called the “New Normal” in Japan.
For example, young Japanese consumers have turned their attention to local brands, which offer not because of price but for the uniqueness. Designers from the high-end and manufacturers known more for value are entering into arranged marriages outside of their social standing.
Comme de Garcon's highly successful collaboration with H&M raised awareness for the retailer because Ms. Rei Kawakubo is not your "normal" attractive brand designer.
In addition, two weeks ago,the announcement of Jil Sander's new partnership with Uniqlo performed both the designer and Mr. Tadashi Yanai.

Jil Sander & Uniqlo

The new world order means that collaborations are the new order where unlikely relationships will equal survival or growth. Perhaps, in Japan where the history of the brand collaborations is the deepest, such a strategy may prove whether an occasional exclusive product and PR are worth being more than it. What is interesting about the Jil Sander and Uniqlo partnership is that both pride themselves on high quality within their respective price category. Some of the early newsmaking collaborations often lacked in quality and a contemporary expression of “value”, which will be important in today's culture of “New Normal.”

Under our global economic crisis, we must focus more on the above viewpoints of “New Normal.”

Anyway, How was your April Fool's Day?

Sunday, March 29, 2009

春の息吹に誘われて。。

今年初めて、桜を目にした。
まだ4~5分咲きのその花は、いずれ満開に咲き誇り、やがて散り消えゆく運命。古来から日本人は、桜の満開をハレとして尊ぶだけでなく、散りゆく姿に儚さや無常観を見出し、愛でてきたはずです。

随分前に読んだ小林秀雄の対話集の中で次のように述べていたと記憶している。西洋と東洋とは自然観がまるで異なる。西洋の合理主義精神、科学精神、そういうものは、自然との敵対関係から生まれてきたものかもしれない、と美についての一節で論じていた。つまり、小林が言いたかったのは、日本では桜などの花が季節の到来を報せ、その花の見せる繊細な美しさと儚さを感じる美の発見的な要素が、日本人の精神の中には息づいていると言うことではないだろうか。

私はその美の発見の瞬間に遭遇したのだ。





Tuesday, March 24, 2009

日本「野球」が世界に轟いた日

2009年3月24日は、日本と世界の野球好きにとっては、新たに記憶される日となった。
日本は、World Baseball Classic準決勝でベースボール発祥国・アメリカ、そして決勝戦で昨年の北京五輪金メダル・韓国をそれぞれ破って、真の世界チャンピオンの座に付いた。それも、2006年に続いてのV2である。


今までベースボールというモノは、アメリカ中心のスポーツであり、マッチョでパワーヒッターが揃い、体力勝負という面が多々見られた。しかし、日本の「野球」は、スコアラーが緻密に分析したデータをベースに戦略・戦術を立案し、バント、ヒットエンドラン、ランエンドヒット、盗塁などを駆使してオフェンスを組み立てていく。そしてデフェンス面では、優秀なピッチャー陣を先発・中継ぎ・抑えとして、頑強な守りを構築する。これら、スモール・ベースボールを標榜する日本「野球」が本日世界舞台で結実した。
Web Newsによると、日本在住の中国人が、「日本に来て野球に興味を持つようになった。WBCでは日本を応援した。今日の決勝戦には興奮した。日本野球の魅力をあらためて感じ、不撓不屈の日本人の精神に感動した」と述べたという記事を掲載した。ここにも、日本「野球」の世界的浸透が見て取れる。


世界の趨勢は、ビッグ・ベースボールからスモール・ベースボールへ。
その体現者であるイチローが、今日の決勝打を放ったことにも、本当に意義深いモノがあったのではないだろうか。

私の視線は既に、第3回World baseball Classicの2013年へ注がれている。

今日配られた号外(Thanks to Ms. EK)

最後に、ホンマによくやった(/\)チャチャチャチャ \(^o^)/ハッ!!侍Japan。
世界制覇、Congratulations\(^^@)/

Friday, March 20, 2009

幸せの物差し

先日ミーティングへ移動中の電車の中で、ある雑誌を読んでいた。
その雑誌とは、最近リニューアルされた「広告」。
クリエイティブ、デザインなどのCommunication領域で仕事をする人々がよく手に取る雑誌だ。


リニューアルにあたって、この雑誌が特集したのが「新しい幸せのものさし」。ここ数年、様々なメディアを通して我々の耳に届く事象は、飽和した金融資本主義の崩壊、戦争や紛争での多くの死、人知を越えた自然災害の発生、地域コミュニティや家族の崩壊、理不尽な凶悪犯罪など、深刻な内容ばかりである。こんな状況の中にも、我々の「幸せ」は存在するのか?この素朴な疑問から、この雑誌の特集は新たな時代の発想の価値観として、「幸せ」や「豊かさ」を捉え、これらの概念を新たな尺度で再考してみようというモノ。

この特集の中で特に私が興味を持って眺めたのが、「幸せに繋がる三種の神器」。
ここでは、有名・無名を問わずに2009年の今、個々人が何を自分の宝物と考え、これからの幸せのために必要な三種をチョイスし、提示している。
私は短い移動途中に、自分にとっての「幸せに繋がる三種の神器」をぼんやり考えてみた。

思い浮かんだのは、

★ 未だ見ぬ「知」との遭遇 → これこそ、私自身の今までの人生で、常に追求してきた知的エクスタシーの源泉ではないか。
★ 俯瞰的クリエイティブ・アンテナ → 鳥の視線のように、高所から全体を広く見つめ、自信のアンテナに引っ掛かる一味違う音楽、アート、ファッション、デザインなどを集約・分析し、自身の感性を高めていく(この神器については、実験的に某SNSでPhoto Blogとして実行中)
★ 多様なネットワーク形成 → 私は凄く社交的ではないが、様々な集まり、交流会、パーティーなどに顔を出し、自分とは違う領域の人々と人脈形成していくことが高い付加価値を創造すると考える。

これら三種の神器が、今の私のビジネス&プライベートにおける「幸せ」に繋がってると思う。

皆さんのオリジナル版「幸せに繋がる三種の神器」を聞かせてください!!

Monday, March 16, 2009

Creative Thinking Video

今日のblogはちょこっと手抜きで、私が最近気になったヴィデオをご紹介!!
以下のヴィデオは、私のクリエイティブ魂を揺さぶる。
モバイルで見ていただいてる方には、申し訳ないです。機会があったら、PCで見てください。

まずは、私がいつも注視する組織、IDEOのGeneral Managerであるトム・ケリーの講演ヴィデオ。
ここには、デザイン・コンサルティング・ファームの1つのエッセンスが詰まっている。

Innovation Made Personal


Tom Kelley, the highly acclaimed general manager of IDEO and author of best-selling books on creativity, targets his thoughts on corporate creativity to the inexperienced student - and how the young innovator can learn to foster the nature of creativity for life. He urges entrepreneurial thinkers to resist the forces that chip away at creative energy, and encourages an effort toward innovation to remain young at heart.

次に、1999年に米国ABCテレビ「ナイトライン」で放映された、同じIDEOのイノベーション・プロセスを一般消費者に見せた、「ディープ・ダイブ - イノベーションを生むためのある会社の秘密兵器」という番組である。当時、この番組はアメリカ社会でも凄い反響を見せ、アメリカの友人がわざわざヴィデオを送ってくれたぐらい。
この番組の見所は、古くから形を変えないショッピング・カートをたった5日間で完全にRe-Designしてしまう部分。ここには、IDEOのクリエイティブに対するエッセンスが散りばめられていて、大変興味深い。
では、ご覧いただこう。

IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 1)


IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 2)


IDEO The Deep Dive - ABC NightLine(Part 3)


最後に、Undercover(アンダーカバー)デザイナー・高橋盾が、09-10A/Wメンズ・コレクションについて語っているモノ。毎回、世界中のファッション・ピープルを驚かせるコレクションを展開する高橋盾。彼の今回のコレクションでのテーマは、“EARMUFF MANIAC” evolving comfortでニットとハイテクを軸にしたデザイン。そのテーマ観について語る高橋盾の言葉にも、クリエイティブの真髄が垣間見える。

Jun Takashi aka Undercover on his first men's show and exhibition at Pitti

Tuesday, March 10, 2009

神戸的フーディング

余りこのblogでは、グルメ的内容の記述をして来なかった。グルメ的記事を書いたのは一度だけだったと記憶している。
しかし今回は特別。私の若き友人が、神戸・北野坂に割烹「北野坂 栄ゐ田」を、昨日:3月9日にオープンしたため、ちょっと「食」について書いてみようかと思った。


このblogのたった一度のグルメ記事でも述べた、「フーディング」という概念が、昨夜「栄ゐ田」の扉を開いた瞬間、私の頭に浮かんだ。「フーディング」とは、「フード」と「フィーリング」の造語で、1999年頃にから生まれた新たな価値観である(フーディングの詳細は、以前の記事でどうぞ)。
その価値観に込められた意味は、味だけではなく、食器、照明、そして音楽などが重要な要素になってくる。「栄ゐ田」の印象は、この「フーディング」という価値観に妙にマッチングしていたのだ。

もう少し「フーディング」という食のトレンドについて触れておこう。料理、食の空間、おもてなしなどの要素が盛り込まれたこのフレーズを考えながら、昨夜「栄ゐ田」で食事をしていると、ある人間の名前が思い出された。このblogでも幾度となく触れている、北大路魯山人、その人である。彼は昭和の初期に、この「フーディング」という価値観の発想を持って、料理店経営、器作りをしていたのではないか。


彼のテクストを集めた「魯山人味道」の中でも、「食器は料理のきもの」「味覚と形の美は切っても切れない関係にある」ことについて語り、味覚の美、芸術の美、空間の美などを総合的にいかに楽しめるかを、極限まで突き詰めた「食」のトータル・デザインとして既に「フーディング」の確立を成し遂げていたのである。

そんなことをぼんやり思考しながら、昨晩「栄ゐ田」での食の宴が始まった。
ここからは、昨日提供された料理やお酒の数々を、写真を交えてご覧いただこう。

● 開運大吟醸 波瀬正吉・作

私は普段、日本酒を余り嗜まないのだが、昨夜の日本酒は実に美味かった。
なんと表現すれば良いんだろう。ワイン的なまろやかさと、貴腐的な上品な甘さが混在した風味が、私の舌にさらりと馴染んだ。軽やかな日本酒のその名も「開運大吟醸」。縁起の良いブランド名、そして杜氏さんの名前が前面に押し出される潔さが、その酒の美味しさにプラスされた感じである。醸造元は静岡県で、珍しお酒らしい。

● 日本酒リスト

この店の強みが、日本全国の名酒が揃っているリストからも伺える。

● 店内風景(その1)

都会の中の竹林を眺めながら、料理を食す。

● 店内風景(その2)

私が料理を食した場所。その食の空間に、東儀秀樹的雅楽サウンドが充満する。

● 先付け

鮑の煮付けの柔らかさに驚き、菜の花の和え物に春を感じるなど、その器に1つの春の世界が広がっていた。

● 箸置き

箸置き1つにも、その店の表現したい世界観を感じることができる。

● 刺身盛り合わせ

昨晩私が秀逸と感じた一品。伝助穴子を少し炙った刺身は、今まで私が食してきた穴子の食感を転回させる美味しさがあった。炙った鯖の刺身も、口の中に広がる旨味に、私は恍惚となっしまった。

● 椀物

筍、ワカメ、そして良く出しの効いた汁物。春のお吸い物である。

● 味噌漬け

真魚鰹の吟醸味噌漬け。吟醸の風味が、通常の味噌漬けの美味しさを一層引き立たせていた。
味だけでなく、真魚鰹の色合いと、緑柚の器の調和が実に見事であった。

● 小休止:名酒のボトル

上記でも言ったように、杜氏の波瀬正吉氏の名前がボトルの前面に。
もう1つの幻の酒「亀」も飲んでみた。これは熟成された酒にもかかわらず、日本酒のキリリッとした風味が口に広がり、食欲がより湧いてくる。

● 天麩羅

春野菜の天麩羅。天然のお塩で食することで、自然の旨味がダイレクトに味わえる。

● 鯖寿司

刺身の所でも書いた、少し炙った鯖で創造した押し寿司である。食べて貰えれば分かるのだが、これは鯖寿司の極みかもしれない。脂が乗った鯖が、何の臭みもなく、舎利と一体化した味は極上である。

● デザート

サツマイモを磨り潰したモノを団子にし、それを黒胡麻と葛で溶いたペーストを絡めて食す。

このように昨晩の食事を思い起こしながら、このテクストを書いていても、口の中にその味が蘇ってくる。
この食の記憶こそが、フーディングの基本なのかもしれない。

昨日オープンしたばかりの店だが、そこには神戸的フーディングが醸成されている。
これからも、今以上にコンセプトを明快にし、インテリアや料理にテーマ性を持たせて、神戸の食のトレンドを牽引して貰いたい。

私の記憶に、また1つ素晴らしい食の店が刻み込まれた。
私が経験した食を体感したい方は、是非「北野坂 栄ゐ田」に足を運んでいただきたい。

● アクセス・マップ

“北野坂 栄ゐ田”
住所:神戸市中央区中山手通1-22-13 ヒルサイドテラス5階

Wednesday, March 04, 2009

世界に届く「パロール」

「パロール」とは、哲学的用語で「話し言葉」を意味する。
2月のblogで、村上春樹氏のエルサレム賞受賞講演とその余波について触れた。
そのテクストの中で私は、国際的な文学賞受賞という場で、外交上の利害関係を余り持たない地域での紛争を踏まえて、国境を越えた人間性について文学者として思うことを、母国語ではない言語で訴えかけた、村上氏の「パロール」を支持した。
日本国内には、所謂知識人や文化人はあまた存在するはずなのに、世界に届く「パロール」(=声)が殆ど聞こえてこないことに、私はガッカリさせられる。村上氏がその数少ないパロールの持ち主であったことを、私はあの講演で再認識したのだ。


あの歴史的と評すべき講演の原文を、今一度堪能してみたい。

★ “Jerusalem Prize” Remarks by Haruki Murakami

Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.

やはり、“We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.”の一節は何度読んでも秀逸である。これこそ、村上氏が一番世界に届けたかった「言葉」、いや、「声」なのだろう。

Tuesday, March 03, 2009

Design Thinking視点の創造プロセス

今のビジネスの世界では、サービスやモノを創造し、それらの差別化と競争優位を生み出す源泉はイノベーションであることはここ数年語られてきた。
かのトーマス・エジソンは、白熱電球を発明し、このイノベーションを、芸術、技術、科学、事業手腕、更に顧客と市場に関する慧眼を融合させ、1つの産業へと収斂させていった。

このように、イノベーションを現在の世界不況化でも粛々と進展させている組織体がある。
IDEO、Apple、Pixerなどがその組織体の例として挙げられるだろう。
IDEOに関しては、このblogでもよく取り上げていて、そのデザイン思考を基点に置いた多様なイノベーション・プロジェクトには注目してきた。IDEOの独特なデザインソリューション手法:より良い顧客経験をデザインするための5つのステップ(Observation、Brainstorming、Rapid Prototyping、Refining、Implementation)についても以前考察しているので、今回は昨年12月号のHarvard Business Reviewの中で紹介されたIDEO社デザイン思考プロセス・マップを掲載することに止めておこう。

デザイン思考プロセス

今回は実際にデザイン思考を駆使して、商品やサービスを創造しているApple社の物づくりプロセスに関して述べてみたい。ちなみに、Apple社とPixer社の共同創業者がSteve Jobsであることから、そのプロセスには同じ思想が根底にあることを付け加えておきたい。



Business Week誌に“Apple's design process”という記事が掲載され、私はそこにiPhone、iPodなどのクリエイティブ力を持った戦略的商品を次々創造してきたApple社のイノベーションのコア部分を垣間見た。
その記事内容に関して、以下で簡単に纏めてみたい。

★ アップル・デザイン・プロセス

● Pixel Perfect Mockups(=精密なモックアップ作り)
時間を充分にかけて、曖昧さのない、正確な外見を実物そっくりに似せた模型を作る。後の過程で細かな修正をすることは膨大な無駄を生み出す。これは、IDEO社の“Rapid Prototyping”に相当すると思う。

● 10 to 3 to 1(=10から3に、3から1に)
10種類の全く異なる特徴を持つモックアップを作る。この際、10のうち7は残りの3つを際立たせるためのものである、というのは間違った考え方で、あくまで10種類のアイデアに基づいた精密で、文句の付けようのない模型を創造する。そしてこれを3つに絞る。さらに数ヶ月をかけて磨き上げた模型を作り、この中から1つを選択する。

● Paired Design Meetings(=2つのデザイン・ミーティング)
こうした模型創造作業の期間中、毎週2つのミーティングを継続する。1つはブレインストーミング。こちらではどこまでもとんでもない発言が許され、むしろ、どこまで滅茶苦茶で自由なアイデアが出せるかが重要となってくる。日本では、なかなかこの部分が成熟していなくて、単なる打合せに終始してします。もう1つはこうしたアイデアをリアルに落とし込むことできるか、デザイナーとエンジニアが一緒になって考えるミーティング。この2つのミーティングを繰り返すことで、強く間違いのない製品やサービスに結実していく。

● Pony Meeting(=ポニー・ミーティング)
方向性を出すためにはポニー・ミーティングというものが設定される。そこでは新しい機能やデザイン要素について、こういう風になっていて欲しい、とみんなで自分の欲しいものをDiscussする。印刷した結果の様子が見えるようにしたい、というような具体的な話のことだが、ここでは“I want a pony! Who doesn't? A pony is gorgeous!”(=ポニーが欲しい。ポニーがいたらゴージャスじゃないか)というくらい唐突なものでも無視せずに受け入れるようにするのだ。

このように見てくると、日本企業の中ではなかなか実行されていないプロセスが多く見つけ出せる。
やはり、デザイン、発想などのクリエイティブを必要とする物作りの中では、とことん突き詰めていくという姿勢、多様なアイデアの発生などを行える環境を形成していくという努力が必要なんじゃないかと、考えさせられる。
日本は物作りでは世界に冠たるパワーを、今でも顕在的・潜在的に持っていると、私は信じている。なのにそれが具体的な価値として、なかなか世界市場に現れてこないのは、今回のテーマであるデザイン思考を重視する環境作りが欠如しているからかもしれない。