Saturday, December 06, 2008

No-Title

本日のBlogは、このBlog始まって以来の短さ。
本日購入した、美しいZIPPOを写真でご紹介。
ZIPPOと藤原ヒロシ率いるfragment designが創造したWhite ColorのZIPPO。
最近、私は「白」という色に改めて魅了されている。

Friday, December 05, 2008

記憶をデザインするX'mas

「良いデザインというものは、まず最初は驚きの感覚、しかしすぐに全てが理解でき、再発見の喜びが続く。良いデザインとは、古くてもう忘れていた記憶や、なんねんもあっていなかった古い友人に突然またであったような瞬間と似たものなのだ」
こう語ったのは、イタリアの調理器具・ギフトグッズのメーカー、Alessi社のCEOだった。私はクリエイティブやデザインについて考えるとき、よくこのフレーズを思い出す。

経験の記憶をデザインし続けるこの企業は、その独自のデザイン手法を実践するかのように、毎年Greeting Seasonになると自社サイトをリニューアルする。まるで、Alessiの顧客達の潜在意識の表象を掬うかのように。
今回は、"Extra Ordinary Christmas"=「ちょっぴり意外な、予想外なクリスマス」。


2008年のAlessiのクリスマス・サイトは、アドヴェントカレンダー方式をとっている。
しかし、そこはAlessi。記憶の窓を1つずつ開けていく楽しみを加味させ、次の窓には何が隠れているかを、消費者側に期待させる。特に、Eveにどんなものが隠れているのかは、私も楽しみである。

ちなみに本日はこれ


記憶と経験。そこには、美学的言語を使って、既に埋没したり、失われたものを結び付け、表現していくことが求め続けられているのかもしれない。

Thursday, December 04, 2008

YouTube:21世紀に見る80年代の思考の断片

最新のBRUTUSがYouTubeの大特集をしている。


日常の中で、私はよくYouTubeで1980年代中期:阪神タイガースが日本一になり、バブル最盛期、そして若者たちの神々が話題を呼んだ時代の懐かしい映像をよく眺めている。
先日他界した筑紫哲也が編集長を務めた朝日Journal誌上で特集した「若者たちの神々」。私は高校生時代から大学学部生初期にかけて、大変注目してその特集を追いかけていた。そこに、早熟の天才と当時喧伝された「浅田彰」が登場した。彼のLogicalであり、ウイットに富んだプレゼン能力、難解な哲学的・思想的言説の巧みな編集能力に、当時の私は衝撃を受け、大変魅力を感じた。今も尚、彼の思考・関心事・言説に私は注目し続けていることを記しておこう。

記憶は不確かなのだが、1986年に金曜深夜枠で6時間連続放送された、早熟の天才が永遠と6時間語り続ける「TV・EV・BROADCAST」をYouTubeで発見した。今見ても、浅田の思考への切り口は鋭く感じ、Coolでさえある。このように、80年代のTVの深夜枠は面白い、実験的試みの番組が多くあった。

それにしても、21世紀になって80年代熱中した自身の思考の断片に出会えるなんて、YouTubeは興味深いメディアである。

では、思考機械・浅田彰が、数学、サイエンス、現代思想、哲学、物理、ハイ&サブカルチャーなど多岐に渡る事象をCritiqueし尽くすその番組をご覧あれ。

No.1


No.2


No.3


No.4


No.5


No.6


No.7


No.8


No.9

Wednesday, December 03, 2008

言葉とアート:百花繚乱展

久々に、新鮮な気持ちで現代アートと相対した。
現在兵庫県立美術館で開催されている、「百花繚乱展 2008」という127人の現代アートや陶芸家達の集合展へ足を運んでみた。



私が今まで足を運んだ展覧会とは一味違う、新進気鋭のArtist達の競演を目の当たりにし、各作品の荒削りではあるが必死の表現手段が、私の心に突き刺さってきた。実際、自宅において鑑賞してみたい作品が何点かあった。これから世界へ進出していくんだという情熱が、伝わってきた作品が多かったことに心強くもあった。


その中でも、各作品に付けられた名称の面白さに興味を持った。様相、文明の終焉、夢の遺伝子、重力都市など。一見したら、その作品との繋がりがないようであっても、その作品を創造した者が付けた名称には何らかの意志が働いたのであろうと想像しながら鑑賞するのも、また一興である。Creativeな事象と、Text Design(デザインを書く)の相関関係を考えていたので、少しは参考になったかな。

今回展示物を鑑賞して、頭に浮かんだフレーズで締めてみよう。

「われわれは決して説明を通じて芸術を経験しない。
解釈と分析はよくて知的な準備として役立つにすぎない。
けれども、それらが芸術作品と直接に触れ合うならば、
われわれを鼓舞するであろう。」

バウハウスの基礎造形教育により抽象芸術を発展させた、Moholy-Nagy, Lの言葉。

Tuesday, December 02, 2008

Web雑感

最近目に付いたWeb Communicationを幾つか紹介してみよう。

まずは、皆さんよくご存知の「MUJI」のグローバル・サイトである。


このサイトの特にメッセージ部分は、無印良品の世界市場に向けた意志を実に明快な言葉で伝えている。
「これでいい」という何の飾りもない言葉から見えてくる無印良品の意志が印象深く残る。「これがいい」という私欲から離れ、「これでいい」という抑制や譲歩を含んだ理性で商品を選択して欲しい願いが込められている。このキー・メッセージが、多様な言語によって世界に届けられる。無印良品の存在意義というものは数々の商品やサービスで明確化されているが、言葉化することでその浸透力は数段アップするであろう。

お次は、京都で450年の歴史を誇る、京友禅の名店「千總」のサイトである。ここはもちろん京友禅として有名な店ではあるが、世界中のトップ・ファッション・デザイナー達が千總ならではのファブリックを探しに来ることでも知られた存在。アパレル業界で確固たる地位と伝統、革新性と歴史性を持ち合わせた老舗が世界へ向けて発信するのはまさに日本の「美」。



このblogでも紹介した、伊藤若冲の「動植綵絵」を使ってみたり、江戸時代の美意識が反映された絵画が各所で表現されている。サイトの動きもなかなか面白い。こういった伝統や美を伝える表現もあるんだと感心させられたが、京都にあるWEB制作会社にこの手法を取れるとこってあるんだろうか。それが疑問だ。
この千總にまつわるこぼれ話を1つ。以前、私は知り合いのファッション・クリエーターの方に連れられて、千總の姉妹店である「總屋」で色々お話を聞かせて貰ったことがある。總屋のプロデューサーの方と1時間ほど対話した中で、その方が日本のセレクトショップで異彩を放つ「VIA BUS STOP」の基礎を創造される中で洋服文化に疑問を抱かれた話、そこから和の世界への転回など、実に興味深い話を拝聴したことを思い出した。そのような発想豊かな人材を抱える千總の組織力・洞察力が、このサイトからは滲み出している。

まだ私のアンテナに引っかかったサイトはあるのだが、それらは次回以降のお楽しみということで。

Monday, December 01, 2008

天体が見せる造形美

天体=宇宙というものは、時としてクリエイティブなモノを見せてくれる。
本日の午後7時前後、神戸の夜空にSmile Markが以下の写真のように顔を覗かせた。


今回のSmile Markは、今年2月にも姿を現した金星と木星の接近による現象から創造された。
そこに、下弦の月が付加されてSmile Markのように我々には見えた訳。

皆さんも多忙な中で、夜空を見上げて「その形は何を表すか」って考えてみるのも一興ですよ。

Thursday, November 27, 2008

ライブとしての肉体性

最近文芸誌は売れていないと聞く。
私はその時流に反して、よく文芸誌を買う。文芸誌にはタイムリーな批評や小説が掲載されるんで、表現や思考のプロセスに役立つことが多い。
今回、文芸誌の1つ「新潮」を手にしたのだが、驚いたことに付録が付いていた。文芸誌では初のことじゃないかな。1枚のCDが付加されていて、それは著名な批評家・小林秀雄の講演録であった。


私は最近、小林秀雄のテクストを読み返すことが多い。時代が混沌としているからなのか、昭和初期から旺盛に批評活動を行っていた小林秀雄から激動の中での思索という部分を見つけ出そうかとしているように。小林秀雄を読んだことがある人なら理解できると思うのだが、彼のテクストは結構難解なモノもある。

しかし今回、小林の講演というライブの声を聴きながらこのblogを書いていると、気付いたことがある。実に明快な語り口で、不思議なことに彼の思考が頭にダイレクトに入ってくるのだ。活字で読む小林秀雄と、声で聴く小林秀雄とでは、印象が全く違う。かつて小林の友人・青山二郎が、「なぜ喋っている時の面白さが文章に出ないのだ」と表現したことが頷ける。

今回「新潮」の中で、脳科学者・茂木健一郎氏と小林秀雄の孫・白洲信哉氏が対話してるのだが、茂木氏はその中で小林の肉声による講演を聴いて、「批評の肉体性」を感じ取ったと述べている。上手い表現である。
別に文学や評論だけでなく、音楽、アート、陶芸、なども含め、やはり現場に出かけ、聴く・見る・触るというライブ感というものが重要なのだということを再認識させられた。

テクストの中では読み取り難い行間が、小林秀雄の肉声による身体性・肉体性によって、感じ取れた気がする。私は自分のアンテナを鈍化させないために、これからも外部に出て行き、多様な肉体性に触れて行きたい。

Wednesday, November 19, 2008

日本的「美」を考えてみる

先日書店でいつものように書籍を物色していると、1つの面白い書籍に出会った。
それは、平凡社から出ている「日本の美100」。
梅原猛、磯崎新、横尾忠則達選者25人が、1人4つずつ日本の美について挙げて考察する趣向である。


この書のカバーには、これでもかと言うぐらいの満開の桜の写真で飾られている。これも、もちろん「日本の美」の1つではあろう。

「日本の美」という大文字の「美」をこの本は示そうと試みてはいるが、やはりそこに掲載されている「美」は多様なモノ、事象、思想の断片を寄せ集めたに過ぎないことは仕方がないことなのかもしれない。「日本の美」と限定はしてみても、個々人が思い浮かべる「美」は人それぞれ違うモノになるのは当然である。

では、私自信にとっての「日本の美」とはなんだろうかと、考えてみた。
昨年、伊藤若冲の代表作「動植綵絵」が、「釈迦三尊像」と共に展示されるという秀逸な展覧会へ足を運んだ。会場となったのは、京都・相国寺。120年ぶりの代表作同士の遭遇に立ち会うことができ、漠然とではあるが、「ああっ、これは本当に美しい」と体感した。特に、若冲の描いた「動植綵絵」は、何とも表現できないタッチ、書き込み、繊細さ、線の躍動感に満ちていた。私の主観ではあるが、今まで鑑賞してきたどの絵画よりも私は魅了されたのだ。




しかし、これが私にとっての「日本の美か?」と問われると、ちょっと待てよと思ってしまう。青山二郎がその著作「眼の哲学 利休伝ノート」の中で述べた千利休の飽くなき美を追究する思想にも共感してしまう。北大路魯山人が追求した書、陶芸、美食を統合した姿勢も「日本の美」の1つではないのか。


こう考えてくると、やはり私はあのフレーズを想い出してしまう。
そのフレーズとは、批評という体系を日本で確立させた小林秀雄の「当麻」(「モオツァルト・無常という事」所収)という短いテキストの中にある。能の体系者・世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを表現したフレーズ、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」。


小林はこのフレーズで「美」というものは、人それぞれが思い描く美しい建築物、自然、絵画、などがそこにあるだけだと。だから、「日本の美」のように大上段に構えて、一言で表現したり、選択することはできないのだと。

皆さんにとって、「日本の美」と何ですか?

Tuesday, November 18, 2008

Obama Acceptance Speechから聞こえる豊穣な英語表現

オバマ時期アメリカ大統領の勝利宣言スピーチは、久しぶりに私の気持ちを高ぶらせた。
それほど、今回のオバマ演説は多様な価値観が渦巻くアメリカ合衆国の今を射抜いた表現を散りばめていた。

圧巻はスピーチの冒頭部分で、まずは実際の勝利宣言映像をご覧あれ。

Obama Acceptance Speech HQ (Part 1) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008


そして、お次はテキストで、

Hello, Chicago.

If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

It's the answer told by lines that stretched around schools and churches in numbers this nation has never seen, by people who waited three hours and four hours, many for the first time in their lives, because they believed that this time must be different, that their voices could be that difference.

It's the answer spoken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled. Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states.

特に、私は"It's the answer spoken..."で始まるパラグラフが秀逸。オバマ次期大統領が、これまで置き去りにされてきたマイノリティに光を当て、世界に対して可視化した所なんて抜群のプレゼン・センスである。
こんなに素晴らしい演説なのに、私がチェックした日本の大手メディアの翻訳には温度差があって、ちょっと白けてしまった。もっと、表現的センス=どこが今回のスピーチのエッセンス部分なのかを理解しないと駄目。
一番私なりにしっくりした翻訳は、これかな。

最後に英語を習得したい人達へ一言。今回のようなスピーチは、表現も明確だし、誰に対して何を伝えたいのかが分かり易いので、ぜひ映像とテキストを教材として英語表現の豊潤な部分を学んで欲しい。こういうホットな題材から学んでいくことこそ、生きた英語を獲得するチャンスである。

勝利スピーチの残り映像もご覧あれ。

Obama Acceptance Speech HQ (Part 2) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008


Obama Acceptance Speech HQ (Part 3) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008

Wednesday, November 12, 2008

欲望資本システム終焉の風景

レーガノミックス以降、アメリカは「小さな政府」を唱え、インフレと失業をいかに抑えるかに重点を置いた政策を取ってきた。しかし、その政策は思ってもいない方向へとグローバル市場を導いていくことになる。高金利、大量失業者、ドル高、企業M&Aの促進、個人投資家も参加しての株式ゲーム、などが跋扈してしまった。
政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視するアメリカ型経済を標榜して、各国は競って市場経済を導入した結果、0から1を産み出そうと言うような錬金術的金融工学が幅を利かせ、今回のような100年に1度の経済動乱へと追い込んでしまった。

ここには、日本も含めた世界各国の経済官僚、株主、政治家、企業リーダー全ての責任が問われているんじゃないだろうか。
20世紀初頭、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンによって指摘されたことだが、質の問題と量の問題との混同は、世界を、また組織をマネジメントするリーダー達にとって最も恥ずべき錯誤の1つなんじゃないかな。ところが、その錯誤は、ほとんど思考の宿命であるかのように、21世紀に持ち越されてしまった。今回の欲望金融システムのように、あらゆるものを量の問題として考えておいた方がより「現実的」だという理由で、質の問題が人々の思考の地平から遠ざけられてしまうことは実に危険だ。今まで継続してきたアメリカ型金融システムでは、質の問題があっさり量の問題に置き換えられてしまう。アメリカも含めた世界の指導者たちは、この「現実的」であることの陥りがちな罠が、社会からその知的な活力を奪っていることを早く理解しなければならない。

この「現実的」であることが珍重される現象は最も多く見られる。そこでは原理は軽視され、多くの賛同者を得ることで形成されるコンセンサス(=数の論理)としての相対的な価値ばかりが重視されます。相対的な価値というものは、グローバル・マーケットがそうであるように、いつでも変化する。「現実的」であるには、社会的な通念にさからわぬことが求められるからです。現代のリーダーたちがそうであるように、その相対的な価値の変動にひたすら敏感であることは、真の意味で「現実的」なのだろうか?質の問題は、至る所で量の問題に置き換えられるしかないのだろうか?今回の金融システムの機能不全を違った視点から見つめてみると、21世紀の人類が直面しているこうした課題に置き換えることができるんじゃないかと考えてしまった次第。日本社・政治・経済は、この根源的な課題解決に有効な手段を果たして持っているのか、という不安が私にはある。

さて、ここまで今回の世界同時金融システム自壊について考えてみた。
最後に、この世界的現象が湧き上がってきた中で、Net上に映し出された現実を写真でご紹介しておこう。

まずは、10月10日ロイターが伝えた、金融危機の影響で国家的経済破綻が表面化したアイスランド。ネット競売ebayでは同日、そのアイスランドが売りに出された。

お次は、ジンバブエで起こっている世界恐慌後のような極度のインフレデノミ

この札束が、な・な・なんと100$の価値しかないなんて。。。

こういう感じで商品購入

1,000億$紙幣まで登場!!

でもその紙幣で、卵3個分の価値しかない。。。

Friday, November 07, 2008

MTV:新たな地平

80sは私にとって、Music Videoを一番どっぷり見ていた時代である。
それを牽引していたのがMTV!!


そのMTVが、以前は著作権などの関係でアメリカ国内でしか視聴できなかった数多くのMusic Videoを全世界で視聴可能にした。YouTubeなどと同様に、個人のWebやblogに動画を貼付けることもOK。
そのサービスとは、MTV MUSIC - I Want My MTV

私が当時、一番気に入っていたのは、これかな。映像的センスといい、音楽的インパクトといい、Marvelous!!

Wednesday, November 05, 2008

Histrical Change: USA to World

我々はアメリカでの歴史的瞬間=黒人初の大統領誕生を目の当たりにしようとしている。


ハワイ・ホノルルで生まれ育った、アフリカ系アメリカ人であるBarack Hussein Obama, Jrがアメリカ最高権力の座に上ろうとしている。それはアフリカ系アメリカ人のルーツと歴史を考えれば、まさに画期的である事象であろう。そして、アメリカに住むマイノリティにとっても大変モチベーションの上がることかもしれない。アメリカの各メディアが伝える開票速報も、いつもの大統領選より活気を呈している観は否めない。
それほど、マイノリティ出身の大統領が誕生する事実は、アメリカで学び、暮らした私がここ日本にいても、多民族国家であるアメリカにとっての衝撃度が体感できる。

キング牧師の余りにも有名な45年前の演説"I Have a Dream”が進化する瞬間が到来しようとしている。

現在CNNが伝える開票速報では、オバマ氏が207選挙人を獲得し、過半数まで後63に迫っている。


“Economy Most Important Issue”当然やろね。

Thursday, October 30, 2008

読書習慣(週間)に想うバランスの良い本選びとは?

巷では、読書週間なるものが始まったと耳にするようになった。しかし私は考える、読書週間なるものを喧伝しなければならないくらい、日本人の活字離れは酷いのかと。
私なんかは、読書週間などではなく、読書は習慣となっているから。

まっ、そんな戯言はさておいて、本日私がこのblogで皆さんに問いかけてみたいのは、日頃書籍の選択とバランスってことを考えたことはありますか?ということである。
私は昔に比べると、amazonなどのバーチャル書店ができてからというもの、リアルな書店へ足を運ぶ回数が減ってきている。しかし、今でも考えやアイデアが煮詰まった時、単に時間潰しの時など、自分が抱えている疑問や課題に対して何か答えてくれそうな予感がして、リアルな書店に立ち寄ってしまう。
そこで今回の問いかけである、本選びのバランス感覚ということになる。

リアル書店で私がレジ前で並んでいると、様々な人が書籍や雑誌を抱えていて、その風景を見ているとその人たちの読書に対する偏りが手に取るように分かる。例えば、恋愛小説と占い本を持ってる女子校生、コンピュター言語の書籍ばかりを抱えている青白い顔をした中年などなど。この女子校生は恋愛している最中または失恋したばかりか、隣の中年はSEのプロジェクトリーダーとして経験を積み重ねているが睡眠不足中か、と私は頭の中で勝手に分析してしまう。かくいう私も高校生の時、ニューアカデミズム旋風の中、海外・日本の当時最先端といわれていた思想・哲学書のみを買い漁り、自分は哲学系少年といわんばかりの本選びに自己満足に陥っていた時代も想い出される。

その時代を経て私は、アメリカ時代の教授陣が提示するReading Listや、書店での教授達の書籍の買い方を見て、書籍選びのバランス感覚に目から鱗であった。上で述べたような誰でも想像できる書籍選択ではなく、レム・コールハースの「S,M,L,XL」、週刊プレーボーイ、そして杉本博司の写真集を小脇に抱えてみるとか。それによって、この人は誰なんだ?職業は?と分析不能状態に他者が陥る。これこそが、バランスの良い本選びの感覚。

ここで、極私的書籍選択バランス例を写メって見ました。これらのキモを、皆さんも読み解いてみてください。

1)Art+マンガ+陶芸+書+ファッション+Music+論理的思考・・・・=?


2)建築+音楽+経済+野生の思考+異文化ダイアローグ・・・・=?


さて、皆さんのバランス感覚を効かせた本選びも教えてくださいね。

PS:The Photo of Today's My Niece

Tuesday, October 28, 2008

ハロー、21世紀の赤ちゃん!!


今朝午前9時56分に、弟夫婦に女の赤ちゃんが誕生した。
3,140g、48cmという小さな生命がこの世に生を受けた。
Congratulations, My younger brother!!
高度に洗練された世界システムが、経済面の脆弱さをさらけ出し始めた21世紀初頭の本日、その生を受けた彼女が、今後皆から愛され、凜とした美しさを持って、常に新たな自己革新を遂げながら、力強く生きていって欲しいと祈らずにはいられない。(Hope from your uncle)

それにしてもCute過ぎる。

Friday, October 24, 2008

現代金融システム崩壊を予見していた男のNobel Prize

今年のノーベル賞は、日本人が4人も受賞したことにより一躍注目を集めている。
私個人としては、村上春樹のノーベル文学賞受賞がまた先延ばしになったことで、少しがっかりしているが。

今回のノーベル賞の中で、私が一番興味を持ったのがノーベル経済学賞。
経済学賞を受賞したのは、Dr. Paul Krugman


私はアメリカ滞在時から、彼の言説には興味を持って耳を傾けていた。
それは何故か。彼は今回現実のものとなって世界を震撼させている、世界同時的金融システム崩壊を、随分前から予見していたのだから。
以前私はこのブログで、シナリオ・プランニングの重要性や明日を読む力の効用について書いた。やはりこれらのスキルをいかに自分なりに昇華させて、身に付けていくかが、今後のUncertain Worldをサバイブできるかどうかにかかっているということに確信を持った数週間でした。


Dr. Krugmanも彼ならではの明日を読み解く力を蓄積させ、ノーベル賞受賞後の世界に対してもアクティブな提言を続けていってほしいものだ。
彼の思考の一端に触れたい人は、彼のブログがお薦めです。

Dr. Krugman's blog: The Conscience of a Liberal

Wednesday, October 01, 2008

ある決断

今日から10月。
昨日私は1つの決断を下した。
その内容は置いておくとして、私はここ数年、自分の周りで起こった事象を眺めながら、「引き際」ということに関して思考してきた。


そして、その思考速度を加速させたのが、先日の小泉純一郎元首相の突如の議員引退である。これに関しては、政治的思惑の産物とか、世襲制の罪悪、などなど否定的な見解がメディア上では議論されている。しかし、小泉元首相当人は60代前半で、それもまだまだ国民的人気が存在する中での引退。彼自身よく、「引き際は美しく」を言葉にしていた。様々な政治家を過去を振り返ってみると、80代後半までその地位に拘泥したりと、引き際が潔く感じた人が余りいなかったことを考えれば、またしても、彼はメディアを上手く利用して、自身の出処進退を美しく見せてしまったのかもしれない。
それよりも前に生じた、福田前首相の辞め方、またそれよりも前の安倍元首相の辞め方などを見ていると、いかに小泉氏の引き際が電光石火で、国民のサプライズを生んだかの観点から見ても、比較するまでもない。
このように、人それぞれの"Late Style"は存在するのだろうが、私自身もその引き際に昨日ある決断を下したということである。

Friday, September 26, 2008

Google:10年の軌跡

今や我々が検索という言葉からすぐに連想されるのは、"Google"であろう。
検索=「ググル」とまで表現させた、その企業も創業10周年を迎えた。
Larry PageとSergey Brinがスタンフォード大学で出会って、検索サイトの巨人を構想中、私もアメリカの経営大学院の修士論文構築の最終段階に入っていたことを思うと、共時性を少し感じる。
二人の大学院生が創り上げた"Google"という高度に洗練されたGlobal Intelligence Business Modelは、世界の過去・現在・未来の情報を全て編集し、統合しようとしている。
その情報巨人の10年を纏めたスペシャル・サイトがアップされている。
皆さんも、Goole誕生から現在までを、自分の歴史と共に振り返ってみると、そのVelocityに驚きを覚えるのではないだろうか。



Google 10th Birthday

Monday, September 22, 2008

CINQUE CLASSICO:Art、Sound、&Fashionの饗宴(1)

ちょうど1週間前、神戸のダウンタウンで1つの宴が催された。
私にこのblogを書くキッカケを与えてくれた藤原オーナーが、神戸に創造したクラシコイタリア系ブティック「CINQUE CLASSICO」のリニューアルを祝う宴である。


この夜は、ファッション・ビジネスもその一角を占めるグローバル市場にとって、大変衝撃的な事件:リーマン・ショック(リーマン・ブラザーズ破綻による世界経済の動揺)という事象が、神戸という日本の1都市で開催されたRenewal Partyという華やかな舞台裏で起こっていたことも明記しておきたい。

このPartyに参加して考えたことがある。それは、ファッションの行方についてである。現在、グローバル経済の中でアパレル産業はLV Groupのようにどんどんコングロマリット化していき、デザイン、素材などのクリエイティブ要素が画一化していくのではないかという感覚に襲われることがある。そのような状況の中で、ファッションについて、語るべきことは残されているのか?ファッションなどが創造するトレンドは、今なお人々の深層心理を表象しているのか?また、我々がファッションに求める「装い」は、独自のアイデンティティを表現しうるのか?或いは、ファッションが理想の自分に近づくための手段として、今後も機能しうるのか?このような疑問符が頭を巡っていた。
CINQUE CLASSICOが提案するファッション形態は、これら私の疑問に対して、トレンド=High Brandが全てではなく、特にメンズ・ファッションに於いては、クラシコイタリアという伝統と革新の融合物の中に、新しい時代の扉を開くクリエイティブな発想があることを示してくれている。
今回のRenewal Partyを通して、CINQUE CLASSICOがそのことを我々に対して、高らかに宣言しているかのように感じた。

以下で、当日の模様を写真で振り返ってみよう。
写真は、Partyを待ちわびる空間から、PartyにおいてJammingしたJazz演奏という、静から動へのプロセス順に並べてみた。





















ここまで、当日の風景を写真で振り返ってみました。
Party当日、私がどんなコーディネートで臨んだかを、少しだけ触れておきます。

今回のコーディネートは、今季のトレンド・カラー「紫」を主体に組み立ててみた。
敢えて、クラシコイタリア・スタイルではなく、アンティークとも言える15年前に購入したGIANNI VERSACEのグレンチェック(実はその中に淡いパープルカラーが含まれている)Double-breastedジャケットに、これまた15年前に購入したパープルが主体のドレスシャツを着用。胸元には、CINQUE CLASSICOで購入した、Franco Jacassiのラベルピン(パープル・ストーン)を付け、チーフも淡い紫色をチョイス。更にパンツは、Levi's Fenomのブラックサテン、シューズはVISVIMのFBT。まさに、クラシコイタリアを脱構築したスタイルで臨んだわけである。

次回blogでは、今回触れていないArtとFashionの融合部分について書いてみたい。
ヒントは、この写真。

Tuesday, September 02, 2008

Creative + Logic = IDEOの新たなWeb戦略

私が世界の超一流といわれる企業の中でも常日頃からウオッチしている企業がある。
それが、IDEOである。IDEOに関しては、このblogでも紹介しているので、今回は深掘りせずにおく。
ではなぜ今回、IDEOについてまた書こうとしているのか。それは、この世界にも類を見ないDesign Consulting Firmが自社サイトで、新たな表現の地平を我々に見せてくれたからである。


Webというモノに余りなれていない人が、このIDEOのサイトを見ると、「うん?」これはどういう風に扱うのかなと思われる人もいるかもしれない。しかし、どこでもいいからクリックしてみて欲しい。そこから先は実に明確に、分かり易く進めていくことができると思う。このサイトが指し示す方向は、1つの企業や組織がこれだけ多くの実績を積み重ねていますよ、ということを表現し、コミュニケートして行くには面白い発想かもしれない。私はWebの作り手ではないので一概には言えないが、こういうサイトを創造するには手間暇がかかりそうという印象だ。
ちなみに、このIDEOに以前在籍していた著名なプロダクト・デザイナー、深澤直人氏の作品もこのサイトでは紹介されていることを明記しておこう。

Monday, September 01, 2008

総理よ、ふざけるな!!


今、福田康夫現内閣総理大臣の辞任演説を聴きながら、このblogを書いている。
約一年前に、安倍前総理大臣が困難な状況を道半ばで投げ出し、福田首相がその後を継いだ。
それから約一年後に、また同じことを繰り返そうとしているこの事象を目の当たりにすると、「ふざけるな」としか言いようがない。
私は一年前にもこのblogで、安倍前総理の突然の辞任劇を受けて、最高責任者の身の処し方について述べさせてもらった。なので、今回ここで同じようなことを述べる気にもならない。
私が声を大にして言いたいのは、日本国家の舵取り、マネジメントを行うという事柄の影響力に関してもっと真摯に取り組んでもらいたいと言うことだ。「国民に迷惑をかける」とか、「今の時期がベストと思った」などの稚拙な言い訳だけで済ませてしまう、国家の最高責任者をほとほと情けなく感じてしまう。
もう一度言っておこう、「ふざけるな」と。