Wednesday, November 19, 2008

日本的「美」を考えてみる

先日書店でいつものように書籍を物色していると、1つの面白い書籍に出会った。
それは、平凡社から出ている「日本の美100」。
梅原猛、磯崎新、横尾忠則達選者25人が、1人4つずつ日本の美について挙げて考察する趣向である。


この書のカバーには、これでもかと言うぐらいの満開の桜の写真で飾られている。これも、もちろん「日本の美」の1つではあろう。

「日本の美」という大文字の「美」をこの本は示そうと試みてはいるが、やはりそこに掲載されている「美」は多様なモノ、事象、思想の断片を寄せ集めたに過ぎないことは仕方がないことなのかもしれない。「日本の美」と限定はしてみても、個々人が思い浮かべる「美」は人それぞれ違うモノになるのは当然である。

では、私自信にとっての「日本の美」とはなんだろうかと、考えてみた。
昨年、伊藤若冲の代表作「動植綵絵」が、「釈迦三尊像」と共に展示されるという秀逸な展覧会へ足を運んだ。会場となったのは、京都・相国寺。120年ぶりの代表作同士の遭遇に立ち会うことができ、漠然とではあるが、「ああっ、これは本当に美しい」と体感した。特に、若冲の描いた「動植綵絵」は、何とも表現できないタッチ、書き込み、繊細さ、線の躍動感に満ちていた。私の主観ではあるが、今まで鑑賞してきたどの絵画よりも私は魅了されたのだ。




しかし、これが私にとっての「日本の美か?」と問われると、ちょっと待てよと思ってしまう。青山二郎がその著作「眼の哲学 利休伝ノート」の中で述べた千利休の飽くなき美を追究する思想にも共感してしまう。北大路魯山人が追求した書、陶芸、美食を統合した姿勢も「日本の美」の1つではないのか。


こう考えてくると、やはり私はあのフレーズを想い出してしまう。
そのフレーズとは、批評という体系を日本で確立させた小林秀雄の「当麻」(「モオツァルト・無常という事」所収)という短いテキストの中にある。能の体系者・世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを表現したフレーズ、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」。


小林はこのフレーズで「美」というものは、人それぞれが思い描く美しい建築物、自然、絵画、などがそこにあるだけだと。だから、「日本の美」のように大上段に構えて、一言で表現したり、選択することはできないのだと。

皆さんにとって、「日本の美」と何ですか?

Tuesday, November 18, 2008

Obama Acceptance Speechから聞こえる豊穣な英語表現

オバマ時期アメリカ大統領の勝利宣言スピーチは、久しぶりに私の気持ちを高ぶらせた。
それほど、今回のオバマ演説は多様な価値観が渦巻くアメリカ合衆国の今を射抜いた表現を散りばめていた。

圧巻はスピーチの冒頭部分で、まずは実際の勝利宣言映像をご覧あれ。

Obama Acceptance Speech HQ (Part 1) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008


そして、お次はテキストで、

Hello, Chicago.

If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

It's the answer told by lines that stretched around schools and churches in numbers this nation has never seen, by people who waited three hours and four hours, many for the first time in their lives, because they believed that this time must be different, that their voices could be that difference.

It's the answer spoken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled. Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states.

特に、私は"It's the answer spoken..."で始まるパラグラフが秀逸。オバマ次期大統領が、これまで置き去りにされてきたマイノリティに光を当て、世界に対して可視化した所なんて抜群のプレゼン・センスである。
こんなに素晴らしい演説なのに、私がチェックした日本の大手メディアの翻訳には温度差があって、ちょっと白けてしまった。もっと、表現的センス=どこが今回のスピーチのエッセンス部分なのかを理解しないと駄目。
一番私なりにしっくりした翻訳は、これかな。

最後に英語を習得したい人達へ一言。今回のようなスピーチは、表現も明確だし、誰に対して何を伝えたいのかが分かり易いので、ぜひ映像とテキストを教材として英語表現の豊潤な部分を学んで欲しい。こういうホットな題材から学んでいくことこそ、生きた英語を獲得するチャンスである。

勝利スピーチの残り映像もご覧あれ。

Obama Acceptance Speech HQ (Part 2) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008


Obama Acceptance Speech HQ (Part 3) 11/04 - Barack Obama Victory Speech November 4th 2008

Wednesday, November 12, 2008

欲望資本システム終焉の風景

レーガノミックス以降、アメリカは「小さな政府」を唱え、インフレと失業をいかに抑えるかに重点を置いた政策を取ってきた。しかし、その政策は思ってもいない方向へとグローバル市場を導いていくことになる。高金利、大量失業者、ドル高、企業M&Aの促進、個人投資家も参加しての株式ゲーム、などが跋扈してしまった。
政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視するアメリカ型経済を標榜して、各国は競って市場経済を導入した結果、0から1を産み出そうと言うような錬金術的金融工学が幅を利かせ、今回のような100年に1度の経済動乱へと追い込んでしまった。

ここには、日本も含めた世界各国の経済官僚、株主、政治家、企業リーダー全ての責任が問われているんじゃないだろうか。
20世紀初頭、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンによって指摘されたことだが、質の問題と量の問題との混同は、世界を、また組織をマネジメントするリーダー達にとって最も恥ずべき錯誤の1つなんじゃないかな。ところが、その錯誤は、ほとんど思考の宿命であるかのように、21世紀に持ち越されてしまった。今回の欲望金融システムのように、あらゆるものを量の問題として考えておいた方がより「現実的」だという理由で、質の問題が人々の思考の地平から遠ざけられてしまうことは実に危険だ。今まで継続してきたアメリカ型金融システムでは、質の問題があっさり量の問題に置き換えられてしまう。アメリカも含めた世界の指導者たちは、この「現実的」であることの陥りがちな罠が、社会からその知的な活力を奪っていることを早く理解しなければならない。

この「現実的」であることが珍重される現象は最も多く見られる。そこでは原理は軽視され、多くの賛同者を得ることで形成されるコンセンサス(=数の論理)としての相対的な価値ばかりが重視されます。相対的な価値というものは、グローバル・マーケットがそうであるように、いつでも変化する。「現実的」であるには、社会的な通念にさからわぬことが求められるからです。現代のリーダーたちがそうであるように、その相対的な価値の変動にひたすら敏感であることは、真の意味で「現実的」なのだろうか?質の問題は、至る所で量の問題に置き換えられるしかないのだろうか?今回の金融システムの機能不全を違った視点から見つめてみると、21世紀の人類が直面しているこうした課題に置き換えることができるんじゃないかと考えてしまった次第。日本社・政治・経済は、この根源的な課題解決に有効な手段を果たして持っているのか、という不安が私にはある。

さて、ここまで今回の世界同時金融システム自壊について考えてみた。
最後に、この世界的現象が湧き上がってきた中で、Net上に映し出された現実を写真でご紹介しておこう。

まずは、10月10日ロイターが伝えた、金融危機の影響で国家的経済破綻が表面化したアイスランド。ネット競売ebayでは同日、そのアイスランドが売りに出された。

お次は、ジンバブエで起こっている世界恐慌後のような極度のインフレデノミ

この札束が、な・な・なんと100$の価値しかないなんて。。。

こういう感じで商品購入

1,000億$紙幣まで登場!!

でもその紙幣で、卵3個分の価値しかない。。。

Friday, November 07, 2008

MTV:新たな地平

80sは私にとって、Music Videoを一番どっぷり見ていた時代である。
それを牽引していたのがMTV!!


そのMTVが、以前は著作権などの関係でアメリカ国内でしか視聴できなかった数多くのMusic Videoを全世界で視聴可能にした。YouTubeなどと同様に、個人のWebやblogに動画を貼付けることもOK。
そのサービスとは、MTV MUSIC - I Want My MTV

私が当時、一番気に入っていたのは、これかな。映像的センスといい、音楽的インパクトといい、Marvelous!!

Wednesday, November 05, 2008

Histrical Change: USA to World

我々はアメリカでの歴史的瞬間=黒人初の大統領誕生を目の当たりにしようとしている。


ハワイ・ホノルルで生まれ育った、アフリカ系アメリカ人であるBarack Hussein Obama, Jrがアメリカ最高権力の座に上ろうとしている。それはアフリカ系アメリカ人のルーツと歴史を考えれば、まさに画期的である事象であろう。そして、アメリカに住むマイノリティにとっても大変モチベーションの上がることかもしれない。アメリカの各メディアが伝える開票速報も、いつもの大統領選より活気を呈している観は否めない。
それほど、マイノリティ出身の大統領が誕生する事実は、アメリカで学び、暮らした私がここ日本にいても、多民族国家であるアメリカにとっての衝撃度が体感できる。

キング牧師の余りにも有名な45年前の演説"I Have a Dream”が進化する瞬間が到来しようとしている。

現在CNNが伝える開票速報では、オバマ氏が207選挙人を獲得し、過半数まで後63に迫っている。


“Economy Most Important Issue”当然やろね。

Thursday, October 30, 2008

読書習慣(週間)に想うバランスの良い本選びとは?

巷では、読書週間なるものが始まったと耳にするようになった。しかし私は考える、読書週間なるものを喧伝しなければならないくらい、日本人の活字離れは酷いのかと。
私なんかは、読書週間などではなく、読書は習慣となっているから。

まっ、そんな戯言はさておいて、本日私がこのblogで皆さんに問いかけてみたいのは、日頃書籍の選択とバランスってことを考えたことはありますか?ということである。
私は昔に比べると、amazonなどのバーチャル書店ができてからというもの、リアルな書店へ足を運ぶ回数が減ってきている。しかし、今でも考えやアイデアが煮詰まった時、単に時間潰しの時など、自分が抱えている疑問や課題に対して何か答えてくれそうな予感がして、リアルな書店に立ち寄ってしまう。
そこで今回の問いかけである、本選びのバランス感覚ということになる。

リアル書店で私がレジ前で並んでいると、様々な人が書籍や雑誌を抱えていて、その風景を見ているとその人たちの読書に対する偏りが手に取るように分かる。例えば、恋愛小説と占い本を持ってる女子校生、コンピュター言語の書籍ばかりを抱えている青白い顔をした中年などなど。この女子校生は恋愛している最中または失恋したばかりか、隣の中年はSEのプロジェクトリーダーとして経験を積み重ねているが睡眠不足中か、と私は頭の中で勝手に分析してしまう。かくいう私も高校生の時、ニューアカデミズム旋風の中、海外・日本の当時最先端といわれていた思想・哲学書のみを買い漁り、自分は哲学系少年といわんばかりの本選びに自己満足に陥っていた時代も想い出される。

その時代を経て私は、アメリカ時代の教授陣が提示するReading Listや、書店での教授達の書籍の買い方を見て、書籍選びのバランス感覚に目から鱗であった。上で述べたような誰でも想像できる書籍選択ではなく、レム・コールハースの「S,M,L,XL」、週刊プレーボーイ、そして杉本博司の写真集を小脇に抱えてみるとか。それによって、この人は誰なんだ?職業は?と分析不能状態に他者が陥る。これこそが、バランスの良い本選びの感覚。

ここで、極私的書籍選択バランス例を写メって見ました。これらのキモを、皆さんも読み解いてみてください。

1)Art+マンガ+陶芸+書+ファッション+Music+論理的思考・・・・=?


2)建築+音楽+経済+野生の思考+異文化ダイアローグ・・・・=?


さて、皆さんのバランス感覚を効かせた本選びも教えてくださいね。

PS:The Photo of Today's My Niece

Tuesday, October 28, 2008

ハロー、21世紀の赤ちゃん!!


今朝午前9時56分に、弟夫婦に女の赤ちゃんが誕生した。
3,140g、48cmという小さな生命がこの世に生を受けた。
Congratulations, My younger brother!!
高度に洗練された世界システムが、経済面の脆弱さをさらけ出し始めた21世紀初頭の本日、その生を受けた彼女が、今後皆から愛され、凜とした美しさを持って、常に新たな自己革新を遂げながら、力強く生きていって欲しいと祈らずにはいられない。(Hope from your uncle)

それにしてもCute過ぎる。

Friday, October 24, 2008

現代金融システム崩壊を予見していた男のNobel Prize

今年のノーベル賞は、日本人が4人も受賞したことにより一躍注目を集めている。
私個人としては、村上春樹のノーベル文学賞受賞がまた先延ばしになったことで、少しがっかりしているが。

今回のノーベル賞の中で、私が一番興味を持ったのがノーベル経済学賞。
経済学賞を受賞したのは、Dr. Paul Krugman


私はアメリカ滞在時から、彼の言説には興味を持って耳を傾けていた。
それは何故か。彼は今回現実のものとなって世界を震撼させている、世界同時的金融システム崩壊を、随分前から予見していたのだから。
以前私はこのブログで、シナリオ・プランニングの重要性や明日を読む力の効用について書いた。やはりこれらのスキルをいかに自分なりに昇華させて、身に付けていくかが、今後のUncertain Worldをサバイブできるかどうかにかかっているということに確信を持った数週間でした。


Dr. Krugmanも彼ならではの明日を読み解く力を蓄積させ、ノーベル賞受賞後の世界に対してもアクティブな提言を続けていってほしいものだ。
彼の思考の一端に触れたい人は、彼のブログがお薦めです。

Dr. Krugman's blog: The Conscience of a Liberal

Wednesday, October 01, 2008

ある決断

今日から10月。
昨日私は1つの決断を下した。
その内容は置いておくとして、私はここ数年、自分の周りで起こった事象を眺めながら、「引き際」ということに関して思考してきた。


そして、その思考速度を加速させたのが、先日の小泉純一郎元首相の突如の議員引退である。これに関しては、政治的思惑の産物とか、世襲制の罪悪、などなど否定的な見解がメディア上では議論されている。しかし、小泉元首相当人は60代前半で、それもまだまだ国民的人気が存在する中での引退。彼自身よく、「引き際は美しく」を言葉にしていた。様々な政治家を過去を振り返ってみると、80代後半までその地位に拘泥したりと、引き際が潔く感じた人が余りいなかったことを考えれば、またしても、彼はメディアを上手く利用して、自身の出処進退を美しく見せてしまったのかもしれない。
それよりも前に生じた、福田前首相の辞め方、またそれよりも前の安倍元首相の辞め方などを見ていると、いかに小泉氏の引き際が電光石火で、国民のサプライズを生んだかの観点から見ても、比較するまでもない。
このように、人それぞれの"Late Style"は存在するのだろうが、私自身もその引き際に昨日ある決断を下したということである。

Friday, September 26, 2008

Google:10年の軌跡

今や我々が検索という言葉からすぐに連想されるのは、"Google"であろう。
検索=「ググル」とまで表現させた、その企業も創業10周年を迎えた。
Larry PageとSergey Brinがスタンフォード大学で出会って、検索サイトの巨人を構想中、私もアメリカの経営大学院の修士論文構築の最終段階に入っていたことを思うと、共時性を少し感じる。
二人の大学院生が創り上げた"Google"という高度に洗練されたGlobal Intelligence Business Modelは、世界の過去・現在・未来の情報を全て編集し、統合しようとしている。
その情報巨人の10年を纏めたスペシャル・サイトがアップされている。
皆さんも、Goole誕生から現在までを、自分の歴史と共に振り返ってみると、そのVelocityに驚きを覚えるのではないだろうか。



Google 10th Birthday

Monday, September 22, 2008

CINQUE CLASSICO:Art、Sound、&Fashionの饗宴(1)

ちょうど1週間前、神戸のダウンタウンで1つの宴が催された。
私にこのblogを書くキッカケを与えてくれた藤原オーナーが、神戸に創造したクラシコイタリア系ブティック「CINQUE CLASSICO」のリニューアルを祝う宴である。


この夜は、ファッション・ビジネスもその一角を占めるグローバル市場にとって、大変衝撃的な事件:リーマン・ショック(リーマン・ブラザーズ破綻による世界経済の動揺)という事象が、神戸という日本の1都市で開催されたRenewal Partyという華やかな舞台裏で起こっていたことも明記しておきたい。

このPartyに参加して考えたことがある。それは、ファッションの行方についてである。現在、グローバル経済の中でアパレル産業はLV Groupのようにどんどんコングロマリット化していき、デザイン、素材などのクリエイティブ要素が画一化していくのではないかという感覚に襲われることがある。そのような状況の中で、ファッションについて、語るべきことは残されているのか?ファッションなどが創造するトレンドは、今なお人々の深層心理を表象しているのか?また、我々がファッションに求める「装い」は、独自のアイデンティティを表現しうるのか?或いは、ファッションが理想の自分に近づくための手段として、今後も機能しうるのか?このような疑問符が頭を巡っていた。
CINQUE CLASSICOが提案するファッション形態は、これら私の疑問に対して、トレンド=High Brandが全てではなく、特にメンズ・ファッションに於いては、クラシコイタリアという伝統と革新の融合物の中に、新しい時代の扉を開くクリエイティブな発想があることを示してくれている。
今回のRenewal Partyを通して、CINQUE CLASSICOがそのことを我々に対して、高らかに宣言しているかのように感じた。

以下で、当日の模様を写真で振り返ってみよう。
写真は、Partyを待ちわびる空間から、PartyにおいてJammingしたJazz演奏という、静から動へのプロセス順に並べてみた。





















ここまで、当日の風景を写真で振り返ってみました。
Party当日、私がどんなコーディネートで臨んだかを、少しだけ触れておきます。

今回のコーディネートは、今季のトレンド・カラー「紫」を主体に組み立ててみた。
敢えて、クラシコイタリア・スタイルではなく、アンティークとも言える15年前に購入したGIANNI VERSACEのグレンチェック(実はその中に淡いパープルカラーが含まれている)Double-breastedジャケットに、これまた15年前に購入したパープルが主体のドレスシャツを着用。胸元には、CINQUE CLASSICOで購入した、Franco Jacassiのラベルピン(パープル・ストーン)を付け、チーフも淡い紫色をチョイス。更にパンツは、Levi's Fenomのブラックサテン、シューズはVISVIMのFBT。まさに、クラシコイタリアを脱構築したスタイルで臨んだわけである。

次回blogでは、今回触れていないArtとFashionの融合部分について書いてみたい。
ヒントは、この写真。

Tuesday, September 02, 2008

Creative + Logic = IDEOの新たなWeb戦略

私が世界の超一流といわれる企業の中でも常日頃からウオッチしている企業がある。
それが、IDEOである。IDEOに関しては、このblogでも紹介しているので、今回は深掘りせずにおく。
ではなぜ今回、IDEOについてまた書こうとしているのか。それは、この世界にも類を見ないDesign Consulting Firmが自社サイトで、新たな表現の地平を我々に見せてくれたからである。


Webというモノに余りなれていない人が、このIDEOのサイトを見ると、「うん?」これはどういう風に扱うのかなと思われる人もいるかもしれない。しかし、どこでもいいからクリックしてみて欲しい。そこから先は実に明確に、分かり易く進めていくことができると思う。このサイトが指し示す方向は、1つの企業や組織がこれだけ多くの実績を積み重ねていますよ、ということを表現し、コミュニケートして行くには面白い発想かもしれない。私はWebの作り手ではないので一概には言えないが、こういうサイトを創造するには手間暇がかかりそうという印象だ。
ちなみに、このIDEOに以前在籍していた著名なプロダクト・デザイナー、深澤直人氏の作品もこのサイトでは紹介されていることを明記しておこう。

Monday, September 01, 2008

総理よ、ふざけるな!!


今、福田康夫現内閣総理大臣の辞任演説を聴きながら、このblogを書いている。
約一年前に、安倍前総理大臣が困難な状況を道半ばで投げ出し、福田首相がその後を継いだ。
それから約一年後に、また同じことを繰り返そうとしているこの事象を目の当たりにすると、「ふざけるな」としか言いようがない。
私は一年前にもこのblogで、安倍前総理の突然の辞任劇を受けて、最高責任者の身の処し方について述べさせてもらった。なので、今回ここで同じようなことを述べる気にもならない。
私が声を大にして言いたいのは、日本国家の舵取り、マネジメントを行うという事柄の影響力に関してもっと真摯に取り組んでもらいたいと言うことだ。「国民に迷惑をかける」とか、「今の時期がベストと思った」などの稚拙な言い訳だけで済ませてしまう、国家の最高責任者をほとほと情けなく感じてしまう。
もう一度言っておこう、「ふざけるな」と。

Thursday, August 07, 2008

Web Designの美しさ

私はWeb Siteの色や動きなどのデザインに関しては素人である。
その素人の目から見ても、美しいと感じるWebというものがこの世には存在する。
それが、「FONTPARK 2.0 | MORISAWA」のサイトである。
このサイトはWeb Design業界の第一人者・中村勇吾氏(以下敬称略)が代表のtha ltdが手がけたモノである。私はこの中村勇吾なる人物を当初、私の友人である敏腕Web Producer:Mr. BYに教えてもらうまで知らなかった。中村勇吾は今年4月に放送された「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも取り上げられ、彼のデジタルな匠の世界を垣間見ることができた。

その彼が構築した今回ご紹介するモリサワのサイトは先にも述べたように、素人の私から見ても美しく、楽しい。このサイトでは、モリサワフォントで作られた平仮名を組み合わせてイラストを作成する事ができる。歌舞伎役者の顔、平安時代の女性の顔、などが、モリサワフォントで創造されていく。その動き、ミニマルな表現方法、どれをとっても秀逸なんじゃないかな。


ずっとWebというものに無機質な感覚を持っている私から見ても、今回の中村が作り上げたサイトは、私がWebに持つ感覚に対する発想転換が図られているように感じる。まさに、現時点でのInteractive的究極形かもしれない。私自身、このサイトでいかにスタイリッシュな絵が描けるか思案中だ。

その中村勇吾のデザイン思考を実際に体験できる企画展が始まることが私のアンテナに飛び込んできた。


大阪と今日で同時開催される「NOW UPDATING… THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン<2008年8月5日(火)~8月28日(木)>」という企画展である。この企画展は、関西では大阪のdddギャラリー、関東は銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリーで行われるようだ。

さあ、私もScheduleの空きを見つけ、出かけてみよう。

Sunday, August 03, 2008

明日を読み解く視点を養うには

先の読めない時代=不確実な時代といわれて、相当時間が経つ。経済、政治、社会、文化など、どの領域を見ても先を見通すことはかなり困難な状況である。
特に私が属するビジネス界では、不確実な傾向は拡大する一方である。
こんな先の見えない環境に少しでも明かりを灯す方法というモノが実は存在する。
それはシナリオ・プランニングという技法である。
この技法を実際のビジネス環境で旺盛に利用して、数々の難局を打破してきた企業がある。その企業とは、ロイヤル・ダッチ/シェル。皆さんも周知のように、この企業は石油メジャーの1つであるが、この企業の提供価値は石油という商品やそれに付随するサービスではなく、シナリオ・プランニングという技法を独自に開発し、ビジネス現場で有効利用してきたことにあると、私は考える。
シェルはその技法で、第一次、第二次石油ショック、その後の石油価格の暴落の可能性を推測し、さらにはゴルバチョフ登場以前にソビエト連邦の崩壊を予見して、数々のビジネス危機をビジネス・チャンスに変えてきた。
シェルのシナリオ・プラニング・チームを長年率いてきた人物、ピーター・シュワルツが著した「シナリオ・プラニングの技法」にそのプロセスは詳しく説明されているので、興味のある方は是非読んでみて欲しい。


私が今回このシナリオ・プラニングをテーマに選んだのは、アメリカのサブプライムローン問題に端を発する世界市場の混乱、石油市場における投機的動きによる原油価格高騰、など不確実な状況が今年になってより鮮明になってきたから。このような時代には、明日を読み解く目というモノ=シナリオ構築力を国家、企業、個人のそれぞれが持たねばならい。
このように考えているとき、上述したロイヤルダッチシェル社が2050年までのエネルギーに関するシナリオを作成したことを知った。自ら石油なしに存在し得ないはずの会社が、上記したように実は相当未来に渡る調査研究、シナリオ作成をしていて、それに併せて会社の有り様を実は変化させている。このシナリオを目にしたとき、日本の企業はこういう努力をしているだろうかと、私は不安を感じた。このシェルのコア・コンピタンスによって、石油の時代が終わっても、シェルが世界のエネルギー市場をコントロールしているのではないかと思わせる。

今回のシェル・シナリオは、シェル社のサイトからダウンロードして読むことができる。


Shell energy scenarios to 2050


この報告書の中には2つのシナリオが描かれている。第1のシナリオが良くてこのぐらいという方向で名前が"Blueprints"。Blueprints(早期に国際的な枠組みで対策をした場合)では、2050年までに世界レベルで国家・地方自治体の両方で環境規制が強化され、エネルギー効率の改善や電気自動車の普及、国際レベルでの排出権取引の実施などを想定。第2のシナリオが、良くなくてこのぐらいという方向(つまり現状の延長)で名前が"Scramble"。Blueprints=最良のシナリオではウェブを介した善意の細かな動きが前向きに動くことが前提とされている。"Blueprints"のシナリオの方向性で進んでもらいたいと私も考えるが、どうも現在のグローバルな動きを見ていると"Scramble"シナリオで進みそうな予感が強い。
いずれにしても、シェルは定期的にこうしたシナリオ構築を行い、その中でシェル自体は何をすべきかを考えている。今の我々には求められているのは、こんな明日を読み解く思考を身に付けることなんじゃないかな。

Saturday, July 26, 2008

積読状況からの脱却

購入したまま読んでいない書籍が増えてきた。



う~~ん、お盆休みにまとめて読もうか。

Friday, July 25, 2008

On Late Style: Farewell to My Dad

私の父親が亡くなって、2週間が経過した。昨年から父親は入退院を繰り返していたのだが、今年5月中旬病状が悪化し、7月11日その充実した生涯を閉じた。
このblogが5月から宙吊り状態になっていたのは、そういう理由からである。

特にこの2ヶ月間、夜間の病院で私は父の傍らで多く過ごした。付き添いをしながら、父と過ごして来た42年間(その間私は、アメリカ&東京で暮らしたいたこともあり、正確な数字ではない)を想い起こしながら、原書でも翻訳本でも読んだある一冊の書を読み返してみた。


書名は“On Late Style - Music and Literature against the Grain -”(邦題は、「晩年のスタイル」)。この書は、このblogのタイトル“Think-Write”を示唆した批評家であり、思想家であった、故エドワード・サイードの著作である。彼は2003年9月に亡くなっていて、この著作はその死後に出版されたものである。彼の絶筆といっても良いこの書は、彼の夫人や友人達が、サイードが教授職にあったコロンビア大学などで行った作家や音楽家やその他芸術家達の「晩年の作品」、「晩年のスタイル」などについての講義を中心に纏めたものである。

この著作の中核は、晩年性(Lateness)についての議論によって成り立っている。このことを父に迫り来る「死」という事象と対比させて病室で再読していたので、以前読んだときより一層そのエクリチュールは私の心にズシッときた。サイードのこの著作は、「死は私たちに一日たりとも猶予をくれなかった」とサミュエル・ベケットが陰惨で錯綜したイロニーを伴った書き方をその論文「プルースト」の中で展開しているという部分から始まる。そこから考えられるのは、死は到来する時を告げないということと、死は我々が多忙なときに唐突に訪れるということだ。しかし、私の父親のように死は時折、私たちを待ってくれることもある(言い換えれば、死の準備の時間を当事者とその家族に与えてくれる)。このようになってくると、「死」へ向けた時間の質がちょうど光の具合のように変化すると、サイードの書は表現している。つまり、「現在が、翳りを帯びるようになる。現在以外の時間 - 輝きを取り戻すか後退してしまう過去、新たに計り知れぬものとなった未来、時間を越えた想像不可能な時間 -に影響されて。そのような瞬間、わたしたちは晩年が特別な意味を帯びる状況に遭遇する」ような状態=我が父親の死への道程こそが、晩年性(Lateness)そのものである。

では、父親のLatenessとそのスタイルとは何であったのか。サイードの著書が、多方面の分野を、例えば音楽(オペラなど)、文学(小説、詩、エッセイ)、パフォーマンス芸術(演劇と映画)を自在に横断しつつ、そこに個人史、社会史、文化史、そして政治史の問題とのシンクロを見て取れる優れた文化論・芸術論として完結している(大江健三郎談)ように、私の父の人生もまた多様な彩りに満ちていたと確信している。
我が父親の「晩年のスタイル」を形成した様々な事象にここで光を当ててみたい。

● 父は世界を見た: 私がアメリカ大学院留学時代、親しくしていた教授と父親に関しての話をする機会があった。その際、その教授は父がビジネスでほぼ全世界に足を運んでいると私から聞くと、“Your Father has viewed the World”(あなたのお父さんは、世界を見たんだね)という表現をした。ここで言う「世界を見る」というのは、自分自身の固有の文化背景を離れて、広く様々な風物、多様な人々に接するという意味の英語表現である。私も弟も、この父親のDNAを受け継いだかのようにアメリカという多様な文化、人種、宗教などが融合した環境でのアカデミックな場所に身を置いた。

● 父は洒落者であった: 我が父は昭和初期の生まれにも関わらず、実にファッションやそのスタイルにこだわりを持った人だった。特にビジネス・シーンにおいて、スーツはその殆どをオーダーで誂え、ブルー系で揃えられ(まるでアルマーニのように)といった感じ。小物にも気を配り、ダブルカフスシャツのために多くのカフスリングを持ち、ネクタイはエルメスなど一見華やかな中にもシックなイメージが漂うものを好んで付け、加えてチーフは必ず胸元に入れていた。更に、父は若いときから帽子(中折れ帽)やサングラス類もよく身に付けていたことが、古い写真の中から見て取れる。このように洒落っ気たっぷりな父親のスタイルに私も影響を受けたのか、私自身ビジネスであれ、プライベートであれ、ファッションに気を配るようになってしまった。

● 父はプレーヤーとしてサッカーを愛した: 父親は、進学の際も、就職の際も、サッカーができる場所を選択したそうだ。父の日ごろからの口癖は、「世が世なら、俺はJリーガーだ」だった。まあ、現代サッカーが戦略・戦術を駆使した体系的なものとなっていることを考えると、父の時代とは全く違った競技になっていると言えるかもしれない。しかし、父の戦歴は華麗なもので、天皇杯や国体にもキャプテンとして参戦しているのだから、あながち父親の言は間違っていないのだろう。

● 父は音楽を愛した: 葬儀の中でも、父が病室で好んで聴いていた曲を流し、一種音楽葬の装いも見せていた。父は、JAZZ、ハワイアン、Classicなど結構多彩なジャンルの音楽を聴いていた。その中でも、ハリー・ベラフォンテを特に好んで聴いていたように思う。

●  父はダンスを愛した: 私は見たことがないのだが、父と母がHonoluluへ旅行した時、とあるホテルのバンドが入っているバーで突如二人が踊り始めたということを弟から聞いたことがある。父の学生時代は、ダンパ(ダンス・パーティー)が大流行りで、多くのステップをマスターしていたみたい。

●  父は阪神タイガースを溺愛した: 私が生まれる前から、筋金入りの虎キチだった父親は、私が小学生時代によく甲子園球場へ連れて行ってくれた。当時は、巨人全盛時代(あのV9時代だ)で長嶋・王がおり、阪神サイドは江夏・田淵がいた。私はその大きな器の甲子園球場の緑の芝が、カクテル光線に照らし出されている風景を、今でもよく思い出す。阪神タイガースというチームを私自身も40年以上応援し続けているのは、まさに父親の影響と断言できる。父は生前、阪神の優勝を5回も見ている。特に、1964年(私が生まれる1年前)には、会社帰りに甲子園へ直行し、その優勝の瞬間を見たそうだ。1985年の阪神日本一の年には、夫婦で日本シリーズを甲子園へ観戦に行っていた。このように、父のスタイルに大きな影響を与えた阪神タイガースが、今年も既にマジック点灯、そして優勝へと加速している。今年のタイガース優勝を父に見せてあげられなかったことは少し残念かな。

もっと父親について語るべき晩年のスタイルを形成した要素は多くあると思う。しかしここに記載した事象は、私が喪主を務めた父の葬儀の中で述べた挨拶にもリンクされることなので、敢えて上記の事象に言及した。
いずれにしても、私達残された家族は父が亡くなった次の日から、「新たに計り知れぬものとなった未来」へ向けて一歩を踏み出し始めた。ここで、今は亡き父に対し宣言しておこう。私もまた、あなたのように充実した生涯を終えるためのスタイルをこれから創造し続けていくことを。

このblogを読んでくれている方の中にも、父親の病状を大変心配していただいた方々が多々おられる。最後に、その人々に向けてお礼を申し上げておきたい。本当に有難うございました、心から感謝申し上げます。そして、私自身の父に対する追悼私記ともいえるこの文章を、今は亡き父親と私の家族に対して捧げたい。

Thursday, May 15, 2008

Kojin Karatani at Stanford Univ.(vol. 1)

Title: Beyond the Trinity of Capital, Nation, and State



Karatani's English is so-so; however, his parole and thinking concept lead to critical space!!

Wednesday, May 14, 2008

Englishをものにしたい人々への伝言

最近立て続けに、「英語を自分のものにしたいんですが、どうすれば良いでしょうか?」という問いかけを数人の人から受けた。
まあ、私が留学をしていた経験があり、一般の日本人よりは英語と深く接してきたのであろうという推測から、投げかけられた質問だとは思うのですが。

これまでも、同様の質問は10年前にアメリカ大学院留学を無事終えて、日本へ戻ってから何回もされたように感じる。
その度に答えていたのが、英語を話したり、聞いたり、書いたりしたいのであれば、日本の英語教育で叩き込まれてきた文法や構文などを掘り下げるのではなく、1つでも多くのVocabulary = 語彙の習得に努めるべきだと、いうことである。もちろん、文法や構文も大事なのだが、語彙力がないと英語をマスターできるはずがない。以前アメリカで教授から聞いたことがあるのだが、日本人を含めたアジア系の学生の語彙力は、ネイティブ・スピーカーの小学生レベルと聞いて、愕然としたことを憶えている。

そんなことを考えていた時見つけたのが、語彙力アップも含めて英語の勉強に使える「自己啓発のための26の言葉: A to Z」。

Tuesday, May 13, 2008

バーチャルな事象あれこれ・Playing

前回エントリーの「バーチャルな事象」の続きというか、補足というか、1つの気持ち良いサイトをご紹介!!


I spent 5 more minutes playing on Color Flip!!
たまには、ボケーっと、こういうサイトで遊んでみるのもありかな。

Monday, May 05, 2008

4月の断片(その4):Designの終焉!?

黄金週間も後残すとこ1日になりましたね。



私は昨日(5月4日)には、建築家・隈研吾氏の「負ける建築の思想と実践」という講演を聴いたりして、クリエイティブ思考を活性化させる動きを休みの間も継続しております。

さて、このblogでもクリエイティブな事象に関して数多く触れてきました。
4月の始めに私の耳に入ってきたショックな事柄は、私が今までリスペクトしていた1人で、建築、インテリア、プロダクトなどの総合的クリエイターが引退するというものであった。
そのクリエイターとは、フィリップ・スタルクその人である。


私はこのニュースを聞いたとき、デザイン氾濫時代の終焉を予感した。スタルク自身のデザインは、建築物からステーショナリーまで、この世に存在するデザインできるモノ全てに彼の視線は降り注がれているように思えた。私自身も、彼がデザインしたEyewearやステーショナリーなどを幾つか愛用している。
世界をデザインするかのように活発に活動していたその彼が、2年以内にクリエイティブな現場をリタイアすると、3月27日付けの独週刊紙「ツァイト(Die Zeit)」のインタビューで表明したのだ。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2370831/2782336

デザインの仕事に嫌気が差したスタルクは、「私がデザインしたもの全ては不必要だった。2年以内には確実にリタイアし、何か他のことをやりたい。まだそれが何かはわからないけど。自分を表現する別の手段を見つけたい。デザインとは、忌むべき表現形式だ」とコメントした。
また、「今後デザイナーはいなくなるだろう。将来のデザイナーは、パーソナルコーチや、ジムのトレーナー、ダイエットコンサルタントになるんだよ」とも述べている。
スタルクが語っている、「パーソナルコーチや、ジムのトレーナー・・・」のテキストを読むと、彼の興味が身体的な問題を解決するスキルに焦点が当てられていると推測できる。つまり、彼の関心事は脳的な部分から肉体的部分へと移行しているかのようだ。

デザインとかクリエイティブ・コミュニケーションは、プロダクトなどのモノや仕組みを介して広く、時間軸や空間軸を軽やかに超克して、不特定の誰かにコミットする喜びがある。しかし反面、モノや仕組みを介して、間接的にしかコミットできないという限定性も存在する。
世界視線を持ったクリエイティブスターであるフィリップ・スタルクには、この限界部分が誰よりも明確に彼自身の視線の彼方に見えているのかもしれない。
いかにデザインが間接的で、そのコミュニケーションに限界があったとしても、スタルクのような人物にはもう少しクリエイティブな現場に立ち止まっていて欲しい。

Friday, May 02, 2008

4月の断片(その3):Books

4月も多忙な中、通勤電車の中、カフェ、ホスピタルなど様々な空間で暇を見つけては読書に興じていた。
4月の1ヶ月間で読んだ量はいつもの月より若干少なめの12~3冊程度だった。
それでも、私の思考を刺激する良書に色々出会った。

その中の幾つかを紹介してみよう。

まずは、



紺野 登・著「知識デザイン企業―ART COMPANY」
この書は、Apple社のiPodをはじめとする具体的な先進的企業のサービスやプロダクト事例と、多様な領域の理論とを接続する著者の深遠な知識で、昨今のBuzz Wordとなっている「イノベーション」や「クリエイティブ」を巡る諸概念を一気にマッピングしてくれる良書。

お次は、



吉本隆明・著「日本語のゆくえ」
久しぶりに、吉本隆明の著作を読んだ。私が高校生の頃、初めて彼の著作を手にしたのだが、その当時と変わらぬ彼の言語に対する探求心が衰えていないことに少し感銘を覚えつつ読み進めた。この著作は、吉本自身の母校でもある東京工業大学での集中講義「芸術言語論」をベースとして構築されている。彼がこの著作の冒頭部分で述べているコミュニケートするために言葉を発するのではない部分の言語=ディスコミュニケーションの言語を理論化していくプロセスに大変興味を持った。日本語がどんどん記号化していく現在状況で、少し立ち止まって日本語の持つ本質的問題に向き合うのも面白いかも。

3冊目は、



菊池成孔・著『服は何故音楽を必要とするのか?―「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召還された音楽達について』
この書を読んだときの印象としては、文字が目に入るより、私の頭にファッションと音楽が頭の中を駆け巡ったと表現するのが良いかもしれない。この著作は、菊池自身が雑誌「Fashion News」に連載していたモノを纏めたのだが、雑誌に連載されていたときより、ファッションショーと音楽という関係性をより鮮明化した感じを受けた。
菊池成孔は、音楽家でもあり、文筆家でもあり、と多様な表情を見せる人物だが、今回の書は彼のその多彩性を先鋭化したということでは、実に面白い作品だと思う。

最後はあの名著、



トゥルーマン・カポーティ・著、村上春樹・訳「ティファニーで朝食を」
これは皆さんもよくご存じの作品だと思う。
私もこの作品は、高校生時代旧訳で一度読んでいるし、原書も読了済み。
では、何故今回もう一度この作品を手に取ったのか。それはもちろん、私がその新作が出れば必ず読んでいる村上春樹が翻訳し直したから。久しぶりに読む"Breakfast at Tiffany's"が、村上の訳で新たな地平を見せてくれたことに驚きを覚えた。やはり、翻訳という作業は、その訳者の意志や思考によって、アプローチの仕方が違うのだということを考えさせられた。旧訳も良かったが、今回の村上バージョンの新訳でますますこの作品が好きになった。

4月の断片は、明日もまだまだ続く。

Thursday, May 01, 2008

4月の断片(その2): BIZ

早いもので、今日から5月。
4月の断片の続きを今日も書いていこう。

本日は、今後皆さんのBusinessシーンでも話題になるかもしれないキーワードについてご紹介!!


私が以前から購読している"Harvard Business Review"では、この時期パワーコンセプトなる特集を組む。時代の一歩先を行くアイデア・リストを、Harvard大学の教授やビジネス・インフルエンサー達が「ブレークスルーの種」として纏めている。2008年のパワーコンセプト20+1は、私的に感じ取ったコア・ワードは「ジェネレーションY」と「メタバース」かな。
つまり、増殖し続けるバーチャル・ワールドの中で、先端の技術をいち早く身につけた若い世代=ジェネレーションYにより、多様なバーチャル作法がビジネスの世界に持ち込まれています。それらの意図の善悪を問わず、思いも寄らないサービスの創造を実現させている。
SNSやMMO(多人数同時参加型オンライン)ゲームなども含む斬新なビジネスストラクチャーやコラボレーション技術の隆盛、新たな業績評価指標、そしてリアルとバーチャルが融合したAR(Alternate Reality: 代替現実)空間でのオペレーションや顧客サービスなどはさらに、相互統治されたメタバースを生み出し始めている。

このように複雑怪奇に蠢くバーチャル世界を読み解くのにも役立つ、2008年アイデア集合知は以下の通りです。

1) P2P経済の到来 → Here Comes the P2P Economy
2) ジェネレーションYの仕事感 → Task, Not Time: Profile of a Gen Y job
3) 医師に学ぶ思考プロセスの矯正法 → A Doctor's Rx for CEO Decision Makers
4) 反対勢力を平和的に退ける法 → Understanding Opposition
5) 未来の取締役会の姿 → The Board Meeting of the Future
6) 正直者が不正を働く理由 → How Honest People Cheat
7) 究極のうそ発見器 → Lies, Damn Lies, and Lie Detectors
8) サイバー犯罪支援会社の暗躍 → The Cybercrime Service Economy
9) 市民発の公共サービス改革 → Sick Transit Glolia
10) ゲーマーは理想の次世代人材 → The Gamer Disposition
11) ゲームで現実の問題を解決する → Making Alternate Reality the New Business Reality
12) メタバース → The Metaverse: TV of the Future?
13) 感情表現豊かなアバターの登場 → Giving Avatars Emote Control
14) メタデータが拓く新世界 → Happy Metadata Trails
15) 「口実の道具」としてのケータイ → My Blackberry Ate My Accountability
16) カメの甲羅に理想の都市を見る → On the back of the Turtle, I See a City
17) ロビー活動がCSRを強化する → Socially Responsible Lobbying
18) 中国の新興都市が次なる成長源 → China's Unstopped Second Cities
19) イスラム金融が世界を変える → Islamic Finance: The New Global Player
20) 問題解決の正しい選択法 → What Good Are Experts?
+1) 続く傾向、続かない傾向 → Sustainable and Unsustainable Trends

私は2)、5)、11)、12)、16)、20)のアイデア・リストを大変興味深く読んだ。ただし、今回のパワーコンセプトは例年にない力作揃いで、今後のビジネス現場で思索するときに役立つソースが満載です。ぜひ、一度手にとって、皆さんが興味を持った項目をパラパラと眺めてください。もしかしたら、あなたのヒラメキや発想の手助けになるかもしれませんよ。

4月の断片は明日へ続く。。。

Wednesday, April 30, 2008

4月の断片(その1): Music

4月も今日で終わり。なんという時間軸の短さか。
このblogも翻ってみると、今月は一度も更新していない。
仕事とプライベートの忙しさにかまけ、またも更新を怠ってしまった。
このblogを淡い期待感で覗いてくれている方には、申し訳ないことをしてしまいました。

こんな感じですので、今日から数回に渡って、4月に私がビジネスやプライベートの各シーンで感じ取った物事の断片を紹介してみたい。

まずは、IDF(INO hidefumi(フェンダー・ローズ)、小島大介a.k.a.DSK(Gu./PORT OF NOTES)、藤原ヒロシ(Vo./Gu.)によるアコースティック・セッション・バンドの奏でる、懐かしいMellow Soundからどうぞ。


私は最近、洋の東西を問わず、Mellowなサウンドを奏でるアーティストの音楽を好んで聴いている。自分の頭で思索しているとき、一番フィットするのがユル~~イ&まろやかな感じのサウンドが心地よい。

お気に入りのアルバム群は、













こんな感じ。

続きはまた明日!!